3月11日の大震災から10日が過ぎ、明らかになった被害の状況は余りにも深刻であることに改めて悲しみを覚えます。被災された方々には改めましてお見舞い申し上げますとともに、困難な状況の中で原発被害の拡大阻止や救援・救済活動に当たられている自衛隊・消防ほか全ての皆様に敬意を表します。
そのような中、私は翌12日から今日まで海外旅行に出かけておりました。被害の一端を見届けながら、国外に逃れて旅行という名の安楽を貪るとは何事か?という発想は当然あり得るでしょうし、私自身も多くの人々が苦しむ中で外国のテレビや新聞を眺めるのみで何も出来ないもどかしさを感じたのは確かです。しかし、今回の旅行はだいぶ前から業務閑散期にあたり有休を取得していたものであり、成田空港に到達できる限りそれをキャンセルせず普通に出かけることで、経済にごく僅かでも足しになるのではないか?と思った次第です。
そして、いま何よりも重要なのは……まさに日本が正真正銘の国難に際会し、国力の維持そのものが問われている中、もちろん被災された方々に思いを致しつつ、かつ明日は我が身の心構えを忘れないようにしつつも、あくまで無事な者としてはなるべく平常心を保って消費に貢献し、ひいては日本経済の再建に貢献すること、そして少しでも心の余裕を保ち前を向いて歩み続けることなのではないでしょうか。そんな極めて小さな個々人の心がけが積み重なってこそ、巡りめぐって被災地の復興にも何某かの役に立つのだろうと思います。そこで、このブログもあくまで管理人自身の平常心や心の余裕を保つための手段として、今後も引き続き思いつくままに更新して参ります。
外国を訪れて痛切に感じるのは、世界史上稀に見る悲劇に直面した日本への心からの同情と、日本が危機を克服して力強い復興・復活を成し遂げ、その経験を将来世界のために活用することへの強い期待です。日本は決して孤独ではありません。皆さん頑張りましょう。……とエラソーなことを言える立場ではないへっぽこな管理人ですが、まずは脳内に去来する思いを述べさせて頂きました m(_ _)m
それにしても、改めて鮮烈に思い出されるのは……まさに地震が起きた日の夜の東京を埋め尽くし、私自身もその中に加わった膨大な歩行帰宅者の流れであり、その中において見られた「これぞ日本人らしさ」と呼ぶべきものの発露です。
周知の通り、11日には地震発生直後から首都圏全ての列車の運行が止まり、保線区員等による徒歩巡視を経て運行が再開されるまで多大な時間を要しましたが、当初は「じきに運行再開されるだろう」と思い東京メトロ某駅にてのんびり構えていた私も「ひょっとしてこれは首都圏でも想像以上に被害があり、当分動かないのではあるまいか……」と危惧したのでした。そこで有り得た選択は (1) 怪社に帰ってテレビで運行再開の報が流れるまで徹夜籠城する (2) そのまま運行再開まで駅で待つ (3) 待たずに行けるところまで歩く、といったものでしたが、(1) を選択すると予約済みの翌日のフライトに間に合わない可能性が大であり、あるいは夜遅くの運行再開の場合報道で一気に人が駅に殺到して乗車不可という可能性もあります。(2) では余りにも芸がなく、単に当てもなく立ち尽くすのみ……。そこで17時40分頃に (3) を選択し、とにかくまずは道なりに都心を脱出し、ひたすら自宅に向かって最短経路を歩きつつ、あわよくば東京からかなり離れた場所で運行を再開した電車に乗車出来れば良い……と思った次第。東京の中心部から拙宅がある小田急江ノ島線 (遙かなる田舎……汗) 沿いに出るには、かつて大山巡礼で賑わい、近代以降は静岡東部まで軍事施設を結ぶ影の重要ルートである国道246号線をたどれば良く、しかも東急田園都市線は神奈川県大和市まで事実上246号線の並行鉄道として作られていますので (軍事的には何の足しにもなりませんが)、とにかく (3) の選択に賭けて帰宅を期するには最適なルートでもあります。
そこでまず、お茶の水界隈にある明○大学の前を通りかかったところ、○バティー・タワーのロビーにテレビが置かれ逐一NHK総合テレビが流されていましたので、当面の最新情報として首都圏の鉄道全面停止を改めて確認するとともに、津波の恐るべき映像に「これは非常時である」との覚悟を固め、スーツ上下にPC入り手提げ鞄・黒革靴という如何にも長距離歩行には不向きな服装であったものの、いざ自宅への長い道程に踏み出したのでした。40kmを優に超える道を歩き切れば、恐らく所要8~10時間となることが予想され、それを一気に歩ききれるのかどうか武者震いが……。何とか途中で田園都市線に回復して欲しいと思うものの、どこでその機会に巡り会えるかも全く見当もつかなかったのは言うまでもありません。
