地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

伊勢湾周辺鉄参り (5) 四日市港のDD51

2007-02-05 00:02:00 | 貨物列車 (四日市)


 少々ご無沙汰の伊勢湾岸出張鉄編、今度は近鉄アーバンライナーに乗って四日市へやって参りました。アーバンライナーは久しぶりに乗りましたが、いや~やはり私鉄特急の雄を感じますね (^^)。名阪乙特急は空いているだろうという予想は大きく裏切られ、名古屋発車時点で大部分の席が埋まっているのには大いに驚かされました……。
 四日市を初めて訪れるにあたり、ナローの近鉄内部線という超お楽しみはもちろん外すわけには行きませんが (後日改めてご紹介します)、取りあえず内部線は後回し。1時間に1本という閑散としたバスに乗って、四日市港界隈へと向かいます。目的はもちろん、三岐鉄道・東藤原からやって来るセメントタキ編成が、可動橋を通過して港湾エリアのストックヤードに入線するシーンを激写することです! しかも、この入換は平日であれば毎日数回行われるため、遠方から訪れた場合でも無理なく予定に組み入れることが出来ます (休日は未詳です。悪しからず)。
 そこでさっそく可動橋の傍らへ! 列車通過15分前あたりになると、それまで完全に開いていた橋が警戒ブザー音とともにゆっくりと閉まります。その一部始終を見届けて満足していると間もなく、四日市駅のヤードからいよいよDD51が登場! 合計16車ほどのセメントタキ長大編成を率いてゆっくりと可動橋を渡るシーンは、それだけでも産業遺産に指定したいほどです! (*^^*)



 但し、DD51はそのまま港湾埋立地のストックヤードに向かうというわけではなく、埋立地内の運行は太平○セメントのスイッチャーに引き継がれます。その引継を行う線路が可動橋を渡ったところにあり、DD51編成と相前後してスイッチャーに率いられた空タキ編成も到着、DD51は空タキ編成を受け取って再び四日市駅に帰って行きます。
 ふだん、こういう工場地帯の路線での小運転はといえば、DE10やDD13タイプ機関車が行っているのをもっぱら目にしている私としては、何やら余りにも巨大な機関車が現れたような気がして、思わず圧倒されてしまいました (^^;)。これこそまさに、DD51がD51に代わる非電化貨物の王者と呼ばれる所以なんですね……(*^^*)。

北京懐旧鉄巡礼 (8) 急行「大陸」展望車

2007-02-04 13:43:35 | 中国の鉄道


 昨年8月以来、約半年にわたって断続的にお送りして来ました夏の中国&チベット出張鉄シリーズも、ついに最終回。最初は、瀋陽駅付近で偶然発見した満鉄客車の生き残りのご紹介から始めましたので、最後も満鉄客車の生き残りで締めることにしましょう。既にご存じの方もおられるかと思いますが、満鉄客車の中でも最も有名なものの一つ、テンイネ2型です!
 この客車は、満鉄が最も隆盛を迎え、山海関から南の日本軍占領地での鉄道運営を行う華北交通も設立された1930年代、釜山~北平 (北京) 間の直通列車として走り始めた急行「大陸」用の展望車として、1936年に製造された非常に由緒ある車両です。満鉄最速列車「あじあ」ほどの神々しさはないとしても、25m級の重厚な客車を連ねた最新鋭急行列車の最後尾に連結されたテンイネ2型の存在感は、優雅な曲面ガラスといい、重々しく高級そうな三軸台車といい、それこそとてつもないものだったのではないか……と思います。たとえそれが日本の帝国主義的拡大と切っても切り離せない徒花だったとしても……マイテ49よりもカリスマ性を感じるのは私だけでしょうか?



 そんなテンイネ2型、日本の敗戦と満洲国の崩壊後はもちろん管理権が中華民国→人民共和国に移ったわけですが、他の満鉄車両が長年の酷使を経て1990年前半までにほとんど廃車となった(それでも長寿!)ことと比べますと、やはり非常に高級な車両であったことが幸いしたのでしょうか、共産党・政府高級幹部の視察旅行用車両として転用されて丁寧に扱われて来たようです。そして80年代になると、満洲国をしのぶ日本人慰霊ツアー客を乗せる特別車両としても重宝された模様。RJ誌バックナンバーに載っている中国鉄道ツアーの広告などを見ていますと、「テンイネ2で行く中国東北周遊!」なんていう売り文句があったりします。
 それでも、たび重なるスピードアップや老朽化の結果、VIP客車としての第一線を退いて線路作業員宿舎として用いられるという運命をたどり……最後はここ、中国鉄道博物館の側線に流れついてきたようです。
 ↑の画像を撮影した時点では、ごらんの通り草がからまった荒れよう。しかも、運が悪いと車内にいる作業員の「撮るな!」という怒鳴り声が……という事前情報もあったのですが、何ともラッキーなことに、このとき作業員は不在で、ゆっくりと記録できました (*^^*)。あぁ……流転の車生を終えて、ついに放置の運命か……歴史の波乱を地で生きた車両だったのだなぁ……と思いながら。
 そこでしばらくすると、警備員が後ろから私の肩を叩きました。「ヤバイ!撮影禁止か? 撮った分を全部消せとか言われたらヤだなぁ……」と恐れていたところ、曰く「博物館の閉館時間はとっくに過ぎているから今日はハイおしまい!」とのこと。あぁビビった……(^^;)。そこで、また訪れたときに改めてじっくりと……と思いつつ、403路のバスに乗って宿へ戻ったのでした。

