私は比較的靖国神社とは縁の薄いほうである。親族で祀られて
いるのは慶応四年一月三日鳥羽伏見の戦いで戦死した一名のみ
である。北進事変(義和団事件)、日露戦争、第一次世界大戦
(青島ドイツ要塞攻略戦)に職業軍人として出征したものがあ
ったが、腸チフスで死に損なったものの無事大佐で退役した。
シナ事変、太平洋戦争では多くの縁者が出征したが、運が良か
ったのか遠縁の一人が戦病死したのを除いて帰還している。
これから申し上げることに誤解されないように、私の基本的な
考えについては、これまでの投稿を読んでいただくことを希望
する。
さて、小泉首相が東条英機を卓越した指導者、あるいは抜きん
出た軍神、救国の英雄として特に念頭において靖国に参拝する
なら反対する。小泉氏の日ごろの言動からすれば、多くの戦没
者全員に哀悼と感謝の誠を捧げるために参拝されるようだから
なんら問題ない。この問題について国内で活発な議論が行われ
ることには反対しない。しかし、外国が口を出し、政治外交の
道具としてもてあそぶことは許すことは出来ない。この点につ
いては別項で講和の問題として論じたい。
「一死以って大罪を謝し奉る」という言葉は終戦時の阿南陸軍
大臣が自決するときに残した言葉である。この文章は当然のこ
ととして、A:誰に対して、B:何に対して、ということが省
略されている。しかし、現代では注釈を入れなければ分かるま
い。好き勝手な解釈が行われるだろう。
誰に対してか、天皇陛下に対してである。今風の言葉で表現す
れば日本国民に対してということだ。
何に対してか、勝利を得ることが出来なかった戦争指導につい
ての敗戦責任である。あくまでも自国民に対する責任である。
この言葉はすべての戦争指導者に当てはまる。とくに、いわゆ
るA級戦犯クラスのうちの高級軍事官僚には例外なく峻厳過酷
に適用されなければならない。言うまでもなく東京裁判は国際
法に違反した茶番である。ここで論じているのは日本の伝統文
化が誇る中世的軍律の倫理である。葉隠れの精神である。
次回:覚悟なき高級軍事官僚