宮崎の口蹄疫h問題で、宮崎県のそのまんま知事は、殺処分命令の下っている、種牛6頭を何とか助ける方向で考えたいと動いている。陽性牛でもないが、殺処分を前提にワクチン接種するべき地域の牛であった。ワクチン接種も受けてはいない。
畜主の感情的なことも理解できるし、今後の宮崎の復興に役立つという意見も理解できなくはない。しかし、同じような感情を持っていた多くの畜産業者は、健康でありながらも多くの自らの農場の家畜の殺処分に応じていたのである。圧倒的多数の畜産農家はこれを、防疫のためと割り切って(すっかり割り切ったかどうかは解らないが)、殺処分を行ったのである。
種牛であるからなどとの理由で、感情的なことからこの6頭を特別扱いするのは、むしろ殺処分に応じた多くの畜産農家の感情を逆なですることになりかねない。感情論で考えるべきではない。
家畜は人間が自らの生きるため、生業として飼育しているものである。愛玩動物とは決定的に異なる。愛情は持っていても彼らを手放すことを、畜産農家は生業としているのである。牛個体として見た場合は極めて、心情的なものが残る。いくら人工授精で大量生産され共同飼育ていても、牛にも豚にも個性があるし、それぞれが感情を持っている。
家畜を飼育する上で、感情を前面に出すようであると、畜産農家としてやって行けない。家畜とりわけ肉豚、肉牛では、殺されることで商品となる。そうした前提の家畜をわれられは徒に感情移入するべきではない。この6頭の種牛も例外扱いしてはならないと思うのである。