地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

置き換えが始まった新前橋の115系

2016-08-25 00:00:00 | 国鉄型車両


 都心に乗り入れる高崎・東北・東海道線から湘南色の113・115系が追放されてからはや約10~15年。今やすっかり「走るんです」に飼い慣らされる奴隷となってしまい、E233が来れば大喜びしつつも、JRCやJRWの営業圏をたまに訪れる度にJREの悪辣な反人民的搾取の実態を激しく思い出し、日々安物電車に乗る度に年貢を求められる「鉄道旅客プロレタリアート (苦笑)」としての怒りを新たにするのでありました……。だからこそ、国鉄時代で脳味噌が止まったヲタのそれぞれにおいて、疲れた体を伝統のボックスシートとMT54の優しい音色で包み、コイルバネで程よく体を揺らしてくれる113・115系に対し、あたかも神や仏の降臨と崇める心理が強まっているものと愚考します。否そもそも、小学生の頃のRF誌「車両の動き」欄において新車として記述されていたはずの113系2000番台や115系1000番台が、ここ数年来廃車の対象として激しく消えていったのは、誠に信じがたい事態に他なりません。



 それゆえ、東京から僅か約100kmの近さに過ぎない高崎の地に、まさに入れ食い状態で原型湘南色の115系1000番台がやって来るという桃源郷が存在し続けてきた事実は、それだけでも心理的に大きな安心感をもたらすものでした。
 それでも、諸行無常もまた変わらざる宇宙の理。JREの怒濤の車両計画の前では、たとえまとまった数の115系が高崎地区ローカル用として残っているとしても、風前の塵のようなものでしかありません。かねてから、115系に続いて東北・高崎線を追われた211系は、東北各地等の遊休線に押し込まれて長い惰眠を貪り、少しずつ入場してドアボタン設置をはじめとした改造を受けていましたが、ついに今月に入ってJRE高崎支社から置き換えスタートの告知がなされ、去る21日から順次115・107系の運用に入りつつあります。中央東線の115系があっという間に消えていった実例に鑑みて、JREはストックしていた211を短期間の内に集中投入するはず。先週末の高崎駅でも、構内の北の外れに4連2本が留置されており、いつでも運用入りOK!という状態でした。
 というわけで、先日上信ビール列車に乗った際には、朝方の列車密度が極めて高い時間帯を狙って、当たり前のようにジャンジャンやって来る115系を激写したほか、ビール列車が高崎に戻って解散となった後は第2のエクスカーションとして
両毛線の115系に乗車し、多少ガタガタ気味の直線を思い切り飛ばして行く115系の雄叫びと揺れを心ゆくまで味わったのでした……。今後、果たして何時115系が消えるか分かりませんが、激減間際であるにもかかわらず超まったりと撮影・乗車し、静かに別れを告げることが出来るのを嬉しく思います。長年の活躍本当にお疲れ様でした。

鉄コレ京成3500形未更新車をN化する

2016-08-24 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 RP誌のアーカイブス・セレクションは、出ればなるべく購入するようにしているのですが、先月発売となった『京成1950~70』はとりわけ見応えがありました。都心を挟んで京成とは反対側に住んでいる人間にとってなかなかよく分からない青電や初期高性能車の具体的来歴と豊富な形式写真が魅力的なこともさることながら、成田空港開港期の超ゴタゴタが、京成当事者の過激派への怒りを内にはらみつつ淡々と語られている内容は、まさに貴重な歴史的記録と言えましょう。そう、過激派と言えばやや聞こえはマシですが、その本質はテロリストに過ぎないわけで、極左・極右・宗教のいずれかを問わず、箸にも棒にもかからない愚昧な原理主義につける薬は無し。連中が夢想妄想する社会主義国家で同じようなことをやらかせば、即座に「社会安全危害罪」の類いで死刑となることは間違いないでしょう。「良かったな過激派どもよ、日本が自由で民主的な先進国でw」……こんな皮肉を、先日インドネシアから帰国した際、成田空港のあちこちに未だ神出鬼没する私有地バリケードを眺めながらふと思った次第です。
 そんなRP誌アーカイブをパラパラめくっていてもう一つ気付いたのは、何とそういえば!初代AE形と3500形が同世代だったのか!ということ。初代AE形は既に3400形となって久しいわけですが、3500の未更新車はなるほど相当年数が経っており、廃車となるのもやむを得ないか……と納得。というわけで、今週末の鉄コレ発売を前に急かされるように、夏の溜まった鉄コレいじり続編として、京成3500形をアップしたいと思います。



