地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父鉄道春の雪 (3) 小豆1002F万歳!

2010-03-24 00:36:00 | 地方民鉄 (秩父)


 いよいよ明日は秩父7500系のデヴューですが、私は夕方の早い時間から用事があり、営業運転一番列車に付き合って三峰口へ行くことはかないません (苦笑)。
 ともあれ、7501Fはそのスタイルからして秩父の新たなスターとなると思われますが、個人的には1000系、とくに復活旧塗装も大いなる星でありますので、これからの沿線撮影はますます過渡期の盛り上がりを楽しめそうだと期待しております。



 というわけで、去る10日に撮影した秩父雪景色の続きです (アップを怠けているうちに春本番となり、何やら季節感が狂ってしまいそうですが ^^;)。今回は7501F就役の前祝いとしまして、この日最も感動的なシーンを……。影森にて手前の1010Fが出庫したあと展開した「小豆1002F編成写真撮り放題タイム」の模様です。
 嗚呼! 白い静寂の世界に佇む小豆旧塗装の究極の美……!! この「ひとり撮影会」の感動は、あまり贅語を並べると逆に野暮なような気もしますので、とりあえず画像でじっくりとお楽しみ下さい……。
 ちなみにこの日の日中、1002Fはずっとパン上げ通電状態のまま影森に留置されており、運用に入ることはありませんでした。ちょっと残念ですが、「My聖地」影森でこれだけ撮れれば満足です(*^O^*)。

京急2000形新舞台?・蒲田以南急行復活?

2010-03-23 00:02:00 | 大手民鉄 (京急)


 先日、非鉄な野暮用で京急に乗っている際、一瞬の光景ながらもとてつもなく大きな変化を目にして、思わず心臓がバクバクしてしまいました。何と何と……杉田駅がホーム延伸工事をしている……!! (^O^) 杉田といえば、普通車オンリーの駅ながらも割と乗り降りが多いだけでなく、駅前には昔ながらの風情の賑やかな商店街もあるシブい土地柄でありまして、何を隠そう個人的にも幼稚園の年長の夏から小2の3月まで2年半住んでいた懐かしの地。放課後ともなれば、独りちょこっとチャリをこいで駅付近の沿線に繰り出し (孤独な少年だったもので……^^;)、横浜以南では最も線形の良い区間だけに猛スピードでブッチ切って突っ走る600形 (もちろん初代) や1000形のA快速特急やH特急に瞠目し、釣掛の雄叫びも激しく駆け抜けるD急行に狂喜し……そして普通車しか停まらない杉田駅のショボい存在感にガックリしていたものでした (懐かしい……笑)。
 そんな杉田駅が8両対応になるということは、自ずと優等列車が停車するようになることを意味するわけですが、まさか朝夕ラッシュ時の特急が停まるなどということは有り得ないでしょう。横浜~文庫ではとにかく上大岡しか停まらないことが快特・特急のウリである以上 (?)、もし杉田が二階級特進で特急停車駅になるなんてことになれば文庫以南からの乗客の反乱が起こりかねませんし (^^;)、そもそもラッシュ時は12両編成がバンバン走る以上「この特急は8両編成で特別に杉田停車」などというややこしいダイヤ設定がなされるとは到底思えません。
 そこで導かれる唯一の可能性はと申しますと…… 蒲田以南で消えて久しかった急行の復活?!(*^O^*) そして杉田を停車駅に追加?!



 とくに京急ではいよいよ京急蒲田駅の高架使用開始と空港線の上下分離を控え、さらに今秋の羽田空港国際線大幅拡充を前に、ここらで横浜方面からより利用しやすく輸送力も高い空港線直通列車を設定しようということなのかも知れません。その際、これまで通りに快特の付属4連が20分間隔で羽田空港行きとなり、しかも往復とも川崎での分割併合の都合上数分の停車時間を強いられるということでは如何にもアピール性に欠けるわけで……。そうではなく、思い切って川崎以南の普通車の一部を急行に再格上げし (川崎~文庫では普通車は10分に2本といっても、待避の都合上運転間隔がキレイに5分間隔とならず、極端な場合約3・7分サイクルという状態でしたので、これなら別に必ずしも10分に2本という本数にこだわる必要はないでしょう)、客の多い駅に小まめに停車して横浜や羽田空港方面に向かう客を拾うことでサービス向上につなげるという作戦なのだろうと推察されます。また、京急鶴見・日ノ出町・八景など、急行の廃止で利便性を失った主要駅も少なくありませんので、やはりそうした駅を救済する必要もあると考えているのかも知れません。
 ともあれ、快特・特急と比べれば空いていて、そのくせ結構速いD急行をこよなく愛していた人間にとりましては (むかし金沢八景でバイトしていたときには必ずD急行を利用しておりました ^^)、とにかく急行復活の可能性がほの見えてきたことは朗報以外の何者でもありません。そして、そのあかつきには……地上線限定運用で日中出番がなく無聊をかこっていた2000系8連が一気に主役の座に抜擢されるのではないかと想像しております (一部、4+4連も運用されるのかも)。かつての釣掛、700形8連、そして今後は2000形8連……?! 嗚呼、D急行の系譜こそ京急で最もマニアックな存在だと信じて疑いません (はぁと)。
 以上、杉田のホーム延伸から芋蔓的に想像される個人的妄想の段階にとどまっておりますので悪しからず……。京急の正式発表を楽しみに待ちたく存じます。

