地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

惜別!東武釣掛 (6) 遠い日の名場面

2006-12-21 12:44:33 | 懐かし画像


 数回にわたって特集しました東武釣掛惜別特集の最後を飾るのは、80年代の名場面! 一応、所詮中学1~2年レベルの技術で撮影した劣化が著しいネガから、トリミングして必死に色を再現したものですので、名場面も迷場面になっておりますが (汗)、その点はご容赦頂いたうえで……東武沿線の素晴らしい風景の中を釣掛の音高く電車が走り去って行くさまを想像して頂けるとうれしいです (^^)。
 まずは7300系@東上線・玉淀鉄橋です! このシーン、確か保育社カラーブックスか何かに、8000系のハイキング特急が鉄橋を渡って行くところが掲載されていまして、中学生ゴコロに「よっしゃ! 同じように撮ろう!」と決めたのですが、所詮広角単焦点のコンパクトカメラでは、やや望遠気味に近景から遠景まできっちり捉えた所掲シーンを再現することなど出来なかったのでした (笑)。それでも、冬の斜光線に台車がギラリと輝いている7300系の雄姿は……荒川を吹き抜ける冷たい風の感触とともに、今でもありありと思い出されます (*^^*)。



 そしてこちらは、先日も5050系さよなら列車がひときわ大きな釣掛音を奏でながら走り抜けた板荷~下小代間を行く5700系です! 実はこの日……勾配の築堤上を走る優等列車や3000系の普通電車、そして8000系「たびじ」を撮影したのですが、5700系の「だいや93号」が走ることを全く計算に入れていませんでした (苦笑)。そこで、板荷駅に向かう途中、やおら近くの踏切が閉まって猛烈な釣掛音が迫ってきたことに激しい焦りを感じ (^^;)、大慌てで後追い撮影をしたという次第……。
 というわけで、かなり後悔が残ってしまったのですが、加えてこのとき7870形は昼間日光線北部に入線せず、板荷駅で乗った東武日光行がようやく7870形で現れたこともあって、「う~、結局ナナハチを板荷~下小代で撮れなかった……」と一層後悔。さらに、このときを最後に数年前に撮り鉄活動に復帰するまで5700系や5050系2連を全く記録しておりませんので、5700系を撮影したのは実はこれが最初で最後……(激しく冷汗)。
 まあ、限られた時間と資金の中で各地のお気に入り車両を撮り歩こうとすると、どうしても後悔ばかりが降り積もって行くのがこの趣味の宿命といったところでしょうか……。
 そこで、東武に関して同じ後悔は繰り返したくないということで、5050系の引退を見送ることが出来たのは本当に良かった……と思っています。そしてこれからは、快速政策の変動によっていつどうなるか先行き不透明になった6050系を熱く見守って行きたい……と思っているところです。
 というわけで、辛うじて救済した昔の写真におつき合い頂きありがとうございました。m(_ _)m

 東 武 釣 掛 の 輝 き よ 永 遠 な れ !

※お知らせ:撮り鉄遠征のため、次回の更新は25日夜以降とさせて頂きます。

惜別!東武釣掛 (5) ロクサンの残影

2006-12-20 20:20:39 | 懐かし画像


 東武半鋼製釣掛式通勤電車の最後を飾った電車と言えば、一般的に話題に上るのは7800系だと思われますが、ナナハチが一気に総崩れとなる1980年代前半まで同時に存在し続け、同時に消えていったのが7300系! ナナハチが純粋な新造車両であったのに対し、7300系は終戦直後の極端な車両不足を補うために、運輸省によって割り当てられた国鉄63系改め6300系をルーツとしています。広大な農村地帯へと食糧の買い出しに殺到する人々を輸送するにあたって、20m車の6300系はさぞかし威力を発揮したことでしょうが、同時にこの電車の導入に伴って車両限界を改めたことは、その後東武はもとより小田急・相鉄・南海などで20m車を大量に増備する基礎となったという意味で、大いに歴史的意義を持つ車両であると言えるでしょう。
 その後、東武は国鉄63系をうまく使いこなせなかった名鉄からさらに譲渡を受けたり、戦前型国電の被災車を再起させるなどして6300系を増やして行きますが、如何せん桜木町事件でも悪名高きロクサン形。補修を重ねて7300系と改番しても、酷使がたたって老朽化が進んだことから、昭和30年代後半に下回りと通風器などを流用し、ナナハチと同じ車体に作り変えることによって、その後さらに急増する東武の幹線通勤輸送をナナハチや8000系とともに支えることになったのでした。
 7300系と7800系の見分け方は至って簡単で、7300系はグロベン・TR25台車という如何にも国鉄型車両な外観を持っていたのに対し、7800系は押込式通風器とFS-10台車が東武の独自性を主張していました。というわけで、どうしても7300系にはイマイチ継子的な雰囲気が漂っていたんですよね……(^^;



