東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

直木賞第二部

2008-07-10 19:13:27 | 社会・経済

素人の同好会なら群れてもいい。同人誌なんてのがある。

商いのために文士が徒党を組むのは田舎っぽい。もっとも昔からあったのだろうが程度問題だ。江戸時代にもあったろうし、明治時代に尾崎紅葉の硯友社なんてのがあった。まだ限度をわきまえていた。

その淵源を近代に限って振り返るなら(こういう言い方は言語使用の自己矛盾だがネ)、昭和初期の菊池寛の文芸春秋社だろう。あまりにも見境がなく、田舎っぽいやり方は繰り返し永井荷風の格好の揶揄の対象になっている。

後世に引き続いて公刊される作品もなく、拙劣な文章の直木三十五が現代にも重きをなしているのはなぜか。これは余輩を悩ませるなぞであったのだ。

今度この「直木三十五伝」を読んで、わかった。どうやら直木は文壇互助販売組合の政治屋(周旋屋)であったのだ。だからこそ、菊池寛は直木賞を設けて亡友の労をねぎらったのである。

であるからこそ、今でも直木賞受賞者というと三越の中元包装紙くらいのありがたさがあるのである。

+ 今では古本屋で見つけるのも苦労する直木三十五の「南国太平記」などに私が興味を持ったのかと皆さんはいぶかしく思われるであろう。みなさまのご不審まことにごもっともなれば、ここにいささかご説明をしたい。

今を去ること何十年前(年代失念、まだインターネットはなかった)、薩摩藩のお家騒動を調べたことがある。それで資料にどんなものがあるかと、あたったのであるが、これがない。鹿児島県立図書館に問い合わせたところ、三田村鳶魚の薩摩藩お家騒動という文章だったかな、それと直木の南国太平記を紹介された。両方とも資料なんて呼べるものではない。

三田村の文章は講釈調のもので、旧薩摩藩士加治木某なるものからの「聞き書き」(インタビュー)と断ってある。加治木は明らかに西郷隆盛の心酔者である。南国太平記も西郷派の主張を一方的に取り入れた幕末の政治的怪文書をネタ本にしているものであることは明々白白である。

しかし、ほかに「資料」はない。なにしろ鹿児島県立図書館ご推薦である。こういう場合にはこれで調べるよりほかはない。しかし、こういうときには調べ方にコツがあって、「資料」を批判的に読む必要がある。

ま、そういういきさつで南国太平記も読んだわけだ。資料としては今いったように一方的に西郷派の主張を取り入れていて、きわめて明快、すなわち善玉は斉彬、西郷、益満らである(小説の登場人物からいえば)。悪玉は島津久光、おゆら、調所笑左衛門らである。

これは明確に史実に反していることはいうまでもない。直木の文章、あるいは小説の面白さという点に関しては私はまったく興味を抱くことはできなかった。三田村とほぼ同じ構造なのでアンチ資料としては南国太平記は一読後不要となった。また小説としての興趣もないので読後捨ててしまった。

じゃによって、どこが拙劣なんだとか、小説としてどうして稚拙なんだと詰め寄られてもすでに忘却のかなたなのだ。読者は反論されるというのか、「直木三十五伝}によれば直木三十五の文章、小説はあの谷崎潤一郎や川端康成などの純文学の大家も褒めそやしているではないか、と。

読者の鋭い舌鋒には、私としては主張を繰り返すほかはない。おそらく多くの文士、というよりかはほとんどの当時の文士が直木の文章にチョウチンをつけたのは文芸春秋社、菊池寛、直木三十五らの文壇政治集団に彼らが媚びざるを得なかったということだろう。

それはそれでいい。長いものには巻かれろとうのはいつの時代にも大切なことだ。しかし、現代の評論家までが半世紀以上も前のようなオベッカを使うのは感心しない。文庫本巻末の解説者縄田一男のように。

注:前回の拙稿中「直木は国賊」とあるのは、2007年6月27日の「維新後最大の国賊(3)」のことです。

++ さてお約束の斯界の大家たちの好意的コメントを俎上にあげる。この伝記は当時の文士仲間の親玉たちのコメントを貼り合わせたようなものなのだ。巻末には長い参考文献リストがあるが、文中の個々のコメントがどの文献からくるかは明記されていない。

はたして、これらの列挙された参考文献のなかにあるのか、あるいは直木の残した(かもしれない)新聞の切り抜き・スクラップ・ブックにあるのか。あるいは著者が図書館などのマイクロフィルムで当時の刊行物を片っ端からあたったものかわからない。とにかく信用して進むしかない。

