東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

歴史探偵半藤一利の珍説4

2009-05-15 20:18:31 | 社会・経済

さて、以上で太平洋戦争を始めたのが薩長という半藤説が狂人のたわごと、幼児の説であることが分かったわけだ。もっともこんなことは縷々言うまでもなく常識だがね。

さて、昭和の軍閥が明治維新の功労者に対する佐幕各藩のルサンチマンを元にしていることがわかったわけだが、東軍といっても色々ある。徳川幕府本体、御三家、それにゴミみたいな佐幕各藩(東北、北陸に多い)とあるのだが、ルサンチマンはことのほか子分格の東北、北陸の小藩に強い。幕府本体、徳川宗家は潔く諦めているのに佐幕派の末裔はいつまでも「関ヶ原のうらみ」てなことを言っている。

たとえば東条英機、かれは盛岡の佐幕藩の最下層つまり能役者の家柄だ。彼の父も軍人だが、薩長閥に邪魔されて中将にしかなれなかったと思い、その恨みを息子の英機に徹底的にたたたきこんだという。

東条を靖国神社に合祀したときの宮司も元軍人で松平なにがしという。もとは北陸の徳川親藩のお殿様だ。だから関ヶ原の恨み、もとへ明治維新の恨みからしても東条を無理やり靖国に祀りたかったと思われる。満州事変を計画した石原莞爾はたしか会津か福島だ。太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六は長岡藩、戊申戦争で薩長に滅ぼされた。

つまりだ、太平洋戦争は明治維新で滅ぼされた東北、北陸戦争の敗者が権力を奪取して始めたものである。


歴史探偵半藤一利の珍説3

2009-05-15 16:24:46 | 社会・経済

政治は結果責任であるという。外交軍事も政治である。確かに薩長閥というのはあった。しかし、大正末年に崩壊するまで薩長閥が指導した外交軍事で国を危うくしたものはない。すべて国力の伸張をもたらしている。

それに引き換え、薩長閥打倒を大義名分とした昭和の軍閥が成功した外征は一つもない。わずかに満州事変が初期の成功といえるが、外交的根回しという軍事行動には不可欠の要素が小学生的であったために、直ちに国際場裏で窮地に追い込まれている。実質すべて彼らのやったことは大失敗の連続である。

元老たちが取った路線を引き継いでいれば対英米戦争は行われるはずがない。山形有朋は不可能とも思える日英同盟を実現した人物である。また、伊藤博文は山形以上に慎重派だ。

海軍は薩摩藩が握っていたが、日本海軍はイギリス海軍を範としていた。英米戦争で国際紛糾を解決するという発想は出てこなかっただろう。


歴史探偵半藤一利の珍説2

2009-05-15 15:50:23 | 社会・経済

大正時代おわりの軍縮反対(いまならリストラ反対という)から始まり大正デモクラシーで汚染されて上の者に楯突くことをおぼえた時代に育った軍事官僚若手による、昭和初期の軍部内下克上は、疑似ルサンチマンといえようか。

一種の矮小化された「関ヶ原」である。明治維新がいうまでもなく薩長の関ヶ原に対する徳川へのルサンチマンであるのになぞらえれば。

それは地方関東軍の独走による満州事変であり、515、226事件である。このルサンチマンは明治維新に対するルサンチマンである。じゃによって、主体は戊辰戦争の敗北軍である東軍の末裔による。

下級幹部、青年将校による一連の命令無視、天皇の統帥権のあからさまな干犯は軍部最上層幹部たちの間にも波乗り大ちゃんを決め込もうという便乗主義者に事欠かなかった。

226事件の際、陸軍指導部ははじめ容認する立場を示したが、昭和天皇が断固鎮圧を表明すると豹変したのである。しかし最終的にはなし崩し的に目的を達成した。

きっかけは明治維新後の日本を指導した薩長の元老がいなくなったことである。その象徴が大正末年の山形有朋の失意のうちの死である。ある意味でこれは軍部不逞分子(青年将校)と大正デモクラシーのおかげで院外団から右翼に昇格した連中が対山形有朋戦争に勝利したことによる(宮中某重大事件)。


歴史探偵半藤一利氏の珍説1

2009-05-15 13:26:48 | 社会・経済

さて、産経新聞に掲載された無免許歴史探偵半藤一利氏のインタビュー記事だ。天下の産経新聞に出ると笑って無視するわけにもいかない。面倒くさいことだが、ものぐさ探偵、無給探偵のそれがしが教育をかってでた。

太平洋戦争をやめるのに体をはったのは鈴木貫太郎であり米内光政だというのだ。ばかばかしくて話にならない。

太平洋戦争を「体をはって」止められたのは昭和天皇だろうが。不敬不忠無学の罪軽からず、よってきょう首申しつくるものなり(裁判員制度導入後第一号判決)。

鈴木貫太郎はどうにもならなくなってポツダム宣言を受け入れた後始末をした事務方にすぎないだろうが。自分のイニシャティブなどない。米内なんて何をしたのだ。

敗戦処理に薩長出身者が居ないのは昭和初期に粛清されてしまったからだ。昭和になってから陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍大臣、海軍軍令部総長になった薩長出身者がいるのか。陸軍では大正時代の上原参謀総長(薩摩藩、俳優上原謙の父、俳優加山雄三の祖父?)が最後だろう。

まだまだ続くよ

以上は産経新聞5月13日朝刊、「歴史探偵が語る新幕末史」インタビュアー桑原聡、インタビュイー作家半藤一利)についてのもの。