小沢一郎が支持資金規正法違反で強制起訴され、今日東京地裁で初公判を迎えた。異例ずくめの公判である。検察が10年も追い続けた男の起訴を諦めたが、検察審査会が2度目の協議で起訴を認めた。いわ くつきの裁判である。
本ブログで何度も書いたことであるが、私は小沢一郎が嫌いである。今日も記者を見下すような発言を繰り返す、剛腕といわれる所以である。この男の政治手腕が気に食わない。
しかしながら、この裁判に限っては小沢一郎を支援する。この男の復帰を望んでいるわけではないし、首相になって欲しいわけでもない。検察のでっち上げ捜査と裁判が、延々と繰り返されることへの反論である。
検察は、ターゲットに西松建設からの件に搾って、小沢の捜査を続けた。この直前に、福島県知事の佐藤栄佐久氏が、西松建設からの献金を実弟に行ったとした汚職で逮捕されている。
その後、これは全く検察のでっち上げであったことが判明している。佐藤元知事はこの件で政治生命を断たれ、東電は脈々と原発の増設を行ってきた。
検察は誰もないも問われることはないが、事実無根で起訴され中央政権に盾ついた政治家佐藤栄佐久は失脚した。
これとまったこ同じ構造で、検察は小沢の陸山会を捜査し続けた。小沢は、大物ではあるが野党にあり、政策決定の権限がなく献金流れもつかめずに、贈収賄は結局証明できなかったのである。
秘書の罪状も、記載漏れである。それも4カ月遅れたので、年度を跨ったための記載漏れとなったのである。どう考えても微罪である。しかも、当初の小沢の捜査は総選挙直前である。
そもそも、数十年犯罪に取り組んできたベテラン検察官数人が、すでに起訴を諦めた問題である。それを、半数が20代と思われる素人集団が数時間の協議で、しかも2度目にやっと起訴を決定したのである。
秘書たちは、検察調書を不採用しながら、小沢の関与を認めるといった、極めて不自然な有罪判決である。ここに小沢の嘱託権限に匹敵する、実力があるとも述べている。
何処から見ても、みょうちくりんな事件である。小沢は、言葉の限りを尽くして、大人げない言葉で検察を批判している。
脱官僚、脱財界、脱アメリカを唱えた元代表の理念は、ここに至る民主党政権の過程ですっかりなくなってしまっている。民主党は迷走する原因がここにある。