人間とは良くできたもので、安穏としているだけでは置かれている場所が解らないものである。無くなって気が付くということもある。あるいは、騒がれることで初めてその存在に気がつくことがある。その典型が、平和憲法と沖縄基地問題である。この二つを国民に考える機会を作ってくれたのが、安倍晋三と鳩 山由紀夫である。奇しくも、二人の祖父は首相を務めている。
安倍晋三は、極右翼的立場を祖父から受け継いだ男である。就任早々「美しい日本」などと、情緒的と思われるキャッチフレーズを用いながら、防衛庁を防衛省に格上げし、憲法改正に向けて国民投票法案を可決したり、日教組憎しで教育基本法まで手を出した。
この男が総理をやったおかげで、危機感を持った国民の間に「九条の会」が全国に雨後のタケノコのように出来てきた。憲法について、とりわけ9条について大きな論議が起きた。ひとえに安倍ボンのお陰である。
鳩山由紀夫は、「友愛」なる同じく情緒的な概念を政治理念として掲げた。安倍ボンと違って、この男には理念がなく、誰にも嫌われたくない態度で終始し た。
鳩山が、普天間をどうしたら良いのか解らないままに、あれこれ思い巡らしたのだろう、結論が引き出せないまま時が流れた、自らが設けた不要の時間設定の呪縛から逃れることができなかった。その結果、国民は思わぬもらいものをした。
マスコミがこぞって、沖縄基地を取り上げたのである。おそらく自民党政権がこのまま続いていれば、沖縄の基地はこれほど騒がれることもなかったであろう。国民もその存在について考えることもなかったことになったであろう。沖縄基地問題を考えるいい機会を、鳩山は設けてくれたことになる。
二人とも決して後世に評価を受ける総理とはならないであろうが、世間知らずのために、あるいは思いつくままの言動は混迷を極め短命首相で終わったが、おかげで国民はいろんなことを考える機会を貰ったことになる。