この二つの表は、今月号のWWFの機関紙の表です。先の表は日本で消費されるサケの天然と養殖の比率です。もうすでに私たちの食べるサケの80%近くが養殖ものになっているのが判ります。
そして右の表は、国産と輸入物比率です。もうすでに70%近くが輸入されたサケなのです。輸入物のうちチリとノルウェーはすべてが養殖、ロシアとアメリカの物は天然ものです。
海洋資源が枯渇したり領海が厳しくなったので、日本の漁業は育てる漁業と称し、養殖へとシフトしてゆきました。殆どの消費者はそれで納得されていたことでしょう。資源小国日本のたどる道だと、説得力があるかに見えるからです。
しかし育てる漁業の魚のえさはいったいどうなっているのでしょう。養殖用の魚のえさは大豆で固めていますが、アジ、アンチョビ、サバ、イワシなどが本態なのです。つまりこうした雑魚を大量に採らなければ、育てる漁業はやってゆけないのです。単純に考えても、サケの量の数倍の漁獲量が必要になります。ペルーでは養殖用に乱獲される、アンチョビの大量漁獲が問題になっているのです。
そこで環境に配慮した天然水産物の保全に配慮した漁法による認定制度ASCを、関係機関が設けています。いわば海のエコラベルと言われるASCですが、こうした配慮の輪を広げることが、海の資源を守ることになる。
一方今月29日に、北太平洋海域のクロマグロの資源管理について話し合う中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)が福岡市で、クロマグロの資源枯渇を防ぐために発動する緊急の漁獲規制の議論を始めた。会議には、中国や韓国、台湾、米国など10カ国・地域が参加している。
太平洋クロマグロは資源が大きく減少していて、最近も低い水準で推移していると言われている。マグロは回遊魚で広い海を泳ぎ回るため、各国が連携して資源管理に取り組まなければならない。現在は5つの国際管理機関があり、このうち日本に近い海域の太平洋クロマグロを管理する「中西部太平洋まぐろ類委員会」では、大量に漁獲されている重さ30キロ未満の幼魚を対象に漁獲制限を行っている。
しかしこの会議は、どう見てもどれだけ漁獲できるかという、いわば環境保全を名目にして、その上限を決める会議であるといえる。乱獲の基準を国威を背景に綱引きする会議は禍根を残すことになる。
マグロ資源が少なくなれば食べることをやめるべきなのである。クジラの頭数が危険水域になれば、過去の問題をいつまでも引きずるのではなく、漁をするべきではないのである。
そして、魚の養殖は先進国が取り組む、高生産・多頭数羽の大型畜産と全く同じ構造であることが分かる。環境の破壊と資源の枯渇、そして家畜に苦痛を与えることになる。育てる漁業という養殖も同じ問題を抱えているのである。
そして右の表は、国産と輸入物比率です。もうすでに70%近くが輸入されたサケなのです。輸入物のうちチリとノルウェーはすべてが養殖、ロシアとアメリカの物は天然ものです。
海洋資源が枯渇したり領海が厳しくなったので、日本の漁業は育てる漁業と称し、養殖へとシフトしてゆきました。殆どの消費者はそれで納得されていたことでしょう。資源小国日本のたどる道だと、説得力があるかに見えるからです。
しかし育てる漁業の魚のえさはいったいどうなっているのでしょう。養殖用の魚のえさは大豆で固めていますが、アジ、アンチョビ、サバ、イワシなどが本態なのです。つまりこうした雑魚を大量に採らなければ、育てる漁業はやってゆけないのです。単純に考えても、サケの量の数倍の漁獲量が必要になります。ペルーでは養殖用に乱獲される、アンチョビの大量漁獲が問題になっているのです。
そこで環境に配慮した天然水産物の保全に配慮した漁法による認定制度ASCを、関係機関が設けています。いわば海のエコラベルと言われるASCですが、こうした配慮の輪を広げることが、海の資源を守ることになる。
一方今月29日に、北太平洋海域のクロマグロの資源管理について話し合う中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)が福岡市で、クロマグロの資源枯渇を防ぐために発動する緊急の漁獲規制の議論を始めた。会議には、中国や韓国、台湾、米国など10カ国・地域が参加している。
太平洋クロマグロは資源が大きく減少していて、最近も低い水準で推移していると言われている。マグロは回遊魚で広い海を泳ぎ回るため、各国が連携して資源管理に取り組まなければならない。現在は5つの国際管理機関があり、このうち日本に近い海域の太平洋クロマグロを管理する「中西部太平洋まぐろ類委員会」では、大量に漁獲されている重さ30キロ未満の幼魚を対象に漁獲制限を行っている。
しかしこの会議は、どう見てもどれだけ漁獲できるかという、いわば環境保全を名目にして、その上限を決める会議であるといえる。乱獲の基準を国威を背景に綱引きする会議は禍根を残すことになる。
マグロ資源が少なくなれば食べることをやめるべきなのである。クジラの頭数が危険水域になれば、過去の問題をいつまでも引きずるのではなく、漁をするべきではないのである。
そして、魚の養殖は先進国が取り組む、高生産・多頭数羽の大型畜産と全く同じ構造であることが分かる。環境の破壊と資源の枯渇、そして家畜に苦痛を与えることになる。育てる漁業という養殖も同じ問題を抱えているのである。