野坂昭如が死んだ。昭和というか戦後というべきか、戦争の記憶がだんだん薄くなってくる。私は野坂を作家としてはほとんど評価しない。自らを焼け跡闇市派と称し、平和と飢えをことあるごとに訴えていた。多くの知識人が、何よりも平和を口にする最近である。戦後を生き抜いた、野坂の世代は食べることを必ず訴える。菅原文太は戦争はしてはならない、国民を飢えさせてはならないと、この二つを必ず訴えていた。
井上ひさしもそうである。平和憲法の意味を九条の会設立などを通して強く訴えていたが、それ以上に食糧の自給、とりわけ米がこの国の文化や自然にとって欠かすことが出来ないものと訴え続けていた。終戦直後の食糧難は、平和憲法以上にこの国の在りようを決めたと言える。実は昭和19年は大凶作だった。そして、おおよそ2000万人もの人間が、本土の帰ってきたのである。そして農地解放が、この国を支えその後の多くのことを決めてきたのである。
伸び盛りの少年時代に食べ物がなかった彼らにとって、目に見えない平和などより余程実感していた。
野坂の世代が実感した、食料の存在こそがこそが国家を支える本質なのである。そして、暗い戦争を終わらせてこの国が受け入れた、平和憲法の存在が彼らの、そしてこの国の未来の指針となったはずであった。
野坂は飢えた時代の怨念をうまく言葉にできず、しばしば暴力的な発言を繰り返していた。文学以外の表現の場を持ったのは、彼の巧みな生き方だったと思われる。
ウイスキーのコマーシャルの、「ソ・ソ・ソウラテスかプラントンか、みんな悩んで大きくなった」世代はもうない。哲学を読み悩み人生の指針を得る若者などいのである。飢えることを知らずに、平和であることが日常の世代にとって、戦争は憧れに近い抽象産物となっている。そのギャップに野坂の世代は苛立った。安倍晋三はそこに切り込んでいるのである。
今、高齢化に加えて非正規雇用4割の時代に、経済成長の妄想を画策する政権の無謀さへの期待が、政権支持率を50%近くに押し上げている。再び飢える時代がそこまで迫っている。TPP参入によって、失う物や食料自給率の低下を嘆く政治などない。食料危機が妄想であって経済成長が現実と、逆転にとり憑かれるているのである。
昭和ひとけた世代が消えてゆく。彼らの残した教訓こそが貴重な財産として受けなければならないはずであるが、ひたすら軍備増強と経済成長に妄想するのである。
井上ひさしもそうである。平和憲法の意味を九条の会設立などを通して強く訴えていたが、それ以上に食糧の自給、とりわけ米がこの国の文化や自然にとって欠かすことが出来ないものと訴え続けていた。終戦直後の食糧難は、平和憲法以上にこの国の在りようを決めたと言える。実は昭和19年は大凶作だった。そして、おおよそ2000万人もの人間が、本土の帰ってきたのである。そして農地解放が、この国を支えその後の多くのことを決めてきたのである。
伸び盛りの少年時代に食べ物がなかった彼らにとって、目に見えない平和などより余程実感していた。
野坂の世代が実感した、食料の存在こそがこそが国家を支える本質なのである。そして、暗い戦争を終わらせてこの国が受け入れた、平和憲法の存在が彼らの、そしてこの国の未来の指針となったはずであった。
野坂は飢えた時代の怨念をうまく言葉にできず、しばしば暴力的な発言を繰り返していた。文学以外の表現の場を持ったのは、彼の巧みな生き方だったと思われる。
ウイスキーのコマーシャルの、「ソ・ソ・ソウラテスかプラントンか、みんな悩んで大きくなった」世代はもうない。哲学を読み悩み人生の指針を得る若者などいのである。飢えることを知らずに、平和であることが日常の世代にとって、戦争は憧れに近い抽象産物となっている。そのギャップに野坂の世代は苛立った。安倍晋三はそこに切り込んでいるのである。
今、高齢化に加えて非正規雇用4割の時代に、経済成長の妄想を画策する政権の無謀さへの期待が、政権支持率を50%近くに押し上げている。再び飢える時代がそこまで迫っている。TPP参入によって、失う物や食料自給率の低下を嘆く政治などない。食料危機が妄想であって経済成長が現実と、逆転にとり憑かれるているのである。
昭和ひとけた世代が消えてゆく。彼らの残した教訓こそが貴重な財産として受けなければならないはずであるが、ひたすら軍備増強と経済成長に妄想するのである。