銚子電鉄新旧交代前夜 (4) デハ801前パン側

2010-03-22 08:12:00 | 地方民鉄 (銚子)


 銚子電鉄公式HPによりますと、2000系のデヴューは諸手続の関係で4月以降になるとのこと。銚子といえばデハ801が最もお気に入りな私としては、ちょこっと延命ということで嬉しいですね~。もっとも、しばらく検査入場していたデハ1002がじきに運用に復帰すれば、デハ801の出番は自ずとさよなら運転(HPの記述からしてどうやらやるようで……) まで激減することになるわけで、事実上の最後の活躍を静かに思う存分楽しむことが出来るのはもうそろそろ終了でしょうか。
 というわけで、今月上旬に訪問した私も、デハ1002の入場という絶好の (?) 機会と曇り日が重なったことを活かし、さよならステッカーを貼付したデハ801の最後の勇姿を満喫したのでした……(*^^*)。



 それにしても、元伊予鉄モハ106あらためデハ801が銚子に入線した当初、この手の半鋼製釣掛式電車はまだまだ各地の地方私鉄に残っており、当時の鉄道趣味界全体を見渡してもほとんど注目を集めていなかったように記憶しております(個人的には……伊予鉄の釣掛黄金時代末期を見てみたいと熱望しつつも、貧乏中学生の身には到底かなわず、高校時代も上田や名鉄揖斐線を優先させるあまり、銚子は行きたかったものの未訪問という大失態……。→何せ神奈川県から見て千葉の東端は果てしなく遠い世界のように思えますので ^^;;;)。しかし、デハ801は過酷な潮風に負けず、まさに20数年間走り続けることによって、全く無名の地味な役どころのはずが一躍超有名車両の仲間入りを果たしたのだなぁ……という感慨が湧いてきます。今や地方私鉄の主役の多くが大手私鉄の名車に変わりつつある中、そんな無名・無冠の星が今後どのくらい現れるのだろうか……と思うにつけ、さよならの際に改めてデハ801の奥深い魅力に気づかずにはいられません。

さよなら山陰線京都口113系 (2) カフェオレ

2010-03-21 08:21:00 | 国鉄型車両


 昨日から近所の模型屋にて決算バーゲンセールが始まりましたので、仕事帰りに「どれどれ……」と覗いてみたところ、何と!KATOの221系基本4連・増結2両が50%引きの激安価格になっているではありませんか……! かねてから、103系や113系などと並べるには格好のアイテムではないかと思っていただけに、即断即決でお買い上げ (爆)。国産の精密な仕上がりであるにもかかわらず、鉄コレ+αのお値段でゲット出来るとは嬉しい話です。あるいは、中国の出稼ぎ労働者の工賃が最近上がりまくっていることから、いずれメイド・イン・チーナ製品は「安かろう悪かろう」から「安くないのにイマイチ」という全体的評価に変わって行くことでしょう(人民元が切り上げという事態になったらそうなること間違いなし)。そこで改めて日本が価格・技術競争力を活かしてモノづくりの世界全体で巻き返し……ということになれば良いのですが、果たしてそううまく行くかどうか(いろいろ付帯的に起こる事態を想定しなければいけませんからなぁ……)。
 とまぁ、のっけから表題とズレた話題で恐縮ですが (^^;)、221系の天下となった山陰線京都口つながりで、撮り貯めた113系画像の続きと参りましょう。



 京都界隈で運用されてきた113系は、徹底的に延命工事が施されてカフェオレ塗装・新タイプ窓となった車両が多数走っているかと思えば、意外と湘南色・旧タイプユニット窓のままで残る車両も少なくなく、ごった煮状態の混色編成が見どころであると言えましょう(まぁ、阪和色や瀬戸内色も加わってメチャクチャなカオスと化していた頃の日根野区編成ほどではありませんが……^^;)。ところが、私が山陰線京都口で出張撮り鉄に興じた際には、何故かカフェオレよりも湘南色の方が多く運用に入っており、カフェオレは余り撮り貯めることが出来ませんでした。もっとも、個人的には「湘南色>カフェオレ」ですので別にそれでも良いのですが、いずれ京都支社所属編成が抹茶色に塗り変わって行くであろうことを考えますと、カフェオレももっと記録出来ていればなぁ……と思う次第です。とくに、先頭車はカフェオレ・中間車は湘南色という何気にマニアックな編成……非常に暗い天気の中、ズームレンズを超望遠側にしていたところ、思い切りハイビーム攻撃を食らいまして (滝汗)、フレアやゴーストが出まくってしまったのは残念ではあります。
 今後は、湖西線や草津線で少しでも多く記録したいものですが、そうだ!これからは抹茶単色も加わりますので、当分のあいだ3種類の塗装が入り乱れることになるのでしょう♪ 混色マニア (爆) にとってはワクワクするような展開かも……(^^;

