地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

バゴー地区の「軽便」LRBEの旅 (3)

2015-11-12 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 終点ニャウンカシー駅の南側(駅舎側)に到着~。



 LRBTを置き去りにして、そろりそろりと転車台へ。



 手歯止を噛ませたのち、車掌氏がグイッと押して回転。



 駅前商店街を横目に、機回し線をのんびりと♪

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 ミャンマーの総選挙はNLD (国民民主連盟) の地滑り的大勝利となり、その結果を軍が受け入れるのかどうかが大きな焦点となりつつありますが、一つ確実に言えるのは、アウンサン将軍の娘という超絶カリスマもさることながら、ミャンマー国民が如何に長年の軍の支配に愛想をつかせていたか、ということなのでしょう。ネーウィンと軍が利益を貪ってきたビルマ式社会主義時代を1988年の民主化運動でやっと終わらせたと思ったら、血なまぐさい軍事クーデタと軍政で再び政治的に暗い時代が20数年続き、中共から雀の涙ほどの輸血をしてもらったものの独裁&世界最貧国の屈辱は如何ともしがたく、「このままではいかん」と思った軍人出身のテインセイン大統領による改革が明確な形となっても、ついに軍が信任を取り付けることは出来なかったという……。しかしまぁ、鉄ヲタ目的とほんの僅かな観光目的で訪れただけのヲタなりに、テインセイン氏が硬直しきった体制と経済をここまで変えた (その最大の恩恵として、許可証無しで撮り鉄していても何の心配もなくなった) のは、稀に見る功績だと思われます。独裁者の倅だった蒋経国氏が今や台湾人から圧倒的尊敬を受けているように、引き際の美しさによって後からミャンマー人の尊敬を受けられるようになるかどうか、これからがテインセイン氏にとって最大のヤマ場なのではないかと愚考します。
 そんなミャンマー、もしこのまま軍も再びクーデタをするようなことをせず、あくまで国軍としての本分を守ってNLDと協力し、改革開放・自由民主化路線が続くのであれば、欧米日からの覚えも誠にめでたく、やりようによっては黄金時代に入って行くのかも知れません (落とし穴があるとすれば、イスラーム問題と少数民族問題)。すると、ますます鉄道インフラの改善もスピードアップして行くことになるわけで、軍事政権時代の困窮による苦肉の策として生まれたLRBEの引退も一層早まることになるのかも知れません。

 こんなことをつらつらと思いつつ、今年3月にLRBEに乗った話の続きです。
 バゴーを発車したニャウンカシー行きの珍ドコ編成は、マンダレー本線の複線と分かれたあと、モウラミャイン方面への単線をガタガタと進んで行きますが、線路状態がマンダレー本線と比べて劣悪になった割には余り激しく揺れるわけではない……。要は、LRBE・LRBTが小っちゃい分だけ、劣化したレールや継ぎ目の段差から受けるショックが少ないということなのでしょう。そして、10~15分に1回ほど駅や停留所に止まり、三々五々バゴーからの帰り客を降ろし、市場町 (後述) へのお出かけ客を乗せて行きます。驚くのは、全く駅名表記も何もない橋のたもとや踏切あたりで停車し、そこに客が待っているということ……。一体いつどのようなかたちで周辺住民に周知しているのか、全くナゾであります (笑)。
 途中、とくに乗降の多い駅として、ナウンパタヤーとウァウに停車。デカい買い物かごやら何やら、多くの荷物を抱えたオバチャンを中心に、降りた乗ったのすったもんだが展開されますが、勿論それは中国あたりと比べればのんびり・のほほんとしたものです。私も車外に出て乗降シーンを激写したかったのですが、季節柄、駅周辺の木の陰が深く車体と客に落ちて見栄えがしないのと、機関助手 (運行中の最大の仕事は、停車場に着くごとに渡される運転許可書を受け取ること。ちなみにこれは、一回の列車運行ごとに発行される紙っぺらの票券で、司令所からの電話を受け取った各駅がその都度手書きで発行)の方に特等席である運転席直後の席を譲って頂いておりましたので、そのまま降りずに眺めるのみ (^^;)。
 その後も、田んぼ・用水路&川・荒れ地・森が入れ替わり立ち替わり現れる中を、アップダウンを繰り返しながらズンズン進んで、分岐駅のアビャに到着~。それまで「ボロい」と思っていたモウラミャインへの線路が突如デラックス高速道路に見えるほど、最高に終わっている雰囲気の草まみれヘロヘロ線路へと入って行きます……。が、ビルマをめぐる英日間の激戦が頂点に達し、時間稼ぎをしようとした英軍がシッタン川の橋脚を破壊するまで、モウラミャイン線は今進んでいるヘロヘロ線路からニャウンカシーを経て旧鉄橋を渡っていたということのようです。要するに、アビャからニャウンカシーへの枝線は、かつての本線の残骸だという……。
 それにしても、線路の劣化は「かぶりつき」をするにつけオソロシイものがありました (滝汗)。レールの継ぎ目がちゃんと接続されておらず、ブラブラした状態のところに突っ込んで行くかと思えば、築堤の路盤がほとんど崩壊寸前で、えぐれたスレスレのところに辛うじて腐った枕木が乗っかり、その上をLRBEが進んで行くという……。恐らく英国からの独立以後約70年、全く軌道保守の手を入れていないのではなかろーか?!とすら思えます。LRBEになる前はSL牽引のミキストが走っていたようですが、LRBEになった背景として、単に無煙化というだけでなく、軌道や道床の劣化を見逃せなくなり、超軽い列車で誤魔化そうという意図もあったのかも知れません。
 とまぁこんな感じで、冷や汗をたっぷりかきつつ、野趣が炸裂する10数分間のノロノロ運転が続いたのち、こんもりとした林の中の田舎町に進んで行き、側線も現れたら終点のニャウンカシーに到着!! 客が三々五々散らばって行くのを見計らったかのように、LRBEがLRBTから切り離され、シッタン川手前の分断点に設けられた転車台にしずしずと進んで行きました。というわけで、私もそれに合わせて転車台へ。機関助手氏と車掌氏が人力でクルクル回す何とも牧歌的なシーンを激写しまくったあとは、駅周辺でちらほらと営業している屋台にて、まさにこれぞミャンマーの田舎町!という長閑な風情を眺めながら、モヒンガーの昼飯うまっ♪ ココナッツミルクの中にゼリーやパン切れを浮かべたデザートうまっ♪ 締めの激濃ミルクティーうまっ……♪♪ ヤンゴンから距離にして110~120km程度しかないのに、余りにも遠くに来たかのようなミャンマー旅情に浸りまくったのでした☆