サムライの美徳は色々ある。その一つは潔さである。武士は力の信奉者である。じゃによって、自分が負けたときには潔く認めて、どんなに汚い相手であっても、負けたら勝者を素直に認めてその長所を学ぶ。第二次大戦後アメリカ賛迎の風潮もこれにあたる。
その意味からすれば汚い闇討ちではあってもロシアに負けたことを認めることもこれまた日本的美質と言えないこともない。負けたんだから領土を分捕られてもしょうがない、とそこから発想をスタートする手もないわけではない。
サムライの美徳はほかにもある。復讐である。忠臣蔵である。大石内蔵助である。曽我兄弟である。これも認めないわけにはいかない。
そして、その前に絶対にしなければならないことは戦争責任の追求である。戦争は政治である。政治は結果責任である。千島列島を失い、サハリンをうしない、朝鮮半島を失い、満州を失い台湾を失った。これら明治維新以来60年の大業の成果を烏有に帰せしめた我が国の戦争指導者を徹底的に糾弾しなければならない。それを靖国に祀るなど論外である。300万の英霊に対してこれほどの無礼冒涜はない。