 とは言いつつも、ほとんど薄れかけた記憶の糸をたどってみると、私の場合はまず7800系よりも7300系への興味から東武の世界にのめり込んで行ったような気も……。もちろん、そのきっかけは「ロクサンつながり」! (^^;)。江ノ島線における毎朝2往復の限定運用を最後に小田急を去っていったロクサン車体更新車・1800形 (地元では「カマボコ電車」と呼んでいました。笑) と同じような来歴を持つ電車が他の私鉄にもいるらしい……ということで鉄道雑誌の記述を注意していると、存在が浮上したのが7300系! そしてその発展形態としてナナハチが大量新造されたということを知るに及んで、いよいよナナハチへの関心、そして愛が深まっていった……というわけです (爆)。
 とまあ何のかの言いながら、東上線&越生線で最後の活躍をしていた7300系に乗って撮ったときは、勿論ナナハチと同じように満喫しまくったことは言うまでもありません (*^^*)。特に東上&越生初訪問の際は、その後秩父鉄道にも移動して小田急1800形改め秩父800系を楽しむなど、ロクサンの残り香にどっぷりと漬かる一日となったのでした。この頃の武州路は本当に夢のような世界でした……。

 なお、これらの画像はカラーネガで撮影しているのですが、フィルムの劣化やスキャナのボロさゆえに色再現が悪くなってしまいました。そこで、思い切ってカラー情報を捨ててアップしております (あと、勿論トリミングも ^^;)。1枚目の画像は東毛呂駅、2枚目の画像は越生駅手前の八高線との並走区間での撮影です。

惜別!東武釣掛 (4) ナナハチ快走!

2006-12-19 20:42:27 | 懐かし画像


 先日日光へのさよなら運転を行い、現在も宇都宮線で新栃木への転属車が来るまでの最後の活躍を続けている東武5000系列。その下回りのもとになっているのが、「ナナハチ」こと7800系! 東武釣掛惜別記念として、今回はナナハチを今から22~23年前に撮影した画像をアップしてみたいと思います。
 当時の私は僅かな小遣いだけで辛うじて細々と趣味活動をしていた貧乏な中学生であり、小田急沿線から東武沿線まで遠征するだけでもとんでもない覚悟が必要でした。しかし幼稚園の頃に末期の国鉄73系に乗った記憶から小学生時代には国鉄釣掛式電車に深い関心を抱き、さらに身近な小田急1800・4000形や京急400形、箱根登山や江ノ電の旧型車etc..への親しみから私鉄の釣掛式電車にも注目していった中で、ロクサン型のような4扉車でありながら戦前型国電のような (→当時の浅はかな印象 ^^;) ゴツいマスクを持ち、それに鉄の塊そのものと言って良いFS-10台車を装備した東武7800系の存在は、まさに私のハートを打ち抜いたのでした (爆)。「こ、こんな、如何にも重々しそうでシブい電車が首都圏でもまだ走っているんだ……」と思うと、もういてもたってもいられません (^^;)。
 しかも、国鉄釣掛式電車の世界は、私が親から個人旅行を認めてもらえるようになった中学生時代に入るや否や、富山港線や可部線の73系 (遠い……) を残して崩壊してしまいましたので、ほとんど飢餓感と喪失感に近い思いを抱きつつ、半鋼製釣掛式電車への関心を私鉄電車に集中することにしたのですが、そうとなれば東武ナナハチは絶好のターゲット!