メトロ千代田線6000系・小田急を行く

2010-03-20 01:17:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 あの地下鉄サリン事件が発生してから、早いもので本日15周年……。当日私はたまたま中国を旅行中で、北京から広州へ向かう直達特快(登場間もない25K系客車を使用し、当時のCNRを代表する列車でしたが、現在よりもはるかに長い2泊3日を要したものです) の車中にて終日過ごしており、翌朝広州到着後すぐに乗り換えた香港・九龍行の直通車(こちらは70年代末に登場したRZ25で揃った編成だったのも懐かしい……) の車内で購入した香港の新聞で初めて事の次第を知った次第です。今も昔も千代田線や丸ノ内線をよく利用する私にとって、この事件は決して他人事ではなく、「東京地鉄毒気事件」という見出しの記事に添えられた、ふだん利用する某駅での事態を伝える写真を見た瞬間、「自分もラッシュ時に乗っていたら巻き添えを食っていたかも知れない。これからこのような修羅場に帰るのか……。それとも、自分が知っている日本はもうそこにはなく、全く別の世界に降り立つことになるのではないだろうか?」という戦慄が走ったものでした。
 実際、この事件は90年代の行き詰まった日本を象徴する事件でもあり、その後も今日に至るまで「あれは一体何だったのか」ということを共有しきれないまま、ズルズルと社会が停滞しているように思えてなりません。そして今や、怪社の若手と話をしていても「オ○ム事件って、まだ小学生の頃の話だったので印象薄いんですよ……」と言われ愕然とする始末(まぁ私も「全共○やあさ○○荘事件って生まれる前後の話なのでリアルでは知らないんですよね~」と発言しては団塊のお偉サン方に呆れられているものですが)。
 何はともあれ、犠牲者の方々に心より哀悼の意を表するとともに、当時救援に当たられ運行再開に尽力された営団地下鉄関係者の皆様に敬意を表したく存じます。(以上の内容についてのコメントはご遠慮下さい)



 それにしても、この15年のあいだに起こった首都圏各路線での車両面での激変を思うにつけ、千代田線の変化の少なさは際だっているように思います(私だけかも知れませんが ^^;)。勿論、その間には小田急新4000形および60000形の登場、JRE「走るんです」の参入および207系900番台の撤退といった動きがあり、メトロ6000系も更新工事を経て来ましたが、大勢としてはメトロ6000系とJRE203系の圧倒的な存在感は今も昔も変わらないような……。まぁ個人的には、メトロ6000系のキノコ貫通路は大好きですし (とくに、5両分ブチ抜きの状態が存置された編成が急カーブを行くシーンなど、乗っていてワクワクします ^^;)、29F以後のグリーンを内装アクセントとして採りいれた編成もお好み。そして田の字窓存置編成が来れば「この鬱屈感がどこか73系の三段窓に通じるんだよなぁ……(*^^*)」という不思議な気分になったり、全面更新で明るい車内と大きなドア窓となった4次車が来れば「一番面白みがなかった4次車も大きく生まれ変わったものよのぅ……良し良し」と思ったり……。こんな偏った楽しみを6000系に見出しているのは私だけであろうということは百も承知ですが (^^;;)、そんな6000系はとにもかくにも40年前の時点で高いデザイン完成度を見せたからこそ長寿を保ってきたのかも知れません。
 しかし、ここに来てJREはE233系で203系を一気に置き換えるべく手ぐすね引いておりますし、メトロも16000系を投入する旨を表明し、ついに千代田線にも大きな変化の波が押し寄せようとしているのは、まさに事件の忘却とタイミングを合わせているかのようでもあり、曰く言い難いものを感じますね……。これまで個人的には、メトロ6000系は正面デザインが「新し過ぎる感じ」でしたので、長らく撮ろうという発想が湧かなかったのですが、今やこの顔 (サンフランシスコあたりに刺激されたもの?) すら高度成長期の気概を感じさせる歴史遺産のように見えてしまうという……。これも時代の流れでしょうか。というわけで、とくに16000系投入で早々に消えそうな田の字窓車を中心に、機会を見て撮り貯めるようにしなければなぁ……と思っているところです。
 そして今後は……もしかするとジャカルタに転じるかも知れないと思うとワクワクします。リンク頂いている「Kreta dan Kuching」さんによりますと、既に7000系の輸出第一陣が新木場から陸送で搬出され(陸送の条件が良かったためか、綾瀬から千鳥町への甲種にならず残念 ^^;)、じきにジャカルタでの営業運転を始めるとのこと。緑+黄帯となり、正面に巨大な金網が設けられれば、相当ゴツくてカッコ良い雰囲気になるのではないかと予想しておりますが (^^;)、調子が良ければさらに6000系からも追加が送られることになるのでしょうか。