東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

小泉純一郎首相、インフレはいけない

2005-10-19 08:33:30 | 靖国

靖国神社参拝に対するシナ、半島のイチャモンについて『誠意を持って説明を続けていく』だとさ。いい加減にしなさい。のんきなものだ。

そんなにややこしい説明ではあるまい。これまでに何度となく、シナ、半島には説明してきたではないか。決まり文句になっている冒頭のセリフは裏をかえせば、これまでしっかりと説明していなかったということになる。もしそうなら、あなたは首相をやめなければならない。そんなことはあるまい。

目を皿のようにして日本のマスコミ情報を漁っている奴等だ。小泉首相の説明などとっくに承知である。ようするに聞く耳を持っていないのだ。はなから了承する気がない。小泉首相の説明でこれまで不足している点がある。もし、さらに説明、説明というならその点をはっきりと伝えよ。

すなわち、自国の戦没者の追悼慰霊に他国の干渉を許さないとはっきりと言うべきである。『二度と戦争をしないという不戦の、云々』などということを繰り返す必要がない。

言葉も無意味に繰り返すと空虚に響く。言葉のインフレは言葉の値打ちを下げる。それが重要、神聖なことである場合には余計だ。弁慶の勧進帳ではあるまい、小泉首相の馬鹿の一つ覚えのような『説明』は死者の霊に対して冒涜的ですらある。

一番心配なのは、テレビを見ている子供たちに対する影響だ。なんて首相の言葉というものは軽いものだろうと思うだろう。毅然とした態度をとれないのは、ひょっとすると相手のほうが正しいのかな、と思っても不思議ではない。現に、戦後教育を受けてきた大人の世代にもそういう影響が顕著である。シナ、半島は首相が参拝をやめなくても、大きな成果を上げているのである。そのゴールをアシストするようなことをしてはならない。

10月20日:補足

同じ言葉を無意味に繰り返す小泉首相の典型的な例として『適切に判断する』というのがある。たまに言うなら、そうしてタイミングを誤らないならピリッと効くこともある。

しかし、無意味、無内容に繰り返せば白痴化の様相を呈する。はっきりと拒絶するなら、相手の反発は強くても馬鹿にされたと思われることはない。大体価値観を共有しない世界(国際社会は大体そうであるが、シナ、半島は特にそうだ)では『適切に判断する』という言い方はまったく意味を持たない。価値観の共有があってこそ、『適切に判断する』内容が相手に伝わるのである。

一度はっきりと『同じことは二度いわない。あなたの主張は理解できない』あるいは『、、拒否する』と言ったらどうか。相手もはっきりと拒否されたことがわかれば別のアプローチをするだろう。そこで進展があるやもしれない。

『適切に判断する』という発言は発言者自身の白痴化を演出する。相手は馬鹿にされたと思いはっきりと拒否された以上に怒る。なにもいい事はない。『適切に判断する』といわれてはぐらかされたと思われても弁解できない。また、ああ、俺たちの主張を受け入れたじゃないかと後でいわれても抗弁できない。まったく、小泉首相の傍に居る馬鹿は輔弼の責務を果たしていない。