本日までの鳥越出走馬の調教診断(テレビで見たかぎりでの)である。
言うことがトンチンカンなのは老人性痴呆の現れだろう。痴呆症状はまず間欠的にあらわれる。だから黙っているとごく身近にいる人間でも気が付かないことがある。しゃべることも痴呆状態がオフの時は無難なことをいうから、それだけ聞いた人は気が付かないのである。
彼を操る民進党の都幹部があまり演説させないのも、ボロを目立たない様にするためだろう。ストレスがかかる演説等では当然おかしなことをいう。彼が「私の好奇心は18歳並みに旺盛だ」と短い演説のなかで強調していた。これは彼の覗き屋(三文色事ジャーナリスト)の習性が言わしめたものだろう。都知事の職務には覗き屋的好奇心は邪魔になる。まったく不要である。覗き屋根性だけで都政を運営しようとすれば大変なことになる。その判断がつかないのだ。
巣鴨での演説(と称するもの)もひどい。新聞報道によるとtwitterかなにかで1300時から巣鴨で演説すると宣伝しておいたのに、現地に到着したは30分おくれ。しゃべったのは1分たらず。連れて来た客寄せの森進一に聴衆との握手を代行させて、すぐに次の会場に向ったそうである。
記者に演説しないのかと聞かれて、「渋谷で渋谷で」と言っているのが録画されていた。巣鴨の聴衆はどうするのだ。彼らの間から「馬鹿にするな」と声があがったという。
そりゃ癌の治療をして小康状態を保っていて、余命がいくらか伸び得るのは、穏やかな規則正しい生活を送って養生すれば、という条件である。癌を再発させないためにはストレスを避けるのは常識である。それを健康人であるかのごとき詭弁を弄し、都民を欺く。彼がまじめに都知事を務めるとすれば任期の早い段階で癌が再発する可能性が高い。痴呆状態にも完全移行する。その代償は都民が払うのだ。投票者はよく考えなければいけない。無責任極まるおとこである。もっとも彼が都政を放棄し、神輿を担いでいるゴミ政党たちに実務をまかせ、古賀とかいう男に丸投げしたら四年間生きながらえるかもしれない、都民の犠牲の上に。
言うことがトンチンカンなのは老人性痴呆の現れだろう。痴呆症状はまず間欠的にあらわれる。だから黙っているとごく身近にいる人間でも気が付かないことがある。しゃべることも痴呆状態がオフの時は無難なことをいうから、それだけ聞いた人は気が付かないのである。
彼を操る民進党の都幹部があまり演説させないのも、ボロを目立たない様にするためだろう。ストレスがかかる演説等では当然おかしなことをいう。彼が「私の好奇心は18歳並みに旺盛だ」と短い演説のなかで強調していた。これは彼の覗き屋(三文色事ジャーナリスト)の習性が言わしめたものだろう。都知事の職務には覗き屋的好奇心は邪魔になる。まったく不要である。覗き屋根性だけで都政を運営しようとすれば大変なことになる。その判断がつかないのだ。
巣鴨での演説(と称するもの)もひどい。新聞報道によるとtwitterかなにかで1300時から巣鴨で演説すると宣伝しておいたのに、現地に到着したは30分おくれ。しゃべったのは1分たらず。連れて来た客寄せの森進一に聴衆との握手を代行させて、すぐに次の会場に向ったそうである。
記者に演説しないのかと聞かれて、「渋谷で渋谷で」と言っているのが録画されていた。巣鴨の聴衆はどうするのだ。彼らの間から「馬鹿にするな」と声があがったという。
そりゃ癌の治療をして小康状態を保っていて、余命がいくらか伸び得るのは、穏やかな規則正しい生活を送って養生すれば、という条件である。癌を再発させないためにはストレスを避けるのは常識である。それを健康人であるかのごとき詭弁を弄し、都民を欺く。彼がまじめに都知事を務めるとすれば任期の早い段階で癌が再発する可能性が高い。痴呆状態にも完全移行する。その代償は都民が払うのだ。投票者はよく考えなければいけない。無責任極まるおとこである。もっとも彼が都政を放棄し、神輿を担いでいるゴミ政党たちに実務をまかせ、古賀とかいう男に丸投げしたら四年間生きながらえるかもしれない、都民の犠牲の上に。