東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

叡慮の存するところ2、縦割りOK

2015-08-09 16:40:35 | 戦後70年首相談話
官僚制度が文句なくOKの場合が有る。仕事の効率性がフルに要求される場合である。官僚制度は利刀である。戦後に例えれば壊滅から復興への過程では官僚制度の切れ味が最高度に利用された。高度成長期も終わりになりバブル以降になると官僚制度の効率性は必要なくなり忘れられる。効率性を無視しても日本という機械は動き続ける。この場合官僚制度とは無停電電源装置となる。政党政治が機能しなくなり停電しても無停電電源装置があるから表面上の変化はない。したがって官僚どもは自分の既得権益のみに関心を向けた。

絶対に官僚制度の独走を許してはならない場合は国家として乾坤一擲の決定あるいは政策変更をする時である。それに反して、規定の目標に向って貧窮のなかで遮二無二進む意外にない場合には縦割りがもっともよく切れる刀となる。

さて、そろそろ表題の本題(叡慮の存するところ)に入る。今朝のテレビで、今上天皇が今年の年頭にのべられたお言葉、「満州事変以降をふりかえり」云々について議論があった。

一部の出席者が言っていたが、これは陛下が暗に他のことについて言われたのではないか、との意見があった。具体的にその論者は述べていないから彼がどういうつもりで言ったのかは不明である。

叡慮の存するところを忖度することは恐れ多いことであるから、そういうことではなく、私見として歴史についての指摘をしたい。

東京裁判で連合国が満州事変から論難を開始していることが現在の国民の認識になっているかどうかは知らない。これは甚だ恣意的な行為であり、まず反論しなければならない。満州事変から初めれば彼らには都合がいいということにすぎない。
なぜアメリカのハワイ略奪から始めないのか。時期はそう離れていない。一方はアメリカのさとうきび入植者がテロリストのようにハワイ王族を拉致監禁してハワイを支配下に置いた事件である。アメリカ下院はこれを追認してハワイを正式の領土とした。

満州事変は日本の軍部が関係して、本国政府が追認した。実質的な違いは存在しない。当時の国際社会では日常茶飯事のように行われていたことである。

おかしいと言えば東京裁判の記録映画にはハワイの地図がない。太平洋戦争は日本がハワイを攻撃したことから始まった。ところが裁判所となった四谷の旧陸軍士官学校の講堂に掲げられた地図は太平洋でハワイの西から始まっている。いかにアメリカが自国のハワイ略奪を日本側から指摘されるのをいやがっていたかが如実にわかる。**

 叡慮の存するところ

2015-08-09 09:24:00 | 戦後70年首相談話
先ほど終わったフジテレビ、なんと言うのかな「報道2001」か、猪瀬もと都知事が出ていた。健在だね。

意思決定が戦後も戦前も同じで縦割りだというのが問題だと言っていた。忘れてはならない視点だが、組織というもの、あるいは党派というものがある限り日本だけの欠陥(長所の場合もあるのだが)ではなかろう。アメリカでも同様ではないか。もしアメリカが現在に至る歴史で縦割りの欠陥面が国策を誤るまでに表面化していないとしたら、その理由を、我が国との違いを究明しなければなるまい。

それにはしかるべき理由があるのか、単に幸運に過ぎなかったのか。大いに論じなければならない。この観点から日本の明治維新以降を分析するなら三期に分かれよう。明治から大正末年まで、大正末年から終戦まで、そして戦後である。

大正末年まで縦割りの弊害を阻止したのは維新の元勲すなわち元老達である。明治維新が成功しなければ日本は欧米の植民地になっていたことには何の疑いもない。明治の日本の指導者の念頭を片時も離れなかったのは、欧米という肉食恐竜から身を守ることであった。したがって、外部の情勢蒐集につとめ、我が国の国力を冷徹に把握した。そして国際協調というか組むべき同盟相手を慎重に選択した。すべては元老達の合議によるもので、制度的な裏付けはない。ないからうまくいったということだ。しかしもちろん、制度的な裏付けがないことが生き残りの条件ではない。結果的に彼らの判断が正しかったということである。

元老達が鳩首談合したのは制度的裏付けに基づく物ではない。大正末年最後の元老山県有朋が死去すると、縦割りの上に君臨し調整する装置はなくなる。皮肉にも明治の元老達が苦心して完成させた官僚制度がようやく送り出した鬼っ子(精華)である官僚制度が肥大完成の極に達した。そしてもっとも完備した官僚制度は陸軍と海軍である。ここで猪瀬氏の説と繋がる。