といっても、見るのは本文中南国太平記に関する10ページと巻末解説で縄田一男氏が引用しているコメントだけである。

時代小説という言葉がある。また歴史小説という言葉がある。これは同じなのかね、違うのかね。オイラには分らんのである。さらに史伝なんていう言葉もある。南国太平記は時代小説であるというなら分かる。これが歴史小説などというとどうも妙だ。

ところが菊池の寛ちゃんによるとこうだ。「彼出でて初めて日本に歴史小説が存在いしたといってもいい」だと。こんなことを言ってもいいのかね。谷崎潤一郎は「直木君の歴史小説について」という文章を書いている。菊池寛がいうから逆らえなかったのだろう。

この本の著者は「ほぼ史実に則りながら」書いてあるという(190ページ)。ここだけは削除したほうがいい。史実を確かめずに、あるいは史実を捻じ曲げてと書くならいい。もっとも「ほぼ」という言葉が曲者だ。1パーセントでも「ほぼ」史実にもとづいて、ということなのかもしれない。

ほかに小島政二郎、宇野浩二、吉川栄治なども提灯をつけている口だ。

史実にのっとらず、資料を批判的に考証せず、片一方の政治的怪文書を無批判になぞり、エログロ・ナンセンスで味付けしたものが歴史小説というのかね。

日本の文壇はそれ以後今日まで菊池寛が言ったことがルールになっているらしい。

菊池の論法はミートホープの偽装牛肉よりひどい。どこかのにせ飛騨牛の社長よりも悪質だ。第一彼らのように愛嬌がない。

+++ 教養が邪魔してね、てなことを言う。どうも仰天した。解説者の縄田一男がもったいをつけて、直木の小説が現在読まれない理由を後述するといった文章の最後にきた。

「換言すれば、読者の側に直木の作品を理解する教養が欠落してしまった」そうだ。教養は直木の作品を拒絶するものと思ったが、あにはからんや、教養がないとエログロ・ナンセンスで事実無根な「歴史小説」は理解できないそうだ。いったいどういう教養なんだべ。

絶句するね。現代の読者には教養がない。たしかにね。だから直木の作品に対する抵抗はなくなる、というなら分かる。

そういうお前はどうなんだ、って? いやはや一本取られましたな。お後がよろしいようで。


サミット議長ご苦労さん

2008-07-09 18:57:08 | 社会・経済

福田首相も案外タフだね。ぶっ倒れるんじゃないかと思ったが最後まで変わらなかった。

かれも国内政治と違い小姑がいないからよくやった。テレビを見ると百姓男や女の大学教授、評論家、ジャーナリスト、「ゲスト・コメンテータ」という名の白痴が福田首相に落第点を与えている。

G8というのがもともと何ができるのか彼らは考えたことがあるのかね。びっくり箱でも開けてくれると思っているのか。

これまでのサミットに比べれば、福ちゃんのまとめは水準以上だよ。

ゲストのコメちゃんはいろいろ珍妙なことを言う。イタリアやフランスの首脳との会談が実現しなかったのを深刻に振られたようにいうが、困ったものだ。議長というのは忙しいんだよ。この根性が惨めったらしいね。フランスやイタリアの首脳に会談をしていただくのを無上の光栄のように言う。してもらえれば感激ものらしい。百年も前の感覚だぜ。

今回は例年よりも異例に長く、しかも食事の間も実質的な討議をしたようだ。儀礼的な首脳会談など議長の仕事の生産性を損なうだけだ。そこを配慮して中止になったと考えるのが普通じゃないの(実際にそうだったかどうかは知らない)。

いろいろと日本の主張が通らなかったようなことをいうが、もともと議長というのは一番制約が大きい役どころだよ。議長という制約がなければそりゃ思う存分あばれられるさ。議長が率先して暴れたら会議は即おわりになる。

わたしも福田首相についてはこれまで否定的なことを書いてきたが、サミットについては平均点以上を与えたい。もっともこれが延命にはつながらないだろうがね。

とにかく、小泉純一郎には議長がまわってこなかったが、サミット舞台では、福田は小泉よりかは上だね。もちろん一ダースほどの竹下ロボット首相とは比較にならない。


直木賞

2008-07-08 17:42:30 | 社会・経済

かって明治維新後最大の国賊は直木三十五であると書いた。その続きだ。

石原慎太郎くんのはなしをすこししておこう。彼は芥川賞の作家だ。知ってますよ。かれの小説はよんだことがないが。

物書き仲間の遠慮というのを奇異に感じたことがある。石原氏の政治的発言には同意できるものが多い。

小説家の類には政治的な発言をするのが多い。おとなしく小説を書いていればいいものを。大体左が多いがね。その点では石原君は異色だ。ところがその彼が左の政治家(自民党を含めて)に対しては歯に衣を着せぬ批判をするのに小説家仲間のピンクちゃんには実に遠慮がちな物言いだ。