 ですが、前回扱った「専運車」と同様、このテンイネ2も最近ついに博物館内に搬入されました! 他の満鉄SLともども、これから整備のうえ永久に保存されることになりましたので、もうこのような放置シーンを眼にすることは出来なくなっております。
 満鉄・華北交通から中国国鉄へ……波乱の現代史の中を満鉄型客車が走り抜けた鉄路に、今あらためて満鉄技術の正統な継承者である新幹線E2系 (CRH2) が走り始めるというのは何という因果でしょうか。政治の紆余曲折はどうあれ、鉄道車両には罪なし! 中国鉄道博物館に保存されたテンイネ2と、これから活躍を始めるE2系CRH2に幸いあれ!
 というわけで、06年夏の中国&チベット鉄シリーズに長らくおつきあい頂きまして誠にありがとうございました m(_ _)m


北京懐旧鉄巡礼 (7) 放置された専運車

2007-02-03 00:43:21 | 中国の鉄道


 前に少々読後の感想をご紹介した『将軍様の鉄道』では、金正日専用列車のゴツい全体像、そして平壌の金日成廟に保存されている金日成執務車が何枚かの写真とともに紹介されており、鉄道での視察旅行にこだわる金父子の趣味や、如何にも一般人民とはかけ離れたゼイタクぶりが良く分かりました (苦笑)。もっとも、この手のVIP用客車は何も北朝鮮の専売特許というわけではなく、例えば日本にも皇室専用車両があるように、鉄道が国家と結びついている世界のほとんどの国では必ずこの手の車両が存在していると言えるでしょう。面積が九州ほどしかなく、各種の交通手段が発達しているため、それほど在来線鉄道の特別車両による視察にこだわる必要がない台湾ですら、総統専用の客車があるほどです(塗装はキョ光号と同じ色)。
 というわけで、「鉄道とは国家なり」の論理に最も忠実な国のひとつである中国にも、当然この手のVIP車両=共産党&政府高級幹部専用車両 (専運車) が存在しており、大規模な移動の場合には専用編成の出番となり、小単位の移動の場合には定期列車の尻に連結されたりします。
 ただ、日本のお召し列車の運行が官報で告示されるのとは違って (撮ったことはありませんが ^^;)、中共のことですから当然のことながら何時運行されるかも分からず、撮影が見つかれば取り調べの可能性も! (-_-) それでも、昨年夏に中国鉄道博物館を訪れた際、敷地横の留置線にて、そんな専運車を撮り放題!な機会に恵まれました。



 もっとも、撮り放題にはウラがあり……こういう人目に付きやすい所に放置されているということは、事実上もう使用されなくなったことを意味しています。特に、中国国鉄はここ10年少々のあいだに大幹線の最高速度が120km/hから160km/hにスピードアップされたことから、スジに乗り切れなくなった最高速度120km/hの専運車が役目を失って放置されるに至ったようです。分かりにくいかも知れませんが、これらの車両は全て3軸ボギー台車を装備しており、乗り心地は極めて良さそうながらも確かに高速対応は難しそう……。
 特に、1枚目の画像の車両は、見ているだけで「もったいない……」という言葉が浮かびます。この車両は現在も製造が続く25系客車をベースとしており、1990年代に入ってから製造されているはずですが……散々金をかけたのにもう放置とは! (以下略)
 いっぽう2枚目の車両は1960~80年代の作品と思われますが、如何にも分厚そうな車体をナマで見ると、22系客車とは比較にならないほど高級感が感じられます。たぶん東ドイツ製? 
 というわけでこれらの車両、訪れたときは「いつまでこれだけの車両をこの状態で放置するつもりのだろう……」と訝しくて仕方がなかったのですが (^^;)、リンク頂いている「不思議な転轍機」の「はいらーある」さんから頂いた情報によりますと、最近博物館の中へ搬入されたとのこと! 既に中国鉄道博物館内には毛沢東・周恩来執務車があり、車内を見学することも出来ますが、この放置車両が整備されて公開されたあかつきには、どれだけ怪しくデラックスな車内になっているのかをじっくり眺めるのが楽しみです (^^;

