戦後の天皇制の法的基盤は勿論現行憲法であるが、それより一年以上前の昭和二十一年年頭に渙発された詔書が方向を決した。いわゆる天皇の人間宣言と言われるものである。時系列的に記すと
昭和二十年八月十五日 終戦
昭和二十一年一月一日 天皇の人間宣言(年頭の詔書)
昭和二十一年十一月三日 新憲法公布
昭和二十二年五月三日 新憲法施行
この詔書は一千語以上の長いものであるが、その中に次の一文がある。
「朕と爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説ニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)*トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延イテハ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ有ズ。」
*現人神(あらひとがみ)
戦前の一時期の天皇の極端な神格化で一番迷惑したのは昭和天皇御自身だったろう。この年頭の詔勅は軍部などによるストーキング行為ともいえる一方的神格化への決別を表明したものである。
世上ではこの人間宣言はアメリカ占領軍の圧力によると言われるが、必ずしも占領軍の一方的なイニシアティブとは考えられない。天皇の意向とアメリカの意向が折り合った結果と見るのが妥当だろう。
三島由紀夫などはこの表明に大いに不満だったらしい。なぜ新憲法の折衝(アメリカとの)が終わるのを待てなかったのかという意見もあるらしい。つまり、もっと交渉すれば「象徴」より旧憲法に近いステイタスが実現できたのではないか、ということらしい。あるいはそうかもしれない。しかし、他方天皇が方針を示さなかったら交渉は混乱して政情は不安定化していた可能性も大きい。なにしろ終戦直後の大混乱期である。旧軍による巻き返しもありえた不安定な時代であった。