 かねてから巷では、京成という如何にも鉄コレ向きなシブい電車の宝庫が何故鉄コレと無縁であったのかについて、様々な憶測がなされてきたものですが、この3500形鉄コレはついにそんな下馬評を打ち破ったという点で、歴史的意義を有する逸品と言えましょう。少なくとも万年ドシロートの私にとって、この3500形鉄コレは、約10年ちょいの歴史を通じても極上クラスの美しいモールドと仕上がりを誇っているように思われ、アンテナを装着するにしても屋根を外さなくて良い最新設計も嬉しく (最近の新規リリースは大体そうですが♪)、さすが立石に本社がある富技の底力を見せつけているものよ……と唸った次第です。
 そこで、同じく最近 (?) リリースされた京成ステンレス車模型であるマイクロの3600形模型と並べてみますと……ムフフフ~ン♪まさに昭和末期以来の絶妙なコンビぶりが感じられますね☆ 京成と言えば、たまにスカイライナーに乗るばかりの神奈川県民ですら、こうして眺めているだけでお腹いっぱいになるのですから、これまでGMやマイクロに頼るのみだった京成沿線ヲタの皆様におかれては、さぞかし歓喜に浸っておられることと思います。
 さて今後は……この3500系鉄コレは早めに市場から消えたようですので、長い目で見て京成鉄コレがシリーズ化されることを楽しみにしています。マイクロやGMはいろいろな点でイマイチでしたし……。マイクロから3500形の更新車が発表されても、余りにも高騰しすぎて必ずしも触手が動くわけではなく、「鉄コレで更新車が出るのを待てば良いかな?」という気分になったりもします。とりあえず、3000番台以後の各形式及びその色違いが長い時間をかけてリリースされるのは目に見えていますが、個人的には青電を是非!!と思っております。新京成譲渡バージョンも展開できるでしょうし、そもそも最近ガレージメーカーから発売された板キットも、作るのは少々面倒ですので・・・(他に放置しまくりの仕掛品が多すぎ ^^;)。

上信ジャズ&ビール列車の旅2016

2016-08-23 00:00:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 台風もぼちぼち関東に襲来するようになり、夏の終わりをしみじみと感じ始めるお盆過ぎ。しかし依然として蒸し暑いことに変わりはありません。そんな頃合いを狙って企画されている上信の「ジャズ&ビール電車」、昨年初めて乗ってみたら、ビールをガブ飲みしながら撮り鉄も結構出来るという意外性がなかなか宜しかったため、今年も、いつもお世話になっております「あまのじゃく」様からお声がけを頂いた瞬間の即レスで参加することにしました (笑)。
 まずは発車の約1時間前となる9時半に高崎駅のだるま前に集合~。他の客は男女混成チームであると想定され、さらには高崎駅のコンコースも週末のお出かけに向かう着飾った人々で賑わう中、計10名のガチヲタ野郎からなる「あまのじゃく軍団」はどう見ても異様ですが、まさか後で、我々の方が他の客の皆様に圧倒されることになろうとは……(^o^;)。
 受付が行われる上信本社は、何度訪れてもシブ過ぎる昭和30年代建築。2回の会議室にクーラーが入っており、発車まで参加者はそこで待機することも出来ますが、昨年はクーラーの能力を超えた人いきれで蒸し風呂気分を味わいましたので、小雨の降る中ではありましたが「きえふにいさん」様と外で待機と称して撮り鉄に徹したのでした (折角の上信本社前駐車場立ち入り特権つきですから♪→普段は立入禁止であると思われますので申し添えます)。



