そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

兎に角法案を通したい、それだけである

2015-05-28 | 戦争
国会での、集団的自衛権に対する質疑応答が、メチャメチャである。首相の見解と所轄の防衛大臣の見解が、多くの場面で異なっている。三要件が満たされれば他国の領土や領空にまで出かかると防衛大臣は発言しているが、安倍晋三はそんなところに行かないと発言していた。「一般に」そういうことには行かないと、修正している。
「存立危機」と「切迫事態」との違いも良く解らない。前者は武力攻撃ができるが、後者は武力行使はできない。その違いは何かと問われても、どうやら武力攻撃ができるのが存立危機事態と回答している。蒟蒻問答である。その判断基準を問われても、防衛大臣は回答できないのである。
質問者の辻元清美は、違いを聞いているのに、対応することの違いを応えているのである。アホである。
代わって安倍晋三が、拒否を振り切って回答している。明白な基準がないことの指摘には回答できていない。武力攻撃の有無を基準にしたいようであるが、全く回答になっていない。他国はの派兵の基準をこの法律は持っていないことを明らかにしたといえる。
海外派兵はやりませんということは、安倍政権の問題であって、政権が代わると法文の解釈が変わる可能性が
アフガン支援に、自衛以外の戦闘はやらないとしているドイツが加わっているが、結局は54名の死者を出している。アフガニスタンの人も殺している。自衛隊もそうなると、志位和夫の質問には、もう終わっているからとか言って根拠もなく否定している。
「専守防衛は何も変わらない」、「従来通りである」という見解を政府は繰り返すが、それならばこれまでの個別的自衛権の範囲で十分である。自衛隊は世界中に行けるようにするのである。新たな法律は、自衛隊の活動範囲をほぼ無限に拡大させることになる。これは自衛隊に大きなリスクを与えることになる。当然のことである。これは自衛隊員や経験者も指摘している。イラク派遣された自衛隊員が、29名も自殺をしている。今回の戦争法では、更に彼らに大きな負担を強いることになる。
自衛隊員のリスクが高くなり、海外にいる日本は当然のこと、日本そのもののリスクが高くなるのは、当然のことである。安倍晋三はこれも認めようとはしていない。
「起こり得るリスクに、絶対ないと言う政治家は無責任である」と、前年発言している言葉を投げつけて、辻元は締めくくっている。自衛隊は絶対戦闘には加わらないと、発言した安倍晋三の言葉に対することを指摘しているのである。

「早く質問しろよ」と下品な野次飛ばす安倍晋三。この男は首相としての自覚も裁量もなく、国家の在り様を大きく転換する審議を、早く終わりたかったのである。首相の立場をわきまえなく情けないだけである。
安倍晋三は兎に角法案を通したいだけである。そのために、あまり変わりませんよと言って、つまり小さく産んで、大きく育てようとしたい本音が見え見えである。
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智がなくなり貧相になる中国外交の現状

2015-05-28 | 中国
3000名と言われる民間人を引き連れて、中国を訪問した自民党の二階俊博総務会長は、習近平国家主席をはじめとする中国政府に異例の歓迎を受けた。
冒頭の挨拶で習近平は、「朋遠方より来る、また楽しからずや」と歓迎の挨拶をした。これは孔子の言葉である。かつての中国関係者なら即座に、孔子の数多くの言葉から選んで返礼の挨拶をするものであった。ところが二階にはそんな裁量がない。このレベルの男が中国通のトップであるとは、なんと底の浅い日本の外交であることか。

アメリカがベトナム戦争に深く介入することになった原因の一つに、直前のレッドパージがある。共産主義者はもとより、ロシアや中国の関係者や研究者やチャップリンなどの俳優まで追放したのである。その結果、東側の識者を大量に失って、情勢判断すらできなくなってしまったこたが、ダレスのドミノ理論などというものが幅を利かすもとになったのである
いま日本が中国との関係が危ういのは、国内の中国の者の存在を、”嫌中”などという風潮で社会的に排除していることである。とりわけ週刊誌の中国嫌いは異常である。我々に漢字など、数多くの文化や文明を提供してくれた中国に対する尊敬の認識など見当たらない。中国に対しては、対立姿勢かせいぜい対抗意識しかないように思えてならない。

習近平が孔子の言葉を持ち出したのは、このところの中国社会の儒教を見直す風潮が背景にある。都会の富裕層や共産党の幹部に対して礼節を重んじさせ、地方や貧困層に対しては活力を与えようというのである。経済成長によって存在感を示せるようになった中国が、簡単に「論語」を重んじる社会になるかどうか大いに疑問ではある。しかし、現在都会では儒教ブームである。我儘な一人子(小皇帝)の教育にもってこいとのことである。
欲にとらわれないよう(義)・上下関係など重んぜよ(礼)・学問にはげみ(智)・約束にも人にも誠実であれ(信)・特に重んじられる、人を思いやれ(仁)の『仁・義・礼・智・信』の儒教精神が、今の中国に定着するかは軽々に論じれない。
しかし、この100年間排除していたかつての国教の儒教を国家として重んじるようになったのは、中国の大きな転機であり復元力を示すことになる可能性を持っている。

かつての中国通の政治家であったら習近平の言葉に対して、「人知らずして恨まず、また君子ならずや」などと、論語で切り返したであろう。場は和み会談は深まったであろう。習近平の苦笑いは、こうした反応がなかったことへの表情と言える。日本のメディアは安倍晋三との会談時の無表情との比較に終わている。
二階俊博もメディアも”智”の徳目が足りないのである。

習近平の戦略は明快である。下僕までなって良いとアメリカにすり寄る日本に対して、ここで突き放なすのではなく距離を縮めようというのである。政治と経済を離そうという、分離論で説明するのは間違っている。中国の対応を警告ととらえるべきであった。
安倍晋三は中国の脅威を理由に、集団的自衛権の必要性を説く。ドミノ理論に類似する背景を感じるのである。
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羅臼港

春誓い羅臼港