東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

靖国でいこう、年表の楽しみ(4)

2005-07-10 08:05:14 | 年表の楽しみ
1985年8月末、赤色中国幹部会 於北京飯店

「ワン同志、最近の永田町の情勢を報告してくれたまえ」
「昨年から田中派の内部には分派独立のうごめきがありまして、
竹舌登をかしらに派閥内徒党の動きが今年はじめに表面化しました」
「竹舌がはじめた創政会なる勉強会だな」
「そうです。角栄は子分の造反に怒り狂って一晩にウイスキーを
二、三本空けるありさまで、とうとう二月末に脳梗塞で病院に運
び込まれました」

「再起は可能なのか」
「どうも絶望的なようですな」
「角栄は我が国が倭国を支配するための重要なエイジェントだ。
今の首相の仲ソネに対するコントロールは大丈夫なのかね」
「田中角栄が後藤田というのを官房長官として横目付け役で内閣
に送り込んでいますがね。田中派の権力の空白をついて、仲ソネ
が独立を図るでしょうね」

「竹舌もわが国に忠誠を誓う点では同じですが、なにぶん角栄の
跡目争いがどうなるか、当分情勢は不安定にならざるをえません
ね」
「どころでリー同志、仲ソネとアメリカの関係はどうなっている」
「これがますます親密になってますね。ロン・ヤス関係とか言っ
てね」

「ロン・ヤスってのは何だ」
「ロナルド・レーガンと仲ソネ・ヤスヒロでお互いにファーストネ
ームで呼び合うと言うわけです。ロン、ヤスとね」
「なんだか気持ちが悪いな」
「サミットなんかでも仲ソネはレーガンのそばにいつも寄り添っ
ているんですよ。これはビッグネームとのツーショットを狙う日
本の政治家の習性ですがね。それが目に余るというので、レーガ
ン大統領のナンシー夫人がホモみたいで気持ち悪いとまで言って
いる」

「仲ソネは日本列島をアメリカの不沈空母として使ってくれ言っ
ているしな」
「憲法改正も考えたいということらしいですね」
「レーガンは二期目の大統領に再選されたしな。仲ソネはどうだ」
「現在第二次仲ソネ内閣の二年目ですがね。来年の自民党総裁選
挙でも有力な対抗馬がないので相当の長期政権になるという観測
が強いですね」

「強力な牽制球を投げとかんといかんな」
「頭部を狙った危険球をね。きついヤツが必要でしょうな」
「コー同志、何がいいかな。きついピーンボールとしては」
「さればでござる。8月15日に首相は靖国神社に公式参拝し
ましたな。靖国神社には東京裁判のA級戦犯が合祀されていま
すからな。
この靖国参拝を強烈に非難するのがいいんじゃないかと拙者は
愚考いたしますな」

「しかし、A級戦犯の合祀は大分前だろう。1978年の10月
だったかな。新聞報道されたのはたしか1979年の4月だった。
6年前だな。その間我々は何も抗議や非難をしていないからな。
たしかその間、首相たちは靖国に参拝しているだろう」
「大平首相は春秋年二回、鈴木首相は春秋の例大祭に加えて8月
15日にも参拝しています」
「どうかね、急に反対しだすのは露骨すぎやしないかね。大平
氏は日中国交回復時に田中角栄のもとで外務大臣だったろう。わ
が国の大事な友人だ。また、鈴木善幸は大平派閥の番頭だ。彼ら
が靖国に参拝したときにはなにも言わないで、中曽根の時にイチ
ャモンをつけるのは整合性がとれないな」

「なーに、だんだん良くなる法華の太鼓ですよ。やみくもにたた
いている内にサマになってきまさあ」
「とにかく、日米の緊密化を何としても阻止しないといかん。そ
ういえば大戦後、アメリカは靖国神社をつぶそうとしたことがあ
る。それに東京裁判はアメリカの主導で行われたからね。我々が
靖国反対のキャンペーンをはっても、アメリカは動きにくいだろ
う。そこが我々の付け目だ。」

「アサヒ新聞をはじめ、日ごろ捨扶持を与えているマスコミ、文
化人が沢山いる。彼らにもなかから呼応させればいい」
「そうすればきっとうまくいきますよ。百年彼らを養うのはこの
日のためですからな」
秘密会議が散会したとき、北京の空はすでに落日に赤く染まって
いた。夕空を仰ぎながら親分のリーは赤い顔でいった。
「果報は寝て待てか。ワンさん、待ってて頂戴ね、だな」

A 民主党カーター大統領の時代
任期は一期、1977年1月から1981年1月まで

1978年10月 靖国神社に旧A級戦犯合祀
1978年11月 田中角栄の支持を得て大平正芳首相に(福田
赳夫退陣)

1979年4月19日 新聞、A級戦犯の合祀を報道
1979年4月21日  大平首相靖国参拝
1979年10月18日 大平首相靖国参拝
1980年4月21日  大平首相靖国参拝
1980年6月12日  大平首相急死
1980年7月17日  鈴木善幸氏首相就任(自民党総務会長)
大平氏の派閥宏池会の会長に就任

1980年8月15日 鈴木首相靖国参拝
1980年10月18日 鈴木首相靖国参拝

B 共和党ロナルド・レーガン大統領の時代
任期は二期8年 1981年1月から1989年1月まで
1981年 鈴木首相の靖国参拝 4月21日、8月15日、
10月17日

1982年 鈴木首相の靖国参拝 4月21日,8月15日、
10月18日

1982年11月 鈴木首相退陣
1982年11月 中曽根内閣成立(通称、田中曽根内閣)
1983年 中曽根首相の靖国参拝 4月21日、8月15日、
10月18日

1984年 中曽根首相の靖国参拝 1月5日、4月21日、
8月15日、10月18日

1985年2月 竹下登 創政会なる派内組織を立ち上げる
1985年2月27日 田中角栄脳梗塞で倒れる
1985年 中曽根首相の靖国参拝 1月21日、4月22日、
8月15日

1985年8月15日の参拝後、赤色中国の猛烈な非難始まる。
朝日新聞も同調

1985年 中曽根首相 秋の例大祭に参拝せず
1986年 中曽根首相 靖国参拝せず
1987年11月 竹下登首相就任 靖国参拝せず
1989年6月 宇野宗佑首相就任 靖国参拝せず
1989年8月 海部俊樹首相就任 靖国参拝せず
1991年1月 レーガン大統領退陣
以下次号