BSを録画で。
25歳で頚椎骨折、以降首から下が麻痺。その彼が26年後の今、尊厳死を訴えるという話。
スペインの農村。父と兄夫婦、その息子に囲まれての生活。
身の回りの世話をするのは兄嫁。26年間の年月。映画では家族間ののギクシャクが前面には出てきていない。
本人が尊厳死が認めよと訴えていることが、長年介護してきた家族にとって不本意であることが伝わってくる。父が悲しみ、兄は腹立ち、兄嫁は…。
「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、きっぱりと言い切る。
そして、裁判では、証言にもたった神父がマスコミにコメントし、ラジオから流れる。「彼が尊厳死を願うのは、周囲の人々、家族の愛情に恵まれていないからです…」と。
なんという、無理解、そして言葉の暴力。
そんな中にあっても、尊厳死を願う気持ちは変わらず、「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、その後も口にする。
自殺を絶対悪とするキリスト教と、命も個人のものだという個人主義思考との対峙がテーマの映画です。
だから日本であれば、よく介護してもらって「ありがとう」的な思考回路、献身的な家族…という運びになりがちなのでしょう。
19歳で頚椎骨折した若者(一年近く経った今も、自発呼吸も不完全な状態だという)の介護に日々を送っている友人が身近にいるから、やっぱり重たい映画でした。
25歳で頚椎骨折、以降首から下が麻痺。その彼が26年後の今、尊厳死を訴えるという話。
スペインの農村。父と兄夫婦、その息子に囲まれての生活。
身の回りの世話をするのは兄嫁。26年間の年月。映画では家族間ののギクシャクが前面には出てきていない。
本人が尊厳死が認めよと訴えていることが、長年介護してきた家族にとって不本意であることが伝わってくる。父が悲しみ、兄は腹立ち、兄嫁は…。
「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、きっぱりと言い切る。
そして、裁判では、証言にもたった神父がマスコミにコメントし、ラジオから流れる。「彼が尊厳死を願うのは、周囲の人々、家族の愛情に恵まれていないからです…」と。
なんという、無理解、そして言葉の暴力。
そんな中にあっても、尊厳死を願う気持ちは変わらず、「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、その後も口にする。
自殺を絶対悪とするキリスト教と、命も個人のものだという個人主義思考との対峙がテーマの映画です。
だから日本であれば、よく介護してもらって「ありがとう」的な思考回路、献身的な家族…という運びになりがちなのでしょう。
19歳で頚椎骨折した若者(一年近く経った今も、自発呼吸も不完全な状態だという)の介護に日々を送っている友人が身近にいるから、やっぱり重たい映画でした。