あの地下鉄サリン事件が発生してから、早いもので本日15周年……。当日私はたまたま中国を旅行中で、北京から広州へ向かう直達特快(登場間もない25K系客車を使用し、当時のCNRを代表する列車でしたが、現在よりもはるかに長い2泊3日を要したものです) の車中にて終日過ごしており、翌朝広州到着後すぐに乗り換えた香港・九龍行の直通車(こちらは70年代末に登場したRZ25で揃った編成だったのも懐かしい……) の車内で購入した香港の新聞で初めて事の次第を知った次第です。今も昔も千代田線や丸ノ内線をよく利用する私にとって、この事件は決して他人事ではなく、「東京地鉄毒気事件」という見出しの記事に添えられた、ふだん利用する某駅での事態を伝える写真を見た瞬間、「自分もラッシュ時に乗っていたら巻き添えを食っていたかも知れない。これからこのような修羅場に帰るのか……。それとも、自分が知っている日本はもうそこにはなく、全く別の世界に降り立つことになるのではないだろうか?」という戦慄が走ったものでした。
実際、この事件は90年代の行き詰まった日本を象徴する事件でもあり、その後も今日に至るまで「あれは一体何だったのか」ということを共有しきれないまま、ズルズルと社会が停滞しているように思えてなりません。そして今や、怪社の若手と話をしていても「オ○ム事件って、まだ小学生の頃の話だったので印象薄いんですよ……」と言われ愕然とする始末(まぁ私も「全共○やあさ○○荘事件って生まれる前後の話なのでリアルでは知らないんですよね~」と発言しては団塊のお偉サン方に呆れられているものですが)。
何はともあれ、犠牲者の方々に心より哀悼の意を表するとともに、当時救援に当たられ運行再開に尽力された営団地下鉄関係者の皆様に敬意を表したく存じます。(以上の内容についてのコメントはご遠慮下さい)
それにしても、この15年のあいだに起こった首都圏各路線での車両面での激変を思うにつけ、千代田線の変化の少なさは際だっているように思います(私だけかも知れませんが ^^;)。勿論、その間には小田急新4000形および60000形の登場、JRE「走るんです」の参入および207系900番台の撤退といった動きがあり、メトロ6000系も更新工事を経て来ましたが、大勢としてはメトロ6000系とJRE203系の圧倒的な存在感は今も昔も変わらないような……。まぁ個人的には、メトロ6000系のキノコ貫通路は大好きですし (とくに、5両分ブチ抜きの状態が存置された編成が急カーブを行くシーンなど、乗っていてワクワクします ^^;)、29F以後のグリーンを内装アクセントとして採りいれた編成もお好み。そして田の字窓存置編成が来れば「この鬱屈感がどこか73系の三段窓に通じるんだよなぁ……(*^^*)」という不思議な気分になったり、全面更新で明るい車内と大きなドア窓となった4次車が来れば「一番面白みがなかった4次車も大きく生まれ変わったものよのぅ……良し良し」と思ったり……。こんな偏った楽しみを6000系に見出しているのは私だけであろうということは百も承知ですが (^^;;)、そんな6000系はとにもかくにも40年前の時点で高いデザイン完成度を見せたからこそ長寿を保ってきたのかも知れません。
しかし、ここに来てJREはE233系で203系を一気に置き換えるべく手ぐすね引いておりますし、メトロも16000系を投入する旨を表明し、ついに千代田線にも大きな変化の波が押し寄せようとしているのは、まさに事件の忘却とタイミングを合わせているかのようでもあり、曰く言い難いものを感じますね……。これまで個人的には、メトロ6000系は正面デザインが「新し過ぎる感じ」でしたので、長らく撮ろうという発想が湧かなかったのですが、今やこの顔 (サンフランシスコあたりに刺激されたもの?) すら高度成長期の気概を感じさせる歴史遺産のように見えてしまうという……。これも時代の流れでしょうか。というわけで、とくに16000系投入で早々に消えそうな田の字窓車を中心に、機会を見て撮り貯めるようにしなければなぁ……と思っているところです。
そして今後は……もしかするとジャカルタに転じるかも知れないと思うとワクワクします。リンク頂いている「Kreta dan Kuching」さんによりますと、既に7000系の輸出第一陣が新木場から陸送で搬出され(陸送の条件が良かったためか、綾瀬から千鳥町への甲種にならず残念 ^^;)、じきにジャカルタでの営業運転を始めるとのこと。緑+黄帯となり、正面に巨大な金網が設けられれば、相当ゴツくてカッコ良い雰囲気になるのではないかと予想しておりますが (^^;)、調子が良ければさらに6000系からも追加が送られることになるのでしょうか。