 しかし、そんなナナハチも、まさに私が中学生となる前後の時期に急激に5050系・5070系へと更新されて行き、その撮影はまさに時間との戦いになったのでした……。東武を訪れたのは83年秋冬から84年5月の時期に集中していますが、このタイミングは東上線・越生線の末端部や本線系準急でナナハチを辛うじてそれなりの頻度で目にすることが出来た最後の時期で、既にナナハチの初期ロットである7800形や当初トイレ付きで登場した7890形、そして全金属製だった7860形はほぼ運用から離脱して5000・5050系に改造済、またはメーカーに部品を送って改造中という状況でした。そして、手許にある資料 (RP誌85年11月号「釣掛式電車特集」所収「5000系のプロフィール」) によりますと、その直後、84年6月から1~2ヶ月に1本のペースで5070系へと更新されて行き、もう85年秋になると東上線に予備車として6両が残るのみという状況に追い込まれます……。
 そんな中、ただでさえ撮影がヘタクソだったうえに、AEが壊れたフルマニュアルのコンパクトカメラという、今のデジカメ全盛の時代からは想像も出来ない貧弱な機材で撮ったため、ロクな出来映えのカットがないのですが (鬱 →今回アップした画像はかなりトリミングしています)、ナナハチの最期の時期にこれだけ乗って撮ることが出来て本当に良かった……と改めて痛感しています (^^)。
 それでも後悔せずにはいられないのは、駅撮りで編成を大きく撮影したカットがロクにないことです。何故なら、中学生だった当時「鉄道写真とは雑誌に載っているようにそれなりの風景の中で横がちに走行写真を撮るのが王道」と思っており、いろいろな視点から撮っておこうという発想が働かなかったから……(-_-;;)。
 ともあれ、この頃はナナハチの車体を失った5000・5050系を見かけると「ク○5000」と文句を言っていたものですが、そんな5000系列ですら今は愛おしいわけですから、人間とは身勝手なものですね (^^;

 ちなみに、1枚目の画像は野州平川~野州大塚~壬生間 (どちらの駅間かは忘れました ^^;)。図らずも5050系の最期は宇都宮線となりましたね……。
 2枚目の画像は西大家~川角間。入間川の鉄橋の脇に放牧場があり (今もあるのでしょうか?)、青空&牛とからめてみました。しかし、シャッターを押すタイミングを間違え、線路脇に生えていた灌木の枝がナナハチの顔にかかってしまいました (号泣)。それをごまかせるようになったのはレタッチソフトのおかげです (^^;

惜別!東武釣掛 (3) 一人だけの前夜祭

2006-12-18 11:38:19 | 大手民鉄 (東武)


 去る16日の東武5050系さよなら運転にあたっては、遠路神奈川県から参加して日光への力走を味わう以上、何が何でも往路モハの整理券を確保しなければならない!と心に決めたのですが、最大の問題は如何せん自宅から東武沿線までが遠く、どんなに早起きしても浅草発6時20分の快速よりも前の列車には乗れないという事実! 恐らく、東武沿線在住の生粋の東武ファンの皆様は、浅草発5時の区間急行かその前後の列車で新栃木入りし、それだけで200名を突破するのではないか……と思うと、不安で不安で仕方がなくなってきました (-_-)。そこで思いついたのが、前日のうちに仕事場から栃木県に直行するというプラン! 東武宇都宮駅近くのビジネスホテルを予約し、前夜祭として美味い餃子にありつくほか (^^;)、もし5050系が運用に入っていれば名残りのバルブ撮影をしようと考えたのでした。
 そこで前夜のうちに訪れた栃木駅。到着前までは、自分と同じように前日のうちに現地入りした人々で三脚の位置の取り合いになるのではないか……と危惧していたのですが、蓋を開けてみたらビックリ、誰もいない……! そこで、到着した5160Fとたった一人向き合いながら、それまでの労をねぎらう気持ちでそっとシャッターを切りました。



 その後折返線から再び出て来て栃木駅2番線に入線した5160Fには、他に2名ほどの方がコンデジを向けていましたが、基本的にはとてもさよなら運転前夜とは思えないほどの静けさ……(^_^)。
 撮影を終えた後は、この編成に乗って宿泊地の宇都宮へ! 特に壬生の前後や、安塚~西川田間では、乗り合わせたモハ5260の激走ぶりも最高潮に! (*^^*)。釣掛音はすり切れんばかりにヒートアップし、FS-10台車の揺れ具合も半ばトランポリン状態でしたが (爆)、「まだまだ走れる! 廃車になどなりたくない……」というメッセージを発しているかのようでもありました……。
 宇都宮到着後、いったん栃木へ折り返す5160Fを見送ったうえで餃子に舌鼓を打ち (一皿たったの200円で、結構な大きさのジューシーな餃子を5個も食べられるとは……! ^o^)、宿のチェックインを済ませたうえで再び駅に戻ってみますと、到着した5160Fは一日の運用を終えて側線に留置されていました。この日は1本しか走っていなかった5050系がこのような撮りやすい位置に留置されるのも、まさに幸運そのものとしか言いようがないよなぁ……と思いつつ、たった一人で改めてさよなら前夜祭としてのバルブ撮影を満喫したのでした。

惜別!東武釣掛 (2) 5050系さよなら運転!

