日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「雨あがる」を観る。

2006-03-14 08:06:47 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昨日テレビで。
山本周五郎原作。黒澤明脚本。小泉尭監督の作品。小泉監督は黒澤監督のもとで長らく助監督をなさっていたとか。
映画監督黒澤明さんについては世界的に有名という外側のイメージが先に入ってきて、実は殆ど知らない。はじめて見たのは「どですかでん」、そして志村喬の「生きる」、村田喜代子の小説を映画化した「8月のラブソディ(?)」。
だから、世にいわれている名作は知らない。
さて昨日観た「雨あがる」
イントロの風景描写はきれいです。驟雨で川止めになった風景の見事な画面配置。
川べりの宿で雨があがるのを待つ浪人夫婦と同宿の人々。
通りがかりの果し合いを止めるところを殿様が見たことから、剣の腕を見込まれ指南役の候補に登る。
浪人なりに期待して待ってはいたものの、結局は破談。
その理由を告げられたとき、浪人の妻が殿の使者にきっぱり言う。「なにをしたか」よりも「なんのためにしたか」が大切であることが、今よくわかりましたと。
この台詞のために、黒澤明監督はこの話を映画にしたかったんだと思った。
世渡りの不得手な夫に不満をためていた妻であったけれど、夫が不採用になった原因の賭け試合が「なんのためにしたか」得心し、夫の不採用を潔く受け止め、雨があがり、夫婦で次の旅路にでる。
使者の付き人が殿にその妻の言を伝え、殿は浪人を迎え入れようと追っ手を出すところで幕。
殿様の台詞、棒読みっぽかったのだけれど、心根が魅力的だから○。
権之丞(寅さんのひろしの息子役、黒板五郎の息子純役の俳優)、ひょこっとしていて暖かい。ちゃんと殿様に注進するんだから。
いい映画でした。
黒澤さんは既に大御所だったのでしょうけれど、日の当らないところへの、こまやかな思いを80代で作品したいと考え、実行されるエネルギーの深さに敬意をいだきます。

コメント
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