地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

危機迫る瀬戸線オリジナル車 (2) 6600系

2008-08-25 15:26:44 | 都市民鉄 (中京圏)


 このたび名鉄瀬戸線が栄町直通を実現してから30年が経ち、昨日はそれを記念するイベントがあったようです (その模様は、リンク頂いているKaz-Tさんのブログ「Kaz-T's blog レインボーライン」にて紹介されています)。個人的には栄町付近のトンネルを行く釣掛のデラックス・サウンドにしびれるのもさることながら、出来ることならタイムマシンを利用して、栄町直通以前の瀬戸線に乗ってみたかったなぁ……と思います。のち揖斐・谷汲線に転じた700・750・2320形や、北陸鉄道に転じた900形といった戦前の名車たちが、名古屋城の外堀 (水はなし) の中をゴロゴロと走り、しかもガントレット (上下線が単線並みに細くなりながらも決してポイントはなく合流できない特殊な配線) というお楽しみもあったという……。もちろん利便を考えれば、堀川という中途半端な場所 (鶴舞線丸ノ内駅の北) が起点であるよりも、繁華街ど真ん中の栄町が起点である方が良いに決まっていますが、鉄道雑誌などで昔の瀬戸線の様子を知れば知るほど、失われた光景への思いも募ります (ま、これら瀬戸線の古強者たちは後に全て乗りましたので良いのですが ^o^)。



 というわけで、かつて名鉄に足繁く通った80年代、古豪が去ってすっかり模様替えした瀬戸線には一度も訪れなかったのですが……いま考えてみるとそれはとんでもない大失態でした (滝汗)。何故なら……当時の瀬戸線には、栄町開業のシンボルとして新造のオリジナル車・6600系が12両投入されていたものの、それだけでは到底足りるはずもなく、本線系から3730・3780といったHL車が大量に転属し、めくるめく釣掛ワールドが展開されていたからです……。戦前製の下回りを持つ雑多なルーツの車両が走り回っていたということで、まるで3000系が走っていた頃の東武野田線に近い世界! まぁ、野田線との最大の違いは、2扉転クロ冷房車の3780が走っていたことでしょうか。そしてもう一つ、冷房はないもののピカピカな6600系が相当な存在感を放ちまくっていたのも大きな違いでしょう……(ヘロいHL釣掛の冷房車3780と、暑いけど新型の6600、どちらを選ぶかは一時期の瀬戸線における「究極の選択」だったのかも ^^;;)。こんな濃いぃ世界を見逃してしまったとは……うぅ、つくづく10代の頃の私は浅薄でした (爆)。
 そこでいま6600系を眺めると、そんな思いがあらためてこみ上げて来るとともに、パノラマカーの廃車発生品である古いクーラーを載っけてますます濃いぃ雰囲気になった姿をいつまでも……と思うのであります (*^^*)。しかし、ついに現れた瀬戸線用の新型車4000系は、これまでの瀬戸線の雰囲気とは全く異質であり、既に車齢が30年に達した6600系もそう遠くないうちに釣掛車と同様置き換えられるのかと思うと、何とも寂しいですね……。現在瀬戸線で最大勢力を誇る6000系 (5次車タイプ) は、恐らく本線系に戻されるでしょうが、6600系は車齢といい、クーラーの古さといい、転属を期待させる要素に乏しいことは否めません……。
 もし6600系が転属するとすれば、三河線7700の置換用でしょうか? 少なくとも6000系が本線に戻れば、間違いなく三河線に充てられそうですので、久しぶりに7700系の記録もしなければなぁ……と思っています。

