先月30日大阪高裁が妙な判決を出した。
台湾の原住民と大陸シナ人との合の子たちが、小泉首相の靖国参拝で「民族的、宗教的人格権が侵害された」として損害賠償を求めた控訴審で、大谷正治裁判長は「利益侵害はなかった」として原告の請求を棄却したが、裁判長は「首相の靖国参拝は憲法の禁止する宗教的活動にあたる」と余計なことをいった。
余計なこととは、原告の損害賠償請求の棄却という判決には如上の裁判長の「個人的信条、判断」はまったく影響を与えないからである。こういうのを傍論というらしい。ワキの話ということだろう。なぜこんなことを付け足すのか。判決にかこつけて特定の司法労働者の主張を挿入する「言い得」を許していいのか。
原告の訴状にあるとかいう「民族的、宗教的人格権」というのも聞かない言葉だ。特定の主義者集団の作り出した生煮えのハンバーグみたいなものだろう。あたらないように気をつけよう。ひとり10万円の損害賠償を求めたそうだ。
そういえば、前日29日には似たような訴訟に東京高裁で正反対の判決が出た。「小泉首相の靖国参拝は政教分離を定めた憲法に違反し、精神的苦痛を受けた」と戦没者遺族がひとり10万円の慰謝料を求めた裁判で、一審の千葉地裁は「首相の参拝は私的で、違憲主張は前提を欠く」として請求を棄却した。29日東京高裁の浜野裁判長は一審を支持した。
両方とも一人10万円と同じ額を請求しているあたり、おなじ主義者集団の弁護士がからんでいるのだろう。それにしても芸が細かい。「民族的、宗教的人格権」と言うかと思えば「精神的苦痛」といって見たりする。類似の訴訟は平成16年2月以来10件あるらしい。みんな意匠を凝らして訴状の内容に工夫をしているのであろう。おっと、このうち高裁までいったのが4件あるから、訴訟としては6件ということかな。地裁高裁延べで10の判決が一昨日までに出たわけだ。
これを分類して見ると、参拝の公私の判断については公的とする判決4例、私的とするもの2件、判断をしていないもの4件となる。また、憲法判断については、判断せず、とするものが8件、違憲とするものが2件である。
公的、私的と判断する理由としたものもバラエティに富み(言い換えれば取りとめもない)、トリビアリズムに堕している。要するに、裁判所の判断することではない、客観的な議論など難しいものであることを示している。公用車を使ったからどうのこうの、玉ぐし料をポケットから出したとか、記帳で肩書きを書いたかどうか等など。こうしてみると、「判断せず」とした判決は司法労働者の身の程をわきまえた適切なものと言う事が出来る。
大体、憲法で原則論を漠然と示しているものは、その具体的な解釈、適用について裁判所、特に下級審で理屈を捏ね回すのに適していないものが多い。靖国訴訟がそうだし、選挙の際の一票の格差の問題などがそうであろう。「一票の重み」については最高裁の判断が出ているようだ。政治家は謹んでお受けするように装っているが、腹のそこでは今に至るまでやる気はない。
つけたり(田舎言葉で付け足しとも言う):いい忘れた細かいことを記す。
大阪高裁の判決では首相の参拝のためにインターネットのアクセスが増えて、なんだっけ、国民の間に靖国参拝者が増えるという「悪影響」をもたらしたというのがあった。こんな意見は愚者か狂人でなければ吐けない名言である。シナ、半島が理不尽なイチャモンを付けてきたからこそ、国民の関心が高まったのではないか。かく申す拙も靖国なんか首相が参拝してもまったく関心がなかった。朝日新聞が悪大陸、半島の代弁をして大量の思惑報道をしてくれたおかげでこうして一文をものするまでに関心が高まったのである。
ところで、インターネットについて、おかしなことを判決で言っていたが、どういうことだったかなと思っていたら、さすがは朝日新聞。10月1日の社説で参拝賛成者の首でも取ったように得意満面で引用している。
「神社のホームページのアクセスも急に増えた。これらは<特定の宗教を助長、促進する役割>を果たしたことをうかがわせる」だと。この狂人の書き流しがすんなりと一部読者の頭には入るのだろうか。おそろしいことだ。
1日の朝日新聞の社説は「司法の判断がこれだけ分かれた以上、参拝を強行すべきではない」とある。司法の判断がとりとめなく拡散している事実こそ、この問題を司法の場に持ち出すことが間違いを示しているのではないか。前段の事実認識はよし、後段の結論は分裂病者、主義者の特徴である。
朝日新聞の社説は「外国からの批判とは別の話である」と締めくくっている。悪大陸、悪半島にご注進、ご注進と内通して外から圧力をかけることに失敗したので、1,2のおかしな判決を盾にとって強弁しようとするらしい。ご苦労さんと言わざるをえない。
靖国問題にせよ、選挙制度にせよ、民間で意見を戦わせるべきものだ。選挙制度などは、意見を集約するなら政治的過程を経て行うべきものだろう。断じて舌足らずで思想未熟な司法労働者諸君の意見発表の場所としてはならないのであります。