">「お豆腐屋さんじゃあるまいし」とは、東京都の小池知事の言葉である。東京オリンピックが、無神経にで何兆(丁)円と言われることへの反発である。豆腐を勘定してるのではあるまいということである。
しかしながら、昨日の経済産業省の記者会見にはあきれるばかりである。東京オリンピックどころではない。事故当初は数兆円(確か5兆円)と言われた事故処理が、自民党政権になってからでも、11兆円と言われていたのが、22.6兆円かかると試算したのである。
あれほどもめている東京オリンピックの、10倍の数字を平気で発表する無神経さは、言葉で表すことすらできない。豆腐屋じゃあるまいに。。
廃炉は2兆円から8.2兆円に、賠償は5.4兆円から8兆円に、除染・貯蔵は3.6兆円から6.4兆円といった内容である。特に廃炉は楽観的な予測がばれて、4倍以上に膨らんでいる。経産省は廃炉の加速化のために、年数百億円を電気料金に上乗せすると説明した。メルトダウンの程度がいまだにわかっていない。この8.4兆円ですら楽観予測といえる。解け落ちた核燃料の場所も解らなければ工法だって決まっていない。
しかも、いつの間にかというか国民の目に触れないように、企業や使用者の負担ではなく税金で賄うとちゃっかり決めてしまっている。つまり、原発の起こした事故は国民が等しく背負うことになるのである。しかも廃炉は50年とも80年ともいわれている。原発推進者が主張する、“安価な“原子力エネルギーの恩恵に全く係わらなかった世代が、負担し続けることになるのである。しかもこれは時間も金額もこれを下回ることはないであろうと思われる金額といえる。
私たち、長年反原発を主張し続けてきた者にとっては、決して解決することのできない放射性廃棄物の処分の事実に蓋したまま、推進してきた企業や政党や個人が負担するべきと主張したい。紀伊半島など原発導入を反対し、原発が来るくらいなら貧乏の方が良いといった、高尚な論理で対抗した人たちにも等しく負担を強いるのは、どう考えても納得できない。不条理である。事故が起きたら国の世話になるというのであるから、杜撰な試算しかできないのである。核は兵器にしても発電所にしても、地球上では人類とは共存できる代物ではないのである。
しかしながら、昨日の経済産業省の記者会見にはあきれるばかりである。東京オリンピックどころではない。事故当初は数兆円(確か5兆円)と言われた事故処理が、自民党政権になってからでも、11兆円と言われていたのが、22.6兆円かかると試算したのである。
あれほどもめている東京オリンピックの、10倍の数字を平気で発表する無神経さは、言葉で表すことすらできない。豆腐屋じゃあるまいに。。
廃炉は2兆円から8.2兆円に、賠償は5.4兆円から8兆円に、除染・貯蔵は3.6兆円から6.4兆円といった内容である。特に廃炉は楽観的な予測がばれて、4倍以上に膨らんでいる。経産省は廃炉の加速化のために、年数百億円を電気料金に上乗せすると説明した。メルトダウンの程度がいまだにわかっていない。この8.4兆円ですら楽観予測といえる。解け落ちた核燃料の場所も解らなければ工法だって決まっていない。
しかも、いつの間にかというか国民の目に触れないように、企業や使用者の負担ではなく税金で賄うとちゃっかり決めてしまっている。つまり、原発の起こした事故は国民が等しく背負うことになるのである。しかも廃炉は50年とも80年ともいわれている。原発推進者が主張する、“安価な“原子力エネルギーの恩恵に全く係わらなかった世代が、負担し続けることになるのである。しかもこれは時間も金額もこれを下回ることはないであろうと思われる金額といえる。
私たち、長年反原発を主張し続けてきた者にとっては、決して解決することのできない放射性廃棄物の処分の事実に蓋したまま、推進してきた企業や政党や個人が負担するべきと主張したい。紀伊半島など原発導入を反対し、原発が来るくらいなら貧乏の方が良いといった、高尚な論理で対抗した人たちにも等しく負担を強いるのは、どう考えても納得できない。不条理である。事故が起きたら国の世話になるというのであるから、杜撰な試算しかできないのである。核は兵器にしても発電所にしても、地球上では人類とは共存できる代物ではないのである。
せめて「今後こんな事の起きる恐れがない様に、全原発を廃炉にします。」と言わねば嘘だと思います。
それなのに政府は、昨日川内原発を再稼動させたそうですね。