何処が違うのかしっかり聞いていないと、昨日の報道との区別がつかない。汚水の流れなど、ミリ単位で我々が知ってどうする。言い訳ばかりのような、 東電の福島原発事故報道である。
工程表が発表されたが、目安として彼らが必要だったのかもしれない。内容を見ると工程の根拠は薄く、どう見ても願望が強く織り込まれた内容である。
今後の対策であるが、電源の確保や地震に強い建築にしなければならないとか、末節の討議ばかりである。当面の課題としては取り組まなければならないことではあかもしれないが、原発そのものを論じていはいない。
海外では、あの中国でさえ原発の存在そのものを、世論が問うている。最大の原発建設国家、中国は見直すつもりなどないようである。
インドでは、反原発のデモで20人もの死者が出ている。韓国では最も古い原発の廃炉を決めた。ヨーロッパでは盛んに、FUKUSIMA原発事故に学び、存続そのものへの論議が終わることがない。
25年目のチェルノブイリではシェルター建設に取り組んでいるが、日本の、FUKUSIMAのことばかり論じられている。
翻ってこの国をみると、風評対策や耐震性や電源の問題に終始するとても情けない姿が浮かび上がってくる。
まるで、アメリカが9.11同時多発事故以来、テロ対策に終始する姿に重ねあわされる。テロ対策をより強固なものにするのは、当面の対策ではある。しかし、なぜ9.11テロが起きたかを論じていないのである。それでいて、無根拠のイラクやアフガニスタンを攻撃する。
アメリカは何故テロが起きたのか、彼らが身を呈し命をかけてまであんな事件を起こしたのか、全く考えることがない。
東電福島原発事故も、対策ばかりが討議され、地球上で核融合を人の手で行う危険性などや、原発を稼働することへの本質論など知らぬ顔である。
いや日本でも、かなりのところで反原発運動が行われているが、マスコミはそうしたことすら報道しない。週刊誌の方がよほど健全な討議を行っている。
これでもより”安全な原子力発電所”建設を、造り続けるのであろうか?。