 定期列車が発車した後の10時20分頃、いよいよ裏口からホームに入場し、「赤いマンナンライフ」となった503Fに乗車! 昨年は自由席で、ちょっとした席の取り合いが発生したものですが、今年はそれを踏まえて指定席となっており、ゆったり乗って最初からほのぼのムードが漂う中、発車前からジャンジャンとプラ製ジョッキに一番搾りが注がれて行きました。そしていざ発車! お約束 (?) の銀河鉄道999テーマソング (映画ゴダイゴ版→テレビアニメ版だったら暗すぎる ^^;) が高らかに演奏される中、乾杯!の歓声の中で酔っぱらい達の肝臓比べの幕が切って落とされたのでした……!
 今回の臨時ダイヤの特徴は、きえふにいさん様の御分析によりますと、デキ臨時列車のスジを概ね踏襲し、往路ではとにかくチンタラと走るものであるということ。昨年乗った際は、総じて普通の列車と同じ速度で走ったため、ビールを飲むにも、ビールサーバとの間でジョッキのリレーをするにも、こぼさないよう相当気を遣ったものですが (それでもこぼしてその都度モップがけする必要が多々生じた記憶が)、今年はなるべくそれを回避するため往路は超鈍足に徹し、吉井と富岡ではとりわけ長い運転停車が設けられていました (吉井ではホームがない側線に入ってしまったため、撮り鉄が出来ないのは痛かった ^^;)。その代わり、昨年は1時間半以上設定されていた下仁田での折り返し時間が、今年は40分程度となっており、長時間撮り鉄が出来なかったのは少々残念です (ま、それでも結構激写したのですが^O^)。いっぽう帰路は、「もう結構飲んでペースダウンしただろ?」という前提があるためか (?)、結構スジが立っておりまして (それでも普通列車と比べればトロかったですが)、「中途半端な揺れで酔いそう」という声をチラッと耳にしたのも確かですが、逆に飲み疲れたタイミングでノロノロ運転ですと「高崎まだか~?」という気分にもなりますので、個人的には「まぁこんなもの。今年は結構絶妙なダイヤ設定だったのではないか?」と思った次第です。
 肝心の車内は、いや~日頃の「のんびり・まったり・しみじみ鉄」とは対極的な、飲めや騒げやの超カヲス w。仕舞いには、「あまのじゃく軍団」の若手の皆様が、昔ヤングだった皆様のカワイイおもちゃとなっており (爆)、いやはや珍景を楽しませて頂きました (^^;;)。南蛇井から積み込まれた社長御差入の揚げ物も美味かったですし、最後高崎駅では「また来年も会いましょう~」と握手でお別れとなったのも良かったですね♪ というわけで、お誘い頂いたあまのじゃく様以下、ご同行の皆様には大変お世話になりました! またこの場を借りて、鉄道部門総出で (?) このような楽しい企画を実施して下さった上信電鉄の皆様に心よりお礼申し上げます m(_ _)m

昭和91年夏の国鉄高崎に遊ぶ

2016-08-22 00:00:00 | 国鉄型車両


 湘南色115系天国も、ついに本日から211へ置換開始……。



 炭水車に映り込んだE231が、21世紀という現実を感じさせます。



 偶然スハフ32バックで、DD51お召し機の入換を激写! (道路から)。



 昭和の上信色&デキと115が並ぶのもあと僅か……。
  (上信のツアー列車参加者特権で、上信本社駐車場から撮影。→続く)