東京総合車両センターの秘宝・17m国電

2008-08-23 16:17:43 | 保存・園内・特殊車両


 きょうは毎年恒例となっている、JRE東京総合車両センターの夏休みフェアが開催されました。ただでさえ人出が多いイベントが苦手な私にとって、JREのイベントは足がすくむ世界ではありますが (^^;)、この日に限って御開帳となる貴重な保存車両につきましては、かねてから是非一度拝んでみたいものだと思っておりました。とくに、73系を熱愛する偏屈者としましては、撮り鉄復活以来クモヤ90を求める心の叫びは日々強まる一方……。ただ、これまで毎年予定が合わず、その都度嘆き諦めるという繰り返しでした。ところが今年は時間を確保でき、しかも天気も上手い具合に涼しいドン曇り (^o^ 死ぬほど暑くドピーカンですと、いろいろと面倒)。というわけで、勇躍中央林間から6000系の大井町急行に乗ったのでした。
 10時半頃大井町に着いたところ、予想通り長蛇の列。しかし、さすが広大な敷地を持つJREの工場だけあって、行列はスイスイと工場の中に吸い込まれて行きます (笑)。そして、居並ぶ「走るんです」には目もくれず (爆) 真っ直ぐ展示車両コーナーへ向かいますと、ををっ懐かしい! 鶴見線の大川支線で活躍していたクモハ12052が、実に美しい光沢を放って鎮座していました……(*^^*)。



 しかし……クモハ12様の横におられるものと期待していたクモヤ90様の御姿が見当たらないという事実は、私を奈落の底に突き落としました (T_T)。EF58 61ごときに居座られるとは……「お~のれおのれガッチャ○ン!」という気分です (もろ三十路。超爆)。いや、勿論EF58 61は偉大な機関車なのですが、幼い頃73系にハートを撃ち抜かれた私にとっては優先順位が下がるということで……(^^;)。道行く圧倒的多数の人々が「横のボロいの (=クモハ12) はどうでも良いけど、ゴハチは良いねぇ~」「古い電車はよく分からないけど、この機関車カッコ良い」とのたまっているのを聞くと、余計気分が落ち込みます。「どうせ旧型国電なんてマイナーな存在なんだ……でも俺様だけはそんなマイナーな車両にひたすら忠誠を捧げ続けるのだ!」というヤケッパチ気分を起こして自分を慰めるしかありません (笑)。
 EF58 61は、別コーナーにあったEF65 501 (withあさかぜHM) と並べた方が良かったのでは?と思うのですが、クモハ12と並んだのは「茶色つながり」でしょうか……。EF65 501はE233-3000と「せせらぎ」の間に置かれており、イマイチ隣同士の車両の関連性が弱く「何だかなぁ……」と思ったものです。強いて言えば、EF65とE233-3000は「東海道今昔物語」という組み合わせでしょうか。
 ともあれ、旧国はクモハ12だけか……と諦めていたところ、何と一番奥の「せせらぎ」の隣にはクモニ13様が!! (^O^) クモハ12とは異なり荒廃が進んでいるのは残念ですが、辛うじて現役時代をしのぶことが出来る雰囲気です。願わくば今後、保存に向けた再整備が行われ、永遠に荷物電車の歴史を伝えて欲しいものです。そして、現在個人的には買い込んだ鉄道コレクションの動力化にハマりつつありますもので、クモニ13も早急に動力化して遊ぼう……と思ったのでした (笑)。
 こんな感じで、クモヤ90様との語らいはまたの機会となりましたが、まずは貴重な車両の保存・展示に尽力されているJRE関係者の皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます m(_ _)m また、混雑の中訪問された皆様どうもお疲れ様でした。

神奈臨DD5515、東急車輌の入換機に!

2008-08-21 16:29:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 川崎・横浜本牧における貨物輸送の要として活躍してきた神奈川臨海鉄道のDD5515は、私がかなりん沿線で撮り鉄をする際に最もよく登場する機関車でした。恐らく、エンジンの調子が他のDLと比べて良好だからなのでしょう。というわけで、日常的なシーンを撮影する際には「またDD5515かよ……この場所でこのカマを撮るのはこれで何度目だ?」というぼやきを発することもしばしばでしたが (^^;)、例えば東京メトロ5000系のインドネシアへの輸出の際など、非常に重要な機会への起用も多かったことから、その都度大いにお世話になった機関車でもありました。
 そんなDD5515も、新鋭機DD60の増備、そして運用数の整理縮小のためついに余剰となり……このたび東急車輌の入換機として売却され、京急神武寺駅脇の側線まで甲種輸送が行われました。既に東急車輌では、同じかなりんから来たDD555がド派手なオレンジに塗られ、入換機や神武寺までの牽引機として活躍して来ましたが、DD555は如何せん昭和42年に製造されただけあって、老朽化が相当進んでいたようです……(残念ながら京急の車内や沿道からチラ見えするだけで、入換の都合上公道まで出てきたところを撮影する機会はまだ得られていません。工場構内は撮影禁止)。そこで恐らく、かなりんで余剰となったものの依然絶好調な (?) 15号機を導入することで、入換機を10年若返らせようとしたのでしょう。



