「先住民族」(Indigenous peoples) とは、ある土地に元来住みついている人間集団のことである。とくに、外来の侵略者や植民者から区別して呼ぶ場合に用いられる。 Wikipediaより
しかしことはそれほど単純ではない。国境などなく自由に往来していた先住民族は、抗争や天変地異や民族性などもあって、長い間の入れ替わりも珍しくはない。
多くの日本国民は、北海道はアイヌという先住民族がいると思っているが、それはそれで一義的に間違ってはいない。しかしそれだけではない。
上図を参考して頂きたい。「アイヌの真実」北原モコットゥナシ・谷本晃久監修:ベスト新書1,300円+税の図である。
北海道は13世紀ころまでは、上図のような民族が棲み分けていた。オホーツク文化(擦文文化)を形成していた民族は、文字は使っていなかったし、可成り古くその後アイヌの進出も有ったりと、遺跡などから得られる情報も少ない。簡単な焼き物が使われ、ヘラで擦ったような模様から、擦文文化ともよばれる。千島や樺太を行き来する海洋民族であった。
日本海側に勢力を伸ばし秋田あたりまで進出したが、阿倍比羅夫の日本政府などに追われたようである。
アイヌとの抗争があったようではないが、一部は吸収された可能性もある。樺太や大陸に渡ったりしたと考えられている。上図右下の女性像は、セイウチの牙を使った女性像であり、小麦の栽培も確認され文化程度は決して低くなかったと思われる。
オホーツク人は北海道東部に、千年以上住んでいたが、13世紀に消えてしまう。一方アイヌ人の多くは関東、東北圏から、追われるように北海道にたどり着き、全道に棲むようになって明治維新の時でも700年しか経っていない。
もう少し遡ってみると、4万年前にアイヌ民族などは樺太から南下して、本州まで至っている。本州も北海道も日本だとすれば、多くは中国平原から渡ってきた大和民族よりも、1万年以上も早くたどり着いていたことになる。
道南を領地をする江戸幕府、松前藩はアイヌ民族とコシャマインの乱、シャクシャインの乱、クナシリ・メナシの戦いなど、いくつかの和人との戦いを起こす。しかし、クナシリ・メナシの戦いで直接戦った松前藩の下級武士は、東北アイヌの流れをひく武士が多かったと言われている。民族は単色ではない。
確かに現代だけを見てみると、近代化の中でどうか去られてきたアイヌ民族を、先住民族として国は認定するの一定の理があるとは思われる。民族は均等に文化や武力を発展させるものではない。特に先行して権力構造や社会体制を築き上げた民族が、近隣民族を平定するのが歴史の常である。決して侵略した民族が優れているというものではない。21世紀になり、環境の悪化などは多くの少数民族のアイヌ文化などが多くの示唆を与えてくれている。
日本を大和民族の単一国家と自認し、異文化を排除する皇国史観が未だにた捨てきれないのが、難民を受け入れないなど異文化を排除する思想の根底になっている。しかし具に見ると、日本も多民族国家であるといえる。