垣谷美羽さんの本を連続で読んでいる。
「あなたのぜい肉、落とします」は、オール読物の連載小説が単行本になっての初版本でした。
今、「避難所」を読んでいる。
東北地震のつなみ被害を受けた人々のエピソード。取材に基づくのだとつくづく思う。
(私が、現地の語り部さんから聞いたひとつふたつ(みっつ、よっつ 苦笑)も、体験者じゃないと想像では出てこない話だった。
テレビ報道では、そこで暮らしている人々の像は伝わってこないものだとつくづく思う。
こんなにサクサクと読めるのは、そういう書き手なんです。
例えば~~(クリエイターを他の人に例えるのは、失礼なのでしょうけれど)、
奥田英朗さんとか、辻原登さんの本を読んだ時の充足感に似ている。
空振りがない。
ちゃんと、琴線は震わせてくれる。それなりに。
そんな書き手だな、と思う。
先日、テレビでモネを紹介する番組を見た(たまたまつけていた、だけ)
モネがいかに日本びいきだったか、をモネの住まいを紹介しながら説明していた。
びっしりと浮世絵か飾られているリビングが日常生活の場だった、と。
彼は、どうしてそこまで日本びいきになったか、という話題の中で、
西洋の絵描きは、王侯貴族や資産家などのパトロンからの注文で絵を描いていた。絵を描くとは、古来そういうものだった。
ところが、パリ万博でみた日本の浮世絵は、絵描きが描きたくて描いているのであって、注文で描かされている風が感じられない。そのことに衝撃を受けたのだと。
19世紀後半のヨーロッパで印象派が一世を風靡しようとした時期に、庶民階層の絵画(数多く印刷できる版画)がヨーロッパに持ち込まれたから、それがドストライクとなったのだろう。
なんだか、モネやゴッホたちが、闊達に表現されている日本の版画に傾倒した理由がより一層理解できた気がした。
垣谷美羽さん、奥田さん、辻さん、ほかにもいらっしゃるだろうけれど、これらの書き手の本に読みふける(面白いと思う)本読みの層が厚いのが、日本なんだ、江戸期に浮世絵や読み本が流行する素地を持っている国なんだと思う。
他の国はどうなのだろう。
垣谷さんの本の断片を思い出した。
メモしておきます。
「この中で、お金を出して絵を買ったことがある人いますか」
と、美大生を前に質問。
誰も手をあげない。
そうです。
あなた方は自分が絵が得意だから美術大学に入った。そしていい絵を描こうと思っている。でも、その描いた絵を買ってくれる人なんて、いないのです。絵の好きな自分たちでさえ、絵を買おうと思ったことがないのが現実なのだから、と。
そのようなひとコマがあった記憶。
美大生は学生時代は「美大生」でとおるけれど、卒業したら「失業者」。そんな揶揄した言い方を聞いたことがあります。「音大生」だったかな?
芸術大学に入ることがお嬢さんの習い事に箔をつけるのでOKだけど、食べていくのだとしたら、覚悟が要りますね。
余談。
それでも、自分の子供にピアノを習わせるか。
毎日のレッスンをさせた経験があるけれど、自分はしたことがないので、なんとも言えない。