地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第六ジャカルタ炎鉄録 (10) さよなら8007F・上

2015-02-03 08:00:00 | インドネシアの鉄道


 インドネシアの鉄道を取りまく事情は、2009年に初訪問したときから片時も激変でなかったときはないのですが、多忙の中で落花生。様やパクアン急行様のブログを拝見するにつけ、ますます怒濤の激変になりつつあるような気がしております。例えば、KAIの冷房客車は等級を問わず共通の新塗装へ移行するらしい……という話ですとか、都営6000が全編成運用から離脱した話ですとか、東急8000系列・メトロ5000にも離脱編成が発生して共食い(=部品取り)が進み、近い将来KCJとしてはなるべく早急にKAI所属編成を消したがっているらしいという話ですとか……。間もなく南武線205系の大量ジャカルタ移籍が始まれば、それこそ昨年の訪問から1年となる今年の8月には改めて超弩級の浦島状態に陥るのではないかと震えております (滝汗)。



 ということで、昨年8月の記録の続きとして、そんな動きを象徴する東急8000系列をアップしてみましょう。前にもお伝えした通り、ジャカルタの電車シーンでは不調のクハ8039に代えて、クハ8007が8039に改番されて「偽8039F」を構成しているところですが、この結果必然的に、先頭車である8007を失った8007Fの残り7両は休車という状況に陥っており、クハ8007がクハ8007として走るシーンも見納めとなりました……。もっとも一応、現8039が最近まで8007であったことは、正面保護金網の枠が黒ではなく銀色であることからして一目瞭然です (8039Fは黒)。したがって、8039という車番にもかかわらず、かつて「伊豆のなつ」として有終の美を飾った車両であることをしのぶのは可能です。
 それでも、やはり8007は8007であって欲しいというのがヲタとしての人情。しかも8007Fがクハ8007を失い、8039を8007に改番のうえ復活するということでなければ、8007F全体がひっそりと離脱してしまったも同然……。
 思い出してもみれば、8007Fはジャカルタ移籍の第一陣として、恩田廃回後もその動向に注目したものですし、103系だけでなく8007Fがジャカルタに渡ったことで「必ずジャカルタを訪問しよう」と思い立ったのは私だけでなく、いつもお世話になっておりますKucing様など、何人かの熱烈な東急&インドネシアファンに共通するところでしょう。それだけに、栄光の8007が残した足跡は余りにも大きなものがありました。とはいえ、そんな栄光の事績をKCJ関係者がしみじみと痛感するはずもなく、あっさりと改番されてしまったこともまた、ジャカルタ移籍から約9年となった現実を意味しているのでしょう。嗚呼クハ8007! 8039に改番されても、怒濤の205系ワールドの中で頑張れよぉぉ!