カジノ法、いわゆるIR法であるが、「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」という長ったらしい名前が正式名である。予算委員会で、安倍晋三はカジノは3%の面積しかなく滑り台や映画館が主体の施設と、お馬鹿な回答をしている。ならば、今のままでいいのではないか。法律名がそうであるように、金を賭けるところを設けるための法律であることを隠す詭弁である。
刑法が残っているのであるから、賭博をしたら逮捕すればいい。刑法185条の骨子は明治時代のものであるが、賭博が非道徳的であり勤労の美徳を抱く民族性に合わないからである。古いのではなく普遍的であるという証である。
カジノ法の本態は、賭博の解禁である。金が動き経済効果があると主張するのであろうが、胴元は絶対に破産しない。金を巻き上げられ破産するのは、一獲千金を目論んで金を賭ける一般庶民である。負けても、今度こそはと意気込むのが、依存症と言われるものである。少しは設けても、結局は胴元が設ける仕組みになっていることに気が付かない。パチンコだって刑法の壁を意識して、商品交換所などを設けているのもそのせいである。北朝鮮との関係が払しょくされないパチンコも、賭け事であり禁止するべきである。
賭博の解禁はやがて、習慣性はたばこより少ない大麻の販売の経済効果を説くようになりかねない。覚せい剤は麻薬と違うと言いってこないとも限らない。
雇用は金を回すことではない。他人の不幸の金で裕福になる事でもない。産業として何らかのものを生み出すことであり、産業活動はその結果として雇用を生むことである。利益は特定層に配分するものでもなく、産業が一般民から吸い取る作用を促進させるものでもない。
カジノ法の必要性を説く理屈は、集団的自衛権行使を容認する考え方と多くのことで重なる。
戦争は人殺しであり人権の侵害であり資源や財産の侵害であり没収である。どんな理由があっても許されるものではない。国家の利益や権利を振りかざしても、戦争の犯罪性は普遍的悪である。
本来は犯罪行為であるにも拘らず、経済効果だの雇用が生まれるだの、国益だとか正義だとか主張することで正当化するのである。憲法で禁止されたり刑法で犯罪と規定されていながら、それに反する法律まで作る。そして、国会では野党の質問には何も答えようとしないのである。数の論理で憲法や刑法まで否定する。反道徳的であって非倫理的法案が、安倍晋三の強行採決によってこの国を席巻する。
刑法が残っているのであるから、賭博をしたら逮捕すればいい。刑法185条の骨子は明治時代のものであるが、賭博が非道徳的であり勤労の美徳を抱く民族性に合わないからである。古いのではなく普遍的であるという証である。
カジノ法の本態は、賭博の解禁である。金が動き経済効果があると主張するのであろうが、胴元は絶対に破産しない。金を巻き上げられ破産するのは、一獲千金を目論んで金を賭ける一般庶民である。負けても、今度こそはと意気込むのが、依存症と言われるものである。少しは設けても、結局は胴元が設ける仕組みになっていることに気が付かない。パチンコだって刑法の壁を意識して、商品交換所などを設けているのもそのせいである。北朝鮮との関係が払しょくされないパチンコも、賭け事であり禁止するべきである。
賭博の解禁はやがて、習慣性はたばこより少ない大麻の販売の経済効果を説くようになりかねない。覚せい剤は麻薬と違うと言いってこないとも限らない。
雇用は金を回すことではない。他人の不幸の金で裕福になる事でもない。産業として何らかのものを生み出すことであり、産業活動はその結果として雇用を生むことである。利益は特定層に配分するものでもなく、産業が一般民から吸い取る作用を促進させるものでもない。
カジノ法の必要性を説く理屈は、集団的自衛権行使を容認する考え方と多くのことで重なる。
戦争は人殺しであり人権の侵害であり資源や財産の侵害であり没収である。どんな理由があっても許されるものではない。国家の利益や権利を振りかざしても、戦争の犯罪性は普遍的悪である。
本来は犯罪行為であるにも拘らず、経済効果だの雇用が生まれるだの、国益だとか正義だとか主張することで正当化するのである。憲法で禁止されたり刑法で犯罪と規定されていながら、それに反する法律まで作る。そして、国会では野党の質問には何も答えようとしないのである。数の論理で憲法や刑法まで否定する。反道徳的であって非倫理的法案が、安倍晋三の強行採決によってこの国を席巻する。