 ただ、そんな譲渡劇も、DE10が新鶴見から東急車輌からの出場車を迎えに行くついでにDD55を次位に連結してしまえば良いわけで、DJ誌や○れいん誌に載ることは管見の限り全くないと言えましょう。川崎と横浜本牧のあいだの機関車差し替え甲種も、定期貨物列車の牽引機の次位に連結されることが常。余程のことがないと、DD55の甲種輸送を撮ることもなければ意識することもないのが日常です (^^;
 しかし今回は、いつもお世話になっているとある方から突然「明日DD5515の甲種輸送あり」というご連絡を頂き緊急出動! たまたま仕事を休みに出来る日だったからでもありますが、これまで思い出深いDD5515が、これを最後に滅多なことでは撮影できなくなるとなりますと、もう必死です (^^;)。
 ただ、この日はE233系1000番台の出場と重なっており、ふだんのお迎えDE10逗子到着時刻よりも大幅に時間が繰り上がっていたようで……のんびりと自宅を出発したところ、結局既に神武寺の側線に到着した後でした (爆)。まあ、池子の森をバックに佇んでいる姿は、通い慣れた工場地帯 (2枚目。当ブログではそういえばご紹介していなかった水江線の錆取り列車です) から別の工場の中へと引っ越すあいだの、束の間の休息のように見えたのでした……。
 構内撮影禁止の東急車輌に取り込まれてしまった今後は、DD5515の撮影が非常に難しくなりますが、いずれ是非新装成った姿を、入換の都合でごくまれに出て来る金沢八景の公道上で撮影したいものだと思っています。
 何はともあれ、非常に貴重な情報をお寄せ下さった方に、この場を借りまして改めて御礼申し上げます!! m(_ _)m

路面電車の楽園・広電 (2) 美しき3000形

2008-08-20 00:15:05 | 路面電車


 広島駅前でしばらく路面電車の洪水を眺め続け、ようやく眼が慣れたところで (^^;) いよいよ記念すべき広電初乗車! もちろん、広電が誇る最新鋭のGreen Mover Maxに乗って、路面電車界の雄・広電の何たるかをひしひしと感じるという選択肢もありましたが、やはりオヤジに片足を突っ込んだ世代の人間にとって、広電と聞いてふっと思い浮かべるキーワードは「路面電車の博物館」。そこで、初めて乗るのであればなるべく「博物館」にふさわしく、古い釣掛駆動車が良いなぁと思いまして、西鉄福岡市内線出身にして広電初の連接車である3000形に乗って、花の1系統へと踏み出しました。
 なお、「1系統で釣掛に乗りたいなぁ」と思っても、その通りにするためにはかなり待つことも覚悟しなければならないかも知れません。今や1系統の日中運用すら、カルダン駆動車やGreen Moverが大量に運用されており、選ぶ自由があるほど釣掛駆動の連接車が頻繁にやって来るわけではなく……。というわけで、今回すぐに3000形に乗れた私はラッキー! (笑) ちなみに、広島駅前から発車する電車のうち、5系統 (比治山下経由宇品行) と6系統 (江波行) は釣掛ワンマンカーの世界ですが、これに乗ると宿泊先の宿まで暑い中歩くことを強いられますので、今回はとにかく1系統 (^^;)。



