ワンパターンが多い。なにも日本人に限ったことでもあるまいが、日本には日本のワンパターンがある。政治の世界でいうと、護憲と派閥解消というスローガンほど長持ちのするものはない。
明治の末から太平洋戦争まで、いわゆる戦前だが、護憲というのは後光に輝く葵の印籠であった。与党も野党も、軍部までも護憲護憲と唱えれば一応サマになったというから安直なものである。軍部の得意は統帥権の干犯というやつだ。これは護憲なんだね。
戦後はいわずと知れたこと。護憲のありがたさはたとえようもない。社会党、今の社民党、公明党なんていうのは護憲の呪文で屋台を支えている。派閥解消というのもありがたい言葉だ。戦前は藩閥政治打破なんてこともいった。派閥解消ということ。現在で言えば田中、橋本金権派閥の解消というようなものだ。薩摩と長州が政治、軍事の要路を占めていたからね。
ところで、大正末になって薩摩、長州閥が衰えた。制度疲労をおこした。もっともこれは自然現象でね。藩閥政治の象徴である維新の元勲、明治の元老たちが歳をとったというだけの話だ。維新前後に二十代の暴れ者盛りだったものが、大正末年には80歳になる。一人死に、ふたり引退し、と退場していく。後継者というのは育てにくいもので、藩閥政治はいずれにせよ消滅の運命にあった。
軍人の世界に限って見ると、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長などは大正前半までは薩長の人間が多かったが、その後はほとんど出ていないのではないか。より正確な研究は専門家に任せるが、薩長出身で大将になった人間も昭和になってからはほとんどいないはずだ。
陸軍では大正年間、上原参謀総長が薩摩中心の人事をほしいままにして反発をかった最後の大物であろう。上原元帥というのは俳優上原謙の父親か祖父ではなかったか。俳優の加山雄三は孫かひ孫だろう。昭和になると維新のときに幕府についたか、日和見的立場をとった藩の出身者がおおくなる。東条英機は岩手かどこかの小藩の能役者の息子かなんかだ。石原莞爾は会津か福島あたりだし、山本五十六は長岡だったかね。そして彼らはいずれも官僚出身であったことだ(陸軍、海軍大学校卒業の軍事官僚)。維新の元勲のように修羅場を生き残ってきた才覚はもっていない。組織のバックの力を振りかぶるわけだ。勿論政治が分かるわけもない。
そして敗戦を迎える。
大博打 身ぐるみはがれて スッテンテン
維新60年の大業は彼らによって烏有に帰したのである。大罪といわねばなるまい。