地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

撫順電鉄の放置中電車に差し迫る危機

2016-08-21 00:00:00 | 中国の鉄道


 今や多くの大都市で猛烈な勢いで地下鉄(及びその先に延びる事実上の近郊電鉄)の建設が進む中国ですが、路面電車ではない都市の電鉄という点で最も早くから運営されてきたのは遼寧省の撫順電鉄ということになります。撫順は大満鉄の富の源泉である巨大な石炭露天掘りの地であり、撫順電鉄も満鉄が直営する炭鉱労働者&石炭輸送鉄道として機能して来ましたが、とりわけ日本の敗戦・満洲国の崩壊、そして中華人民共和国成立と立て続いた歴史の中で、中共はとにかく日本人が残した工業・産業基盤をフルに活用して使い潰すという政策をとってきましたので、撫順電鉄には所謂「日本帝国主義の象徴」という意味以上に「新中国建設の礎」という意味が長い時間をかけて付与されてきたようです。
 そんな撫順電鉄、1990年代初頭までは膨大な通勤輸送量を誇ったものの、その後は凄まじく進むモータリゼーションの中でバスの方が通勤に便利になったこと、そして何よりも存在形態が典型的な炭鉱鉄道で、石炭そのものの枯渇や繁華街には通じていないこともあり(撫順煤礦本社がある礦務局駅から繁華街まで徒歩20分ほど)、2008~9年頃を最後に旅客営業は休止……。満鉄ジテ改造車を含む電車は、全て車庫にて放置されて来たようです。当時依然として凄まじい経済発展が続き、くず鉄価格も高騰していた中、すぐに潰されたわけではなかったのは、撫順電鉄として運休は苦渋の選択で、機会があればいずれ復活させたいという思いの表れだったのかも知れません。



 とはいえ最近では、経済発展に伴うある程度の社会的成熟もあるためか、近代産業観光という観点から撫順炭礦の遺産にも注目が集まり、西露天礦を望む展望台は連日大賑わい。国鉄と撫順電鉄が接する大官屯駅を拠点とした観光電車を運行する計画(勿論、ジテ改造車も復活の目玉商品として熱く議論……中国人はウリナラと異なり、何でもかんでも「日帝残滓」として消し去ろうとするのではなく、日本の遺物にも新たな意味を盛り込んで活用することに長けています)や、市街中心部へ延伸する新路線の計画も少しずつ盛り上がっていたのだとか……。撫順は他にも、宣統帝溥儀をはじめとする満洲国関係者が投獄されていた刑務所や、「無神論の国家における神」たる雷鋒(1960年代前半に超模範的な若き共産主義戦士として大々的に持ち上げられ [毛主席最高指示……雷鋒同志に学べ]、撫順市人民代表大会議員と軍人を兼務していたものの、運転していたトラックに倒木が当たって死亡)の巨大な記念館もありますので、マニアックな観光をする分にはとても楽しいところではあります (笑)。
 しかしそんな矢先、この夏の中国を襲っている度重なる豪雨の結果、西露天礦周辺の地盤が超大規模崩落を起こし、礦務局駅~車庫駅間の電鉄本線は完全に流失、他にもあちこちで電鉄の路盤崩壊や冠水が起きて不通が続いているだけでなく、大崩落の危機は車庫そのものにも迫っているのだとか……。ネットに出回っている崩落現場の空撮を見ますと、その規模は半端なものではなく、既に資源が枯渇した西露天礦のために今さら本線を再建しようとは誰も思わないほどのものです……。というわけで、車庫に眠る電車については、陸送による緊急移動の措置がとられない限り、今後いつでも土砂に飲み込まれてしまう運命にあるようです。
 うーむ、満鉄と満洲国は71年前に歴史の中へと去り、今や日中関係そのものも中共御乱心で破綻しつつある中、日中関係史の遺産として引き継がれて来た撫順電鉄の電車も永遠に過去のものになる可能性が高いとは……諸行無常というものですな。私はといえば、訪問時にジテ改造車が運用に入っていなかったことを嘆きつつ、自分でシコシコとでっち上げた撫順風電車N模型(ジテ風YZ31風)を机上で眺め回すことで、今から10年前に撫順電鉄を楽しんだ思い出に浸りたいと思います。(撫順ジテ電車そのものを正確に再現した金属キットが銘わぁくすから出たそうですが、半田鏝の使い方知らない……^_^;)。
 なお、大崩落が起こる直前、地元の鉄ヲタが礦務局駅から線路内を歩いて車庫に向かい、旧ジテである101・104編成を含む放置中の車両と戯れたというbilibili動画 (中国のニコ動みたいなもの) がありました。状態は、辛うじて復活できるか朽ち果てるかの瀬戸際でしょうか……。