人類は唯一、コミュニケーション手段として共に食事をする動物である。「共食」と呼ばれている。親しくなると「食事でもしようか」と誘いかけるし、「食事をしながら」話し合おう、ということになる。
共に食事をすることは、人類にとってとても大切な文化である。民族や地域など問うことのない、普遍的なことである。国家間の話し合いも、いがみ合った隣のオヤジとの話し合いも食事をすることで解決の糸口がつかめるのである。「共食」は、一家団欒の象徴でもある。
ところが今の家庭は5つの「コショク」で満ちているそうである。「孤食」、一人でそれぞれが食べる。「個食」、それぞれが違ったものを、違った時間に食べる。「固食」、いつも同じものを食べる。「小食」、食べるものが少しである。肥満への恐怖か。「粉食」、加工された高タンパク高脂肪の食べ物である。
どれもが、悲惨な「食」事情である。これほどばらばらで、加工されたものを食べることができるのは、食料が安いからである。日本のエンゲル係数は20%だそうである。安いがために廃棄される食料が、2200万トンと試算した研究所もある。食べる料の10%にもなる。これだけで1000万の人間の食を満たすことができる。
日本人は安さと引き換えに、自らがが失うものをもっと知るべきである。安全や安心だけでなく、家庭の崩壊、相互のコミュニケーションの手段すら失ったのである。
十分な食育が行われていない。食事がどれほど大切なことか今一度、次世代に引き継がなければならない。食べ物を「いただく」ことは、他の命をも、貰うことなのである。
食料に対する認識が薄れてしまっている。こんな現状に対して、日本人は、もっと深刻になっていのではないか。