官僚の仕事は二つある。一つは政策を立案することだ。もう一つは申請されて来た案件の許認可である。今回の加計騒動は後者にあたる。
役人は申請者が申し立てる理由が妥当か審査する。妥当と思わなければ認可することにはアレルギー的拒否反応がある。役人というのはそうした生き物である。推測だが今回まともな申請理由が出されていないのではないか。あるいは役人側がそう判断したかである。
長年の習性でまともな申請理由やデータがついていない(と思われる)事案には役人はハンコを押せない。アレルギー的拒否反応がある。勿論役人の判断におかしいときも多々あろう。
もしデータも根拠もださずに「総理のご意向」とやらかしたのなら官邸は解散しなければならない。明らかにすべきことは:
加計問題でまともな根拠があったのか。それが文科省に提示されたのか。つまり理論構成がなされているのか。これは視聴者にはわからない。ここまで問題がこじれたなら国会の場でその根拠とやらを提示して公に議論するべきだろう。今朝のフジテレビの討論会で自民党の小野寺氏がいろいろ言っていたが、加計学園の申請にはそうした書類がついていたのか。
おおきな組織にいると経験するが、時々トップの意向だからといって専門知識がない腰巾着が横車を押そうとして問題をこじらせることがある。私のカンではどうも之に該当するのが今回の事件のようだ。
このような議論を国会ですれば前川側に無理があるのか、官邸側に不都合があるのかが国民の目にあきらかになる。それをしないで、官房長官がヒステリー女の様に個人攻撃をしたり、感情的な印象操作と取られても仕方がない発言をする。逆効果ということがわからないのかな。
それから、官邸がもし自分のやろうとしていることが正しいと信じているなら、「官邸の最高レベル」だの「総理のご意向」文書の存在を慌てふためいて隠蔽する理由がわからない。「ああそうですよ」と認めればいいではないか。
それが真の政治主導のあり方である。裏でこそこそ恫喝まがいのことをして、表ではそれを否定するのは卑劣漢だけがすることである。安倍さんや取り巻きがやりたいのは、依然として官僚主導を表看板にして、自分の都合のいい案件だけは裏で見えない様に政治主導でやるということかな。これはまともな政治ではない。
前に戻るが国会論議を通して理由を国民に説明すればいい。国民は納得するよ。「官邸の意向」おおいに結構というだろう。なにを怖れているのか。根拠のないヨコシマなことをしているという後ろめたさがあると受けとられてもしょうがない。
文部次官に対する脅し文句としてだけ使って、国民にはそんなことは言っていない、そんな文書はないなどと見え透いた嘘をつくものに政治をする資格はない。
++ あとで思いついたこと;素人だから許していただきたいが、もし特区で数十年も封印していた獣医学部を認めるとなると、加計のほかに手を挙げる希望者がいるかもしれない。その場合はどうなるのか。公開入札をするのが筋と思われる。そうすると文科省の審査の結果、加計以外が選ばれる可能性もある。それが嫌で強引に安倍首相の友人にだけ差別的に隠密裏に目立たないように便宜を図るというならこれは犯罪ではないか。罪名は知らないが、経済犯罪としては相当な重罪ではないか。前川氏が手続きに瑕疵があるとか、公正な手続きがゆがめられたと言っていたのはこのことだろうか。
安倍首相や官邸の慌てぶりや感情的な反応を見ているとどうもそうらしい。