午後6時10分頃に○治大学を出発し、神保町界隈に達しますと、書店群が早々に営業を繰り上げたのに代わって、靖国通りには早くも家路を急ぐ徒歩リーマンの流れがあふれつつあり、天井が落下した九段会館を横目に千鳥ヶ淵の脇を進む頃には、粛々とした秩序ある「束」が出来上がっていました。ひんやりとした早春の桜並木の夜に冷たい月が輝き、普段見慣れない東京の夜景が歩くごとに展開する中、誰もが直面した運命を受け入れて黙々と進もうとする意志の固まりとなり、言葉こそ交わさなかったものの不思議な連帯感を抱いたのは私だけではなかったでしょう。やがて半蔵門のTFM前を通り、赤坂見附にて霞ヶ関方面からの人の流れと合流する頃には、道路が完全に車で埋まって巨大駐車場と化している中、見渡す限り人間の太い流れが青山通り、246へと向かって行くという圧倒的な光景を歩道橋の上から眺めたのでした……。その後管理人がたどった道程は以下の通りです。
●19:50 渋谷駅ハチ公口通過。誰もが渋谷の喧噪に見向きもせず西へ西へ。
●20:30 三軒茶屋通過。三軒茶屋までは世田谷・調布方面への人波と一緒であるため、決して広くない歩道がしばしば過密状態に。ところどころ、警察官が歩道に出ないよう指導。道路は全く動かず、歩く方がはるかに速い状態。渋谷から三軒茶屋までバスに乗るだけでも4~5時間はかかったのでは……?
●20:50 三茶を過ぎて多少歩きやすくなり、駒沢界隈でコンビニに入り兵糧補給。菓子パンを歩きながらかじろうと思ったものの、棚の菓子パンは払底。幸い、新商品が別のコーナーで売られていたのを発見し1個購入。夕方怪社を出てからここまで飲まず食わずだったため、美味い。沿道のラーメン屋はファミレスは、歩き疲れた人々がしばしの充足を求めて超満員。
●21:40 二子橋の都県境を通過。電車は全く往来せず、ただ駅の灯りのみが光る二子玉川駅の表情が侘びしく……。川風に吹かれながら、都心から多摩川まで歩き切った高揚感に浸るも、まだまだここからアップダウンの道程が延々と続くことに途方もない気分・・・。
●22:00 溝の口界隈を通過。きついアップダウン開始。三茶までとは比較にならないほど徒歩帰宅者の流れは細くなったものの、田都沿線、そして神奈川県央を目指してひたすら246を歩く人々は少なくない状態。梶が谷を過ぎてさらにアップダウンは長く過激になり、女性の歩みは苦しそうで気の毒……。確か馬絹~有馬間だったでしょうか、猛烈に長い上り坂に絶句……。
●23:00 川崎市と横浜市の境界に到達。しかし先はまだまだ長い……
●23:10頃 新石川付近を歩いていたところ、直前を歩いていたおじさんのケータイ会話の内容から、田園都市線が運行を再開したとの情報を知り感激……。江田駅まであと1.5kmほど歩けば良い!
●23:20過ぎ 江田駅前にさしかかったところ、ちょうど到着した東武30000系・中央林間行きの灯りを目にして「ここまで歩ききったのか……。電車が普通にやって来ることが何と有り難いことか……」と感無量。
●23:34 次の中央林間行きに乗車。東急新5000系でしたが……暖かい午後ティーを飲みつつ、鉄道の有り難味を改めて痛感。中央林間では、ちょうど24時から小田急全線で運行が再開されたとのことで、本来の終電の時刻にやって来た江ノ島線再開一番列車に乗って帰宅。
……以上が私にとっての「3.11」ですが、怪社から江田駅まで歩いた距離を地図を用いて計算したところ約31kmという途方もない距離に達していたことも (江戸時代の旅人が1日に歩く距離は大体この程度とか→それを半日で歩いた勘定)、梶が谷を過ぎたあたりから相当悩まされた足の筋肉の痛みも、今考えてみればおよそ取るに足らないものでしょう。むしろ、公共交通機関としての鉄道が安い運賃で当たり前のように提供されてきたことがどれほど素晴らしいことであるかを認識せずに、如何に漫然と生活してきたかを身にしみて思うのであります。しかし、この経験を通じて改めて、高度な技術力・社会性と趣味性を兼ね備えた公共交通への熱い思いを新たにするとともに、あの夜誰も不平不満を上げずに黙々と歩き続けた膨大な意志と秩序の中に、うろたえることなき日本人の底力、そして復興の希望を見出したい……と思っています。