撫順電鉄の放置中電車に差し迫る危機

2016-08-21 00:00:00 | 中国の鉄道


 今や多くの大都市で猛烈な勢いで地下鉄(及びその先に延びる事実上の近郊電鉄)の建設が進む中国ですが、路面電車ではない都市の電鉄という点で最も早くから運営されてきたのは遼寧省の撫順電鉄ということになります。撫順は大満鉄の富の源泉である巨大な石炭露天掘りの地であり、撫順電鉄も満鉄が直営する炭鉱労働者&石炭輸送鉄道として機能して来ましたが、とりわけ日本の敗戦・満洲国の崩壊、そして中華人民共和国成立と立て続いた歴史の中で、中共はとにかく日本人が残した工業・産業基盤をフルに活用して使い潰すという政策をとってきましたので、撫順電鉄には所謂「日本帝国主義の象徴」という意味以上に「新中国建設の礎」という意味が長い時間をかけて付与されてきたようです。
 そんな撫順電鉄、1990年代初頭までは膨大な通勤輸送量を誇ったものの、その後は凄まじく進むモータリゼーションの中でバスの方が通勤に便利になったこと、そして何よりも存在形態が典型的な炭鉱鉄道で、石炭そのものの枯渇や繁華街には通じていないこともあり(撫順煤礦本社がある礦務局駅から繁華街まで徒歩20分ほど)、2008~9年頃を最後に旅客営業は休止……。満鉄ジテ改造車を含む電車は、全て車庫にて放置されて来たようです。当時依然として凄まじい経済発展が続き、くず鉄価格も高騰していた中、すぐに潰されたわけではなかったのは、撫順電鉄として運休は苦渋の選択で、機会があればいずれ復活させたいという思いの表れだったのかも知れません。



 とはいえ最近では、経済発展に伴うある程度の社会的成熟もあるためか、近代産業観光という観点から撫順炭礦の遺産にも注目が集まり、西露天礦を望む展望台は連日大賑わい。国鉄と撫順電鉄が接する大官屯駅を拠点とした観光電車を運行する計画(勿論、ジテ改造車も復活の目玉商品として熱く議論……中国人はウリナラと異なり、何でもかんでも「日帝残滓」として消し去ろうとするのではなく、日本の遺物にも新たな意味を盛り込んで活用することに長けています)や、市街中心部へ延伸する新路線の計画も少しずつ盛り上がっていたのだとか……。撫順は他にも、宣統帝溥儀をはじめとする満洲国関係者が投獄されていた刑務所や、「無神論の国家における神」たる雷鋒(1960年代前半に超模範的な若き共産主義戦士として大々的に持ち上げられ [毛主席最高指示……雷鋒同志に学べ]、撫順市人民代表大会議員と軍人を兼務していたものの、運転していたトラックに倒木が当たって死亡)の巨大な記念館もありますので、マニアックな観光をする分にはとても楽しいところではあります (笑)。
 しかしそんな矢先、この夏の中国を襲っている度重なる豪雨の結果、西露天礦周辺の地盤が超大規模崩落を起こし、礦務局駅~車庫駅間の電鉄本線は完全に流失、他にもあちこちで電鉄の路盤崩壊や冠水が起きて不通が続いているだけでなく、大崩落の危機は車庫そのものにも迫っているのだとか……。ネットに出回っている崩落現場の空撮を見ますと、その規模は半端なものではなく、既に資源が枯渇した西露天礦のために今さら本線を再建しようとは誰も思わないほどのものです……。というわけで、車庫に眠る電車については、陸送による緊急移動の措置がとられない限り、今後いつでも土砂に飲み込まれてしまう運命にあるようです。
 うーむ、満鉄と満洲国は71年前に歴史の中へと去り、今や日中関係そのものも中共御乱心で破綻しつつある中、日中関係史の遺産として引き継がれて来た撫順電鉄の電車も永遠に過去のものになる可能性が高いとは……諸行無常というものですな。私はといえば、訪問時にジテ改造車が運用に入っていなかったことを嘆きつつ、自分でシコシコとでっち上げた撫順風電車N模型(ジテ風YZ31風)を机上で眺め回すことで、今から10年前に撫順電鉄を楽しんだ思い出に浸りたいと思います。(撫順ジテ電車そのものを正確に再現した金属キットが銘わぁくすから出たそうですが、半田鏝の使い方知らない……^_^;)。
 なお、大崩落が起こる直前、地元の鉄ヲタが礦務局駅から線路内を歩いて車庫に向かい、旧ジテである101・104編成を含む放置中の車両と戯れたというbilibili動画 (中国のニコ動みたいなもの) がありました。状態は、辛うじて復活できるか朽ち果てるかの瀬戸際でしょうか……。