それがこの世界の仁義なのか。批判をすると陰湿な仕返しをされる世界であって、お互いに作家同士では相手の政治的主張を批判しないという暗黙の了解があるのかな、と思った次第。これは大体において当たっているだろう。

いってみれば文壇(大衆小説を含めて)というのは極めて狭いサークルで、一応クラブメンバーに選ばれるの栄誉を得ると、お互いには批判をせず、むしろ積極的にお互いをヨイショする互助クラブである。そのかわり、クラブ入会の敷居はうんと高くして未加入者にはあることないことイチャモンをつける連中ということになる。

文壇の中を泳ぎまわるのを生活の糧にしている連中がいる。評論家の類だ。連中はお互いに相手を褒めまくり舐めまくっている。さながらホモクラブである。石原慎太郎くんはそこまではしないが。

文壇というのは、言ってみれば、田舎の街道にポツンと建っているゲイバー見たいなものだ。十人も入れば満員になるような。

そういう意味で仲間の著書の解説や批評にはひどいのが多い。以上が前説である。

+ さて、先日文春文庫「直木三十五伝」植村鞆音著というのをあがなった。文庫としては新刊であるが、単行本としては2005年に出たものだそうだ。冒頭にも書いたが拙稿「直木は国賊」に関連して彼の「南国太平記」執筆当時の情報があるかな、と思って買ったわけ。

南国太平記関連は10ページ、それに縄田一男という人物の書いた巻末解説を読んだだけであるが、これをネタに少々書いてみようというわけである。

縄田というのは典型的な提灯屋亀吉だね。これから書こうか、南国太平記から書こうか、てなもんだが、前にも書いたが現在直木三十五の小説は古本屋にしかない。全然復刻されない。文庫でも。縄田が解説の初めでなぜ復刻されないかを後述するなんて見栄をきっている。それにつられて、彼のひどい文章を最後まで読んだわけだ。ところが後述なんてない。わけのわからないことが書いてある。

ま、そんなわけで前からの疑問である、南国太平記は直木の小説の中でどういう位置を占めているかを直木三十五伝に相談してみた。それによると南国太平記は直木の代表作であり、この小説によって彼は流行作家としての地位を確立した、そうである。

この本の著者であるが、直木の甥だそうだ。どこかの映画会社の人らしいからいわば関連業界の人だ。親戚であるからいろいろ情報もあるだろう。もう一つの特徴は当時の小説家たちの批評をこまめに集めていることだ。これらの批評にはひどいものがあるが、それは後でふれたい。しかし、この著者、著作については特段の批判はない。ただ、引用されている「錚錚たる小説家」の批評は片っぱしからやり玉にあげるでありましょう。

++ 南国太平記というのは幕末薩摩藩の家騒動を題材としている。幕末のアルカイダであった西郷隆盛が元藩主斉彬の異腹の弟久光を攻撃するために流した怪文書を種本としている。久光はおゆらの子であり、昭和天皇のお后はお由良の四代目か五代目の孫娘である。

新聞の連載小説で即位したばかりの昭和天皇のお后の実家をエログロ・ナンセンス調で悪者扱いにしたきわもの小説である。これが一年以上も新聞に連載されて大変な人気だったという。治安維持法下の当時は今よりもマスコミの自由があり、マスコミの臆病者の自主規制がなかったことが分かる。

昭和五年から六年まで一年以上も連載は続いた。昭和天皇は即位して間もない。また連載が終わる前に天皇の意向にお構いなしに軍事官僚が満州事変を引き起こした。ここに天皇に対する尊崇の念はまったく絶えたのである。

青年将校だって新聞小説なら読む。この小説が天皇に対する尊崇の念を毀損するに大きな影響があったのは明白である。軍事官僚や青年将校なる田舎者には天皇は錦の御旗として利用するものになってしまったのである。

これが「直木は最大の国賊」の要旨である。植村の「直木三十五伝」によると新聞に連載中満州に旅行している。当時の治安の悪い満州を旅行するのに日本軍の全面的な支援は不可欠である。南国太平記の愛読者である多くの職業軍人に大いに満州で世話になったにちがいない。

また、このころ直木はファシスト宣言なるものを行っている。文士特有の諧謔がすこしはあるにしても、このような問題で心にもないことを言えるものではない。言うまでもなくファシストというのは天皇制の対極にあるものである。昭和天皇は共産主義よりファシストを嫌っていた。当然である。

