東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

直木賞

2008-07-08 17:42:30 | 社会・経済

かって明治維新後最大の国賊は直木三十五であると書いた。その続きだ。

石原慎太郎くんのはなしをすこししておこう。彼は芥川賞の作家だ。知ってますよ。かれの小説はよんだことがないが。

物書き仲間の遠慮というのを奇異に感じたことがある。石原氏の政治的発言には同意できるものが多い。

小説家の類には政治的な発言をするのが多い。おとなしく小説を書いていればいいものを。大体左が多いがね。その点では石原君は異色だ。ところがその彼が左の政治家(自民党を含めて)に対しては歯に衣を着せぬ批判をするのに小説家仲間のピンクちゃんには実に遠慮がちな物言いだ。

それがこの世界の仁義なのか。批判をすると陰湿な仕返しをされる世界であって、お互いに作家同士では相手の政治的主張を批判しないという暗黙の了解があるのかな、と思った次第。これは大体において当たっているだろう。

いってみれば文壇(大衆小説を含めて)というのは極めて狭いサークルで、一応クラブメンバーに選ばれるの栄誉を得ると、お互いには批判をせず、むしろ積極的にお互いをヨイショする互助クラブである。そのかわり、クラブ入会の敷居はうんと高くして未加入者にはあることないことイチャモンをつける連中ということになる。

文壇の中を泳ぎまわるのを生活の糧にしている連中がいる。評論家の類だ。連中はお互いに相手を褒めまくり舐めまくっている。さながらホモクラブである。石原慎太郎くんはそこまではしないが。

文壇というのは、言ってみれば、田舎の街道にポツンと建っているゲイバー見たいなものだ。十人も入れば満員になるような。

そういう意味で仲間の著書の解説や批評にはひどいのが多い。以上が前説である。

+ さて、先日文春文庫「直木三十五伝」植村鞆音著というのをあがなった。文庫としては新刊であるが、単行本としては2005年に出たものだそうだ。冒頭にも書いたが拙稿「直木は国賊」に関連して彼の「南国太平記」執筆当時の情報があるかな、と思って買ったわけ。

南国太平記関連は10ページ、それに縄田一男という人物の書いた巻末解説を読んだだけであるが、これをネタに少々書いてみようというわけである。

縄田というのは典型的な提灯屋亀吉だね。これから書こうか、南国太平記から書こうか、てなもんだが、前にも書いたが現在直木三十五の小説は古本屋にしかない。全然復刻されない。文庫でも。縄田が解説の初めでなぜ復刻されないかを後述するなんて見栄をきっている。それにつられて、彼のひどい文章を最後まで読んだわけだ。ところが後述なんてない。わけのわからないことが書いてある。

ま、そんなわけで前からの疑問である、南国太平記は直木の小説の中でどういう位置を占めているかを直木三十五伝に相談してみた。それによると南国太平記は直木の代表作であり、この小説によって彼は流行作家としての地位を確立した、そうである。

この本の著者であるが、直木の甥だそうだ。どこかの映画会社の人らしいからいわば関連業界の人だ。親戚であるからいろいろ情報もあるだろう。もう一つの特徴は当時の小説家たちの批評をこまめに集めていることだ。これらの批評にはひどいものがあるが、それは後でふれたい。しかし、この著者、著作については特段の批判はない。ただ、引用されている「錚錚たる小説家」の批評は片っぱしからやり玉にあげるでありましょう。

++ 南国太平記というのは幕末薩摩藩の家騒動を題材としている。幕末のアルカイダであった西郷隆盛が元藩主斉彬の異腹の弟久光を攻撃するために流した怪文書を種本としている。久光はおゆらの子であり、昭和天皇のお后はお由良の四代目か五代目の孫娘である。

新聞の連載小説で即位したばかりの昭和天皇のお后の実家をエログロ・ナンセンス調で悪者扱いにしたきわもの小説である。これが一年以上も新聞に連載されて大変な人気だったという。治安維持法下の当時は今よりもマスコミの自由があり、マスコミの臆病者の自主規制がなかったことが分かる。

昭和五年から六年まで一年以上も連載は続いた。昭和天皇は即位して間もない。また連載が終わる前に天皇の意向にお構いなしに軍事官僚が満州事変を引き起こした。ここに天皇に対する尊崇の念はまったく絶えたのである。

青年将校だって新聞小説なら読む。この小説が天皇に対する尊崇の念を毀損するに大きな影響があったのは明白である。軍事官僚や青年将校なる田舎者には天皇は錦の御旗として利用するものになってしまったのである。

これが「直木は最大の国賊」の要旨である。植村の「直木三十五伝」によると新聞に連載中満州に旅行している。当時の治安の悪い満州を旅行するのに日本軍の全面的な支援は不可欠である。南国太平記の愛読者である多くの職業軍人に大いに満州で世話になったにちがいない。

また、このころ直木はファシスト宣言なるものを行っている。文士特有の諧謔がすこしはあるにしても、このような問題で心にもないことを言えるものではない。言うまでもなくファシストというのは天皇制の対極にあるものである。昭和天皇は共産主義よりファシストを嫌っていた。当然である。

次回からは菊池寛、小林秀雄、谷崎潤一郎くんなどの珍妙な意見を紹介していこう。