地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ソウル保存車両周遊 (8) 京城→ソウル市電

2018-10-04 02:13:00 | 韓国の鉄道


 韓国鉄道博物館にて土砂降りの中の速度戦を終えた後は、再び儀旺あらため義王駅から電車に乗り、途中の駅で土砂降りの中を爆走する優等列車を撮った後、5号線との乗換駅である新吉で下車すると……土砂降りはMAXになり、屋根が抜け落ちてホームに滝の如く水が落ちている状態……。帰国前最後のメニューとして、このあと5号線で西大門駅に向かい、さらに徒歩数分でソウル歴史博物館前に至りソウル市電を激写、その後も徒歩でソウル市庁前を経て明洞北のロッテ百貨店に至り、高級海苔を安く買って土産にするという (免税店はボッタクリ)、雨が降っていなければ楽勝な遊撃隊式速度戦を展開するべきか否か、非常に危ぶまれました……。



 しかし、韓国出張初日と最終日の自由時間を使い、折角ここまで、困難を困難と思わぬ英雄主義的パルチザン精神を発揮し、保存車両攻略戦を完遂してきたものであります。最後のメニューをすっ飛ばして再び1号線に乗り、直接市庁駅まで行くという行為は、恥ずべき敵前逃亡に他なりません。そこで、「土砂降りも延々と続くものではあるまい。西大門駅から地上に出る頃には雨も一旦弱まるだろう……」という革命的楽観主義を胸に秘めつつ、新吉駅のクッソ長い連絡通路を進んだのでした。そして5号線のホームに着くと目の前で電車に逃げられ、「混み合うくせに日中6分間隔でしか来ない日和見主義」と闘ったのち、無事西大門駅から地上に出てみると……ををっ、本当に小降りになっている♪ そこで、「這是最後的闘争、団結起来……♪」と精神を奮い立たせながら小走りに進み、ついにソウル歴史博物館前に到着! 完璧に日本風の風貌ながらも、窓周りのRが最高に優雅な京城→ソウル市電の実車とついに対面し、保存状態の良さに惚れ惚れとしつつ、フラットな光線状態を活かして様々な角度から撮りまくったのでありました……。

 というわけで、ソウル首都圏でここ数年内に現れた保存車両群の現状をご紹介して参りましたが、かつて鉄道趣味不毛の地であった韓国において、少しずつ文化財としての鉄道車両への認知が、「日帝残滓」であるか否かに関係なく高まりつつあることは大変結構なことであります。個人的には、もし仮に北の問題が軟着陸するならば、北でボロボロになりながらも現存する鮮鉄車両を徹底レストアしてコレクションした、横川の鉄道文化むらに比肩するような施設が出来ることを妄想したいものですが、まぁこればっかりは当面大法螺吹きの誹りを免れないでしょうか (下手すりゃ北が南を統一してしまうかも知れないのですから)。

常磐線の旅2018夏 (4) 719系

2018-10-02 18:00:00 | JR発足後の車両


 浪江にて常磐線不通区間の代行バスから原ノ町行に乗り換えますと、当面駅舎側の上り1番線と中線は使用されておらず、線路上に組まれた仮設の通路を通って下り3番線に向かうようになっていますが、そこで待ち構えている浪江〜原ノ町機織り列車は何と!仙台地区から相当数を減らしてしまった719系! しかも真っ昼間で代行バスから乗り換える客は僅かだというのに4連! スッカスカなクモハに陣取って、柔らかくも重厚な直流モーターの音色に酔いしれながら、生活を取り戻しつつある一帯の美しい緑の山河を愛でたのでした……。もっとも、途中から下校の高校生がドドッと乗ってきて、4両編成で丁度良くなってしまいましたが……。



 それにしても、いわき〜富岡間の651系といい、浪江〜原ノ町間の719系といい、水戸支社と仙台支社であぶれた古株にあてがわれた最後の舞台として、福島第一原発周辺の区間が選ばれているように思われます。そして最近では新たに、E501系もいわき〜富岡間の常連となっているとか。すると、2020年春と思われる全線再開後は、これらの車両が入り乱れていわき〜原ノ町間を往復し、651系・719系・E501系はそれぞれ松・竹・梅、甲・乙・丙という役回りでヲタを集客し、あるいは復興関連でこの区間を訪れる用務者の足となるのかも知れません。まぁ所詮は予想というか妄想に過ぎず、719系が何時まで残るか予断を許しませんが……。
 ともあれ、そんなことを脳裏に描きながら、原ノ町駅にて719系4連を激写するのもまたいとをかし。日中だからといって2連に減車するわけではないのは、入換要員を省くためなのかも知れません。

どっこい現存する元常磐の日根野105系 (中)

2018-10-01 12:15:00 | 国鉄型車両


 長年千代田〜常磐緩行線で活躍したメトロ6000系が引退するのは歳月の流れの結果ですが、大部分の車両はジャカルタに行って現存しているという点で、長寿に恵まれた形式であるのかも知れません。そして、長寿という点では、同じ路線を走っていた103系1000番台もまた然り。8M2Tというスパルタンな編成が地下鉄内で吐き出す熱気は凄まじいの一言でしたので、千代田線筋では余り長続きせず203系に主役を譲ってしまったわけですが、そのタイミングが国鉄末期の地方路線電化の流れと一致して、少なくない車両が105系に改造されたのは、ある意味でラッキーなことだったのでしょう。常磐線快速や東西線に転じた編成は2000年代に廃車となりましたので……。



 そんな103系1000番台改造105系、散々ボロだのクーラーの効きが悪いだのと悪評を叩かれながらも (?)、ヲタを喜ばせながら奈良・和歌山・広島・下関で幅を効かせてきたものですが、広島と下関では既に227系増備の結果力尽き、桜井線と和歌山線も既に置き換え用227系の第一編成が落成、訓練運転を経て来年のダイヤ改正以後急速に置き換えられて行くことでしょう。床置きクーラー車であれば、埋めた窓と塗装を除けばほとんど千代田&常磐時代と変わらない (?) 見てくれが、2018年になっても現存していたことはある意味奇跡ですが、車齢が間もなく50年に達するだけに、これもまた致し方ないことかも知れません。奈良線103系の引退ともども、昭和は遠くなりにけり、103系という巨星ついに墜つ……。
 なお、この画像は2015年夏に撮影したものですが、その直後の8月12日に赤帯編成の画像をアップして以来、青編成の画像を3年以上も放置してしまったという……(^^;)。そろそろ沿線のヲタが増えるかな?と思われる中、誰も撮っていないときに訪れておいたのは正解でした☆