日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

百歳超えの母の介護

2018-09-16 09:09:32 | 家族
母は遠方で暮らしているから、私の日常生活の負担はない。
こんなことでいいのだろうか、と思うぐらい、ない。

思えば、母は生まれてこの方一人暮らしというものをしたことがない。
そして、夫婦二人暮らし、というのもしたことがない。

結婚して、ずっと長いこと、姑は94歳まで生きたから、「嫁」だった。
その間に長男夫婦と同居ともなったから、「姑」でもあった。

そんな家族形態だったので、いつも、我慢したり、気づかいするのが当たり前、で人生を送ってきた人です。

だから、ひとりで生活する(老人施設にはいる)ことに対して、ハードルがとてつもなく高いのだと思う。

95歳で脳こうそく。その後遺症で、右半身不随の介護必須の状態で退院することになって以来、弟夫婦と同居している。

脳こうそくで倒れる前は電話はできた。
遠距離電話がかかると、こちらからかけなおしたり。料金で咎められないようにと。

で、今度は電話かけることに気を遣わなくてもよくなった、と思ったら、聴力の衰えがはなはだしくて、受話器の声が聴こえない、という。

で、以来6年間、母との電話のやり取りはなし。

時に、弟は、母が一方的に喋っている声を聴かせてくれるけれど、「世話になっている。よくしてもらっているから、ありがとうと言ってくれ」の論調ばかり。

実に、弟夫婦に良くしてもらっている、と思っている。

ケアマネさんの知恵も借りて、室内の要所要所にチャイムが取り付けられている。

ベットの起き上がりのSOS。ポータブルトイレのSOS。トイレが終わった合図のチャイム。洗面所にもチャイムがあったかな。

自力での移動がゼロ、本来右利きなのに、右半身マヒがあるので、何をするにも何倍もの時間がかかる。

在宅介護のギリギリまで来ている(下の世話が必要になったらアウトという一線が母と弟との暗黙の了解)。

介護が娘の私だったら、その先もあり、なのかもしれないけれど、その一線を超えないように、母は日々頑張っている。

私が行くと、つい私に頼りたそぶりを見せるのだけれど、弟は母を甘えさせると、体力が即なくなってしまうから、時間がかかっても、自分で頑張ってもらう、と私に言う。
だから、私が出向いても、介護の手助けにはならない。

「○さん(わたし)が来ているだけで、いつもと表情が違う。元気になっているのがわかる。うれしいんだね~」と弟嫁さん。

なんにも役立たずなのに、そんなセリフが出てくるなんて、どんな育ち方をしているのだろう、とつくづく思う。

弟嫁さんの父親も高齢で、脳こうそくの後遺症を抱えながら、車で5分の距離に一人暮らし。そちらの食事の世話もしている。

敬老の集いで配布された、高齢者番付表の横綱の年齢が、102歳、101歳。
母は立派な横綱級です。
それで在宅介護なんだから、介護している人はすごい。

ギリギリの一線がアウトになった時に、施設入所になるのかな、と。

きっと、阿吽の呼吸ってやつで、母も受け入れるときがくるか、、、な、と。

弟は、母が施設に入ったとしても頻繁に顔を出すだろうけれど、

私も月一で、会いに行くから、と提案するつもり。

どうだろう。

それでも、母は家族と同居でいたいのだろうか。












コメント (6)
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