次回からは菊池寛、小林秀雄、谷崎潤一郎くんなどの珍妙な意見を紹介していこう。


カトリーヌ姫か篤姫か

2008-07-02 18:31:17 | 篤姫

安っぽい司馬史観を毛嫌いするオイラもさすがにテレビ東京には付いていけなかった。

篤姫である。数日前の番組で、井伊大老の桜田門外での暗殺も篤姫の指令だという。また、夫の家定も篤姫が毒殺したそうだ。その上次の将軍だった家茂も毒殺したという。

 

家茂の死亡には自然でないところが多く何らかの作為が感じられる。たしか彼は長州征伐のさなかに大阪の本陣で急死している。年は20歳か。ただ江戸の篤姫が毒殺を指令したかどうかとなるとどうもね。

家定、家茂の死も殺人として、上記の三殺人の首謀者が篤姫とする説には、さすがの私も足をすくわれた感じだ。上には上があるものよのう。

しかし、もし本当だとすると篤姫は日本のカトリーヌ・ドゥ・メデシスたるにふさわしい。のちに斉彬が鹿児島で急死すると、西郷隆盛は義弟久光の側室お由良が毒殺したと騒ぎ立てたが、これはカトリーヌ篤姫の裏返しだ。「想像力は身の丈を超えない」からね。毒殺フェチの西郷隆盛がそう思ったのも無理は無い。

ちなみに、お由良を攻撃するために西郷が作った政治パンフレットが直木三十五「南国太平記」の種本である。

そもそも斉彬には毒薬が付いて回る。薩摩藩の財政を立て直した調所笑左衛門は父斉興の側近である。斉彬は自分が早く藩主になるために、邪魔な父の寵臣を陰謀で追い込んで(琉球密貿易の一件で)服毒自殺させている。

服毒自殺ということになっているが、これは大いに怪しい。武士たるものが責任を取って自殺するのに服毒というのは理解しがたい不自然さだ。これも人目のない江戸屋敷の奥で斉彬の指示で調所を毒殺して、自殺に見せかけた可能性が非常に高い。これは12チャンネルの仮説よりかはるかに現実性がある。

江戸時代後半の幕府と薩摩藩の関係は不自然なことが多すぎる。まず岐阜県の大規模なの治水工事から話をはじめるとするか。

18世紀の半ばのことではないか。岐阜県の治水工事を無償で薩摩藩が幕府から命じられた。稀代の難工事、大工事である。その苛酷さはまさに江戸時代の大規模派遣労働であった。薩摩藩は莫大な借金を抱えた。工事の期日についても無慈悲な要求が出されて、たしか薩摩藩の工事責任者は何人か切腹している。

この工事の犠牲者は薩摩では義士といわれて今でも顕彰されている。それがそのすぐ後斉彬の祖父重豪が藩主の時代には、その娘が徳川将軍の正室になっている。おそらく、外様大名の娘が将軍家に入った最初ではないのか。このいきさつもきわめて不自然である。

それからあっという間に薩摩は幕府を操るようになる。こういうことが幕府の権威を失墜させることになるのをまるで幕府の中枢の人間が気がつかなかったような異様な成り行きである。だめ押しは勿論篤姫が再度徳川将軍家に嫁いだことである。斉彬は祖父の政略結婚政策のうまみをまねたのだろう。

異様といえば、徳川譜代の大名で代々老中を多く出してきた阿部家の正弘と斉彬の親密ぶりである。将軍の跡取りのことまで共同謀議をするナカになったことである。外様が幕政に影響を与えるなどかってなかったことである。

このくだりはドラマは素直に伝承にしたがっている。まず、阿部正弘と斉彬のホモ関係でもなければ考えられない事態なのである。


援助の約束

2008-07-02 08:56:17 | 社会・経済

北朝鮮の拉致問題の見返りに援助の約束があるのか、ないのか。そんなものがひそかにあるのか知らないが、そんなものを守る必要がない。

誘拐人質事件の解決で警察が犯人と交渉することがあるが、交渉説得の過程で警察のした約束を犯人逮捕後に果たしたら世間の物笑いになる。

すなおに人質を解放すればよし。時間切れとなれば強行突入が人質事件解決のシナリオである。

そもそも、小泉元首相が訪朝して拉致問題が明るみに出た後の対処が間違っていた。国交正常化や援助とパッケージにしたのが間違いだ。拉致犯罪の解決には見返りを与えるべきではない。

北は犯罪が明るみに出ると今度はそれを援助の交換条件にしようとした。こんなことふてぶてしいことを認めてはいけない。これまでの交渉態度は小泉を含めてすべて間違っている。

+ アメとムチ

よく交渉と圧力という。間違いだ。アメとムチの出し入れというべきである。アメとは援助の幻影であり、ムチとは制裁と最終的には強行突入である。