大福岡の小さな鉄 (6) 三池炭鉄訪問記2

2007-02-02 00:15:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 仮屋川操車場からタキやコキをジャラジャラと引き連れて宮浦のヤードに戻って来た45トンELは、さっそく黄タキ・銀タキ・コキを手早く仕分けて行きます。但し、宮浦のヤードの周囲には真新しく背の高い金網が張り巡らされており、その模様を端からつぶさに撮影するのは非常に難しいのが残念なところです。
 そこで、仕分け中のELを撮影するのに最適なスポットとして、ヤードの南側にある踏切がオススメ。編成の長さや転線の都合に応じて、踏切にかなり近い位置までELが顔を出すこともあります。特にこのときは季節柄、使用されなくなった線路を埋め尽くすように咲き乱れるお花畑 (?) の傍らで小さなELが戯れているかのようで、何ともほのぼのとした雰囲気が感じられました (*^^*)。



 ただ、この仕分け作業が終了すると、45トンELの一日の仕業は終了! パンタを畳んで昼寝に入ってしまいました。もっとも、このカットを最後に私は福岡に戻らなければならなかったため、その後改めて動き出したのかも知れませんが、取りあえず化学工場やコンテナ集荷場への入換は、電源車を連結した小型20トンELの出番だと思われます。パンタを畳んだ小型ELが、さらに草深い専用線へと分け入って行く姿を是非見てみたかったのですが、今後の課題ということで……。まあこの日は何と言っても死ぬほど暑い一日でしたので、もし時間の制約がなかったとしても、すっかり参り果てて大牟田駅へ退散した可能性が高いです (^^;)。
 というわけで、かつての炭鉱の栄華を遠くしのびつつ、最高にディープな運行が楽しめる三池炭鉱鉄道。訪れるぶっつけ本番の直前まで、JR特急利用の強行軍で熊本電鉄を訪れることも出来るなぁ……と迷ったのですが、熊本電鉄は前に訪れたことがあるため、今回は大牟田にした次第です。事前情報が少なく、本当に動くかどうかは出たとこ勝負の世界であるだけに、前兆なく突然動き出すという展開に悩まされながらも、撮影できて本当に嬉しかったですね……(^o^)。取りあえず運行時間は分かりましたので(※真新しいフェンスに象徴されるように、安全上の警戒が厳しいようですので、ここでの公表は差し控えます)、次回訪れるときは腰を落ち着けて、かつ小型ELの入換も合わせて撮影しようと思っています。
 こんな感じで大満足のうちに大牟田駅に戻った私は、今度は2000系の特急に乗り、5000系以上にシブい車内や走行音を満喫しながら天神へ戻ったのでした (^^)。ちなみに……福岡の濃いぃ産業用鉄道といえば、八幡製鉄所の「くろがね線」もありますね。ここもいずれじっくりと……(こうして専用線の蟻地獄にはまりまくり)。

長電オリジナル車両&塗装の現在

2007-02-01 20:19:00 | 地方民鉄 (甲信)


 長野電鉄1000系「ゆけむり」がデヴューして間もなく2ヶ月。2本中1本の展望席ガラスにヒビが入ってしまい、特注品が完成するまで湯田中寄り先頭車が封鎖扱いとなってしまったのは少々残念なことですが、とりあえず地元長野で大いに注目を集め、特に宿泊旅行の行き帰りにちょうど良い時間を中心に利用が大きく伸びているといううれしい話題を耳にします (^^)。記録的暖冬のせいで、雪煙を上げながら力走するシーンはほとんどお預けになっているようですが、とりあえずこの週末あたりは雪景色をゆく1000系の姿を楽しむことが出来るのでしょう……。
 そんな1000系の活躍によって、長らく務めた特急運用の第一線から退いたのが、もはや古豪の域に達しつつある2000系……。とはいえ、幸いなことにダイヤ改正後もそれなりに活躍の舞台が残されており、朝夕のB特急、そして午前中の長野~須坂間運用を中心に(入りやすいスジは長電HPをご参照下さい)、変わらない優美な姿を見せてくれます! そして気がついてみれば、赤とクリーム色の長電カラーを身にまとっている現役車両は、もう2000系のA・D編成だけなんですよね……。



 そして、2000系が現在の塗装に変更されるまで、2000系を含む長電車両のスタンダードだったのが、この胴回りと幕板が赤いバージョン。ですが、その最後の2両になってしまった除籍済みのOS10も、訪れるたびに色が褪せつつあり……非常に寂しいですね (-_-)。しかも、長電は最近、余剰車あるいは事故車として須坂の構内に放置されていた3500系の非冷房車を、相次いで解体したり東京メトロに再譲渡したりしてしまいましたので、次に解体するとしたら……このOS10が対象になるとしてもおかしくないでしょう。思い出してみれば、長野周辺地下化のシンボルとして新造されたOS10は、上信電鉄の6000系や250形、そして富山地鉄の14760形と相前後して現れた「80年代の地方私鉄の星」だったわけでして……。地方私鉄が新造車を用意できるほど元気だった時代があったことを思い出させてくれる車両すら、僅か1形式1両ずつで保守コストがかかること、そして冷房付きで登場しなかったことが仇になって、早々に余剰車となる運命をたどったわけです。
 そこで頭をよぎるのは、OS10と長電標準塗装ともどもこのまま完全に消えるのはもったいない!ということです。2000系が旧塗装を復活させてくれれば良いのですが……(^^;)。