凄腕との評判のあるやり手下士官が表舞台に飛び出した。
不安を感じる人も多いだろう。 玄関横の書生部屋に居て来客の取次ぎをしていた書生がいきなり応接間のソファで主人として客と応対している。 唐突な感じは否めない。
どうも消去法で決まったらしい。自民党の大勢は石破だけは首相にしたくない。岸田でもいいが、彼では石破に勝てないと見て菅を選んだという。
近代国家(現代自由主義陣営の国家と言ってもいいが)の政治の要諦は政党による次期首相あるいは大統領の選出過程が正常有効に機能しているかどうかである。それには政党のリーダー選出過程に瑕疵がないことである。公正であることと言ってもいいが、そうすると公正の定義が難しいから瑕疵がないというが。
アメリカの大統領は直接選挙というが、有力な政党の中で選出されてきた人物しか大統領候補にはなれない。勿論政党の支持を得ないで大統領選挙に立候補することは可能だが、そういう泡沫候補が大統領に当選する可能性はない。
日本ではどうも政党の首相候補選出の機能が不全であるとの感じは否めない。ここも遠慮して「感じは」と言うにとどめたが。 もちろん、脱皮というか様変わりして、新しい地位にふさわしく変貌する(シナの言葉でいえば豹変とか虎変)という意見もあるが、ゾンビならともかく、71歳の老人に期待するのは酷である、難しい。しかもバックシートドライバーが81歳の古だぬきとあっては若干の危惧を抱かざるを得ない。