五輪エンブレムの問題、デザイン問題はトウシロウだが、昨日の記者会見を見るとやはりコピーということなのだろう。五輪プロジェクトの組織風土がたるんでいる。あるいはそもそも組織としてのテイをなしていないのだろう。事前にフィルターがかけられないのは、国立競技場の問題もエンブレムの問題も。
非常に気になるのはどうしてこうなってしまったのかということで、マスコミが解明してくれるだろう(あまり期待していない)。新競技場のときは比較的犯人ははっきりしていて、おかっぱ頭の関西の老人の跳梁を許したということだ。安藤とかいったかな。
エンブレム問題は少しずつ経緯が出て来たが、これも新国立競技場の場合の様に、佐野氏を強引にサポートする(能力、知恵のない)部外者(政治家とか政治家の家族とか)が背後にいた可能性を感じさせる。もしそうなら、こんな連中の跳梁を許してはならない、国家的プロジェクトの推進の場で。
これだけのチョンボを連チャンすると、さすがに世界のマスコミのトップニュースになる。テレビの7チャンネル、これはなんていう局かな、むかし東京教育テレビとかいったか、外紙を紹介していたが一様にEmbarrassmenntという言葉を使っている。それはいいが、この言葉を「恥」と訳しているのは、それこそ7チャンネルの恥さらしだよ。
エンバラスメントというのは当事者が困惑するという意味でたしかにその通りでその意味で外紙は使っている。当事者が恥ずかしく感じるという語義もあるが、恥と「恥ずかしく思う」は主客が違う。恥とは外部の目から、あるいは外部の印象を忖度していう言葉でこの訳は大学センター入試なら落第だ。
語源学には詳しくないがハラスメント(はやり言葉,)に「の中に」の意味のenあるいはemの接頭辞をつけたものだろう。あくまでも自意識レベルの困惑と言う意味だ。自分をハラス(メント)する、恥ずかしくて穴があったら入りたいという意味である。Barrasの語頭のBはHの転訛した物ではないか。間違っていたら『恥ずかしい』。
くだくだ、このようなことを講釈することもなく、直感で恥と訳すことが自分の無知をさらすことであると認識できない人間はジャーナリストになるべきではない。
それこの日本のマスコミの恥をさらしている。