2006-12-16 20:35:59 | 大手民鉄 (東武)


 本日、いつかは必ず避けられないものの、出来れば少しでも遠い未来の話であって欲しいと願っていた別離の「その日」が訪れてしまいました……。私鉄釣掛式電車最後の名作・ナナハチの魂を受け継いだ5050系、そのさよなら運転です。一応、公式HPの記述では「年内に廃車」とあるため、明日以降も宇都宮線で見られる可能性がありますが、急勾配を登って日光に至るのは今日がまさに最後! その走りが一体どのようなものになるのかを五感全体で記憶にとどめ、ナナハチファンとしての自分の趣味史に一つの区切りをつけるべく、さよなら臨時列車に乗車して参りました。
 新栃木駅、午前10時40分。モハ5262。苦労の甲斐あって電動車に乗車する権利を得た人々が、発車の合図とともに息を殺すかのように静まりかえる中、臨時列車は重く哀しげな轟音を上げて発車しました。
 日光までの所要時間は54分。途中ノンストップと告知されているだけに、恐らく普通列車と比べても最高速度は上げないだろうと予想していましたが、案の定多少加速したあとはすぐにノッチオフ。比較的ゆっくりとした惰行が続きます。しかし、しばらくすると再び加速し、特に勾配にさしかかるとひときわ力強く足下で唸りが上がるのです! ……そう、この臨時列車は一般の列車と全く異なり、少しでも多く、そして長い時間にわたって加速時の轟音が鳴り響くように走っているのです!!



 北鹿沼を通過したあたりからいよいよ本番! 冬色に染まりつつある山々を両手に望みながら、5050系は時折轟音を一層高らかに発しつつ坂道を登って行きます。特に下小代通過後と明神通過後の各3~4分間はひたすらノッチオンの状態! ただひたすら注意を釣掛の音色に向ける時間が続きます! 
 そして舞台は、下今市からの急勾配という花道へ!! 下今市での寸時の運転停車ののち、モハ5262の熱い鼓動は次第に絶頂へ……。特に上今市通過後東武日光到着直前までの数分間、ただひたすら「これぞ釣掛の真髄」と呼ぶべき音が鳴り響いたのでした……。その力強くも重苦しく哀愁を帯びた走りは、まさに去りゆく釣掛式電車の時代への荘重かつ厳粛なる挽歌でありました……。

 最後に、名残惜しげに小刻みなノッチオンを繰り返し、臨時電車は東武日光に到着!! じっくりと釣掛の轟音を聴かせる名演出をした運転士氏や駅長氏に対する花束贈呈のセレモニーののち、乗客は記念乗車証の受け取りや弁当購入のかたわら、最後の東武日光駅入線シーンを思い思いに撮影していました。個人的には、いくつか撮り逃がしてしまったシーンもあったのですが、「是非これは!」と思っていた「快速たびじ・東武日光行」を撮影できて大満足!!
 帰路につきましては、往路電動車の客は復路制御車と指定されていましたので、これまた懐かしい音を奏でるコンプレッサーの上に座り、沿線での撮り鉄を眺めつつ新栃木へ戻ったのでした。復路では電動車から轟音が余り聞こえてこなかったことから、電動車の整理券をもらうために前日宇都宮泊・朝5時半からの行列参戦にして良かった!!と思ったのでした。
 そして終点・新栃木着。宇都宮線では終日5160Fが運行されていましたが、所用のためすぐに発車する南栗橋行に乗り、車窓から5162Fに別れを告げたのでした……。

 さようなら、そしてありがとう、東武5000系列!!
 さようなら、そしてありがとう、東武ナナハチの時代!!

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 なお、本日は整理券配付待ちのあいだ、前日新栃木泊と気合い満点のmelonpan様、私と同じく宇都宮発の初電で新栃木入りされた栃木時快速様、そして浅草5:00発の区間急行で到着されて華麗な整列ダッシュを披露されたred star様、そしてあともうお一方 (red star様のご紹介によりますと、普通藤岡行様。私も名乗るのを忘れ大変失礼しました) と突発オフ会でひたすら濃いぃ会話をしておりましたため、当初危惧していた4時間の待ち時間はあっという間に過ぎてしまいました (^^;)。どうも大変お世話になりました~m(^_^)m また機会がありましたらよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
 そして……皆様のお薦めで購入したMAXコーヒーの缶には何故か整髪料がべっちょり……。甘くて臭いコーヒー、もといコーヒーキャラメル飲料に「これは良いmade inチバラギ・クオリティ……」を感じました (爆)。