 それにしても広電の沿線密着度の高さは凄いのひとこと……。ちょっと走るとすぐに次の電停となり、しかも頻繁に電車が走っていることから、沿線の人々はほんの少々歩いて待つだけですぐに乗ることが出来るという状態……。そこで、歓楽街の八丁堀、そしてデパートが林立する紙屋町あたりでは、連接車の車内は立ち客も相当多数となりました。こ、これが広電の実力……誠に恐るべしであります! (^_^) いやホント、首都圏の主要都市でもこれくらい徹底してクルマとの分離と本数を確保したLRT網があれば……と痛感します。
 とまあこんな感じで、驚異の広電初乗車を楽しんでいるうちに、宿の最寄り電停である中電前に到着! しかし、そのままチェックインしてしまうと、夕方の用務までそのままダラダラしてしまおうという気分になってしまい、折角目の前の平和大通りを横切るシーンが良い感じであるのに撮り逃してしまうなぁ……と思いまして、クソ暑い午後2時台であるにもかかわらず撮り鉄に邁進することにしました (笑)。そこでやって来たのは3006編成! 検査後間もないと思われるピカピカな姿に加えて、広告も一切掲げられておらず……もう完全にメロメロです (*^^*)。しかも、信号待ちの都合上減速→再加速し、その際手前にクルマがカブらなかったことから、とにかく連写しまくり……(^^;)。こうして、広島駅に降り立ったときには右も左も分からなかった広電にどっぷりと漬かって行ったのでした……。
 ちなみに、釣掛の連接車といえば他に3100形があり、クリームとグリーンの塗装が魅力的なのですが、平日ラッシュ時限定運用のような雰囲気ですので、次回に持ち越しです……。また、カルダン駆動車でも3500・3700あたりであれば非常に好ましいデザインだと思えるようになったのは、都電荒川線の7000・7500形すら追いかけるようになってからの心境の変化かなぁと思っています (^^;

真夏の京都鉄路巡礼 (3) 阪急嵐山線2309F

2008-08-18 10:44:46 | 都市民鉄 (近畿以西)


 阪急京都線の6300系撮影が一段落した後は、2300系目当てで嵐山線へGo!
 前回嵐山線を訪れたのは早いもので3年半前で (05年2月12日付記事)、当時はまだ2301Fや2303Fが健在でしたので、嵐山線内の運用はほぼ正面表示幕非装備・下げサボ編成でまかなわれており、神宝線系支線に残る3000系の下げサボ編成と比べても、やや大振りな前パンを振りかざした姿とサボの組み合わせにメロメロとなったものです……。しかしその後、2301Fは中間車を廃して動態保存車となり、2303Fはまるごと廃車となり……ついに2300系の手サボ車は2309Fを残すのみとなってしまいました。
 というわけで、2309Fが無事運用に入ってくれているか気がかりではあったのですが、桂駅で6300系を撮っているあいだに2309Fの活躍を確認して一安心 (^^)。嵐山から折り返して来た2309Fが桂駅にすべり込んで来るシーンを完璧に写し止めることが出来ました (*^O^*)。



 その後は上桂に移動。松尾駅もそうですが、嵐山線の中間駅はいずれも静かな住宅街の中の、桜の木々に囲まれた相対式ホームということで、雰囲気は上々ですね……。桜が満開な時期に訪れれば格別の味わいなのかも知れませんが、夏の緑とマルーンの組み合わせも、如何にも奥ゆかしい味わいの京菓子という風情が漂っています。極めて良く整備された2309F (そして前面幕装備の2319F) も「まだまだ余裕」と言わんばかりの表情で、淡々と走っておりました……。
 しかし、そんな2300系もそろそろ風前の灯火か……と思えてなりません。今回、桂車庫の梅田方スペースに本線用の2315F・2317Fが並べられているのを目にしたところ、「休車」の表示がデカデカと……(-_-;)。一応、いろいろネットで調べてみた結果では、昨年春のダイヤ改正で運用数が減ったあおりで、ATSを更新していないこの2編成が完全な予備車扱いとなっているとのこと。まぁ、如何せん2300系は1961年の登場ですので、ほとんど天寿を全うしつつあり、余程のことがない限り再起は難しいのかも知れません。そしてこの動きは、今後じわじわと他の編成にも波及すると思われ、その際には手サボの2309Fが真っ先に槍玉にあげられるのでしょうか……。
 ともあれ、2300系は栄えある初代ローレル賞受賞車として、神宝線の2000系ともども阪急電車のデザイン面での一時代を創った名車だという点は誰もが一致するところでしょう。その原点のスタイルを保ち続けた2309Fの、これからの最後の活躍を熱く見守りたいと思います。