日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

構想、いろいろ。

2018-09-22 08:41:40 | 庭 9月
雨降りが続く。

この空模様でいいこともある。
挿し芽(コリウス、ベロニカオックスフォード)が元気なのです。

大鉢のゴールドバニーが老木化して、元気がない。
一番目立つ場所を陣取っているので、交替を考えている。

候補は、つるピース。
日当たりがイマイチで、枝は2メートル以上に伸びてはいても、まともな開花はない。
これを交代要員にしようと思う。

フォールスタッフ2鉢が、毎度イマイチです。一緒に購入したパレードは大木に育っているのに、日当たりイマイチの場所で数年過ごし、鉢に移し替えてからも、枯れない程度に生きている、と言った風情。
イングリッシュローズで期待できるはずなのに、、、です。
これは、退場したレオナルドダビンチの後に、もう一度地植えで育ててみようと思う。

スペースがあるから植えればいいってものじゃない、ことはわかっている。
ストロベリーアイスも感動するほどの花を咲かせていたのに、隣のアーチのバラが繁茂したこと、反対隣のルージュピエールドロンサールが大木になった(根の張り具合もすごいと思う)ことから、枯れてしまった。

その場所に、先日買ったギガンジュウムの球根を埋めた。近隣のバラの根っこと共存してくれたら、と願う。

庭仕事をしたくても、右手の中指にものが触れると、痛みを感じる(傷口が治り途中なのに、逆行しそう)ので、ガマン。

小雨の中、パチリ。
クレマチス。




バラ、コンパッション。本来はもっと大輪のはずですが、、、。


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寒さに向かう北海道の被災地、暖が取れるように復旧しますように。

2018-09-22 06:42:47 | 私の雑感あれこれ
地震の直後に、大丈夫だから安心して、と息子から一報が入っていた。
停電が困るといっていたけれど、それも復旧したのか、不都合はないらしい。

住居に土砂が押し寄せた厚真町の空からの写真が傷ましい。

北海道は広い。距離感覚が違う。
かつて、息子の下宿探しに行ったとき、阪神大震災の時はさぞかし大変でしたでしょう、と労われたことがある。
我が家は中京であって、阪神とは遠く離れているのに、北海道の人から見たら、大阪も名古屋もすぐ近く、に思えるのだ、とその時思った。

白老町に行ったことがある。
苫小牧で乗り換えた記憶。
だから、被災地の厚真町の近くかな、とぼんやり思っていたけれど、調べたら、尖った室蘭の右側が厚真町で白老町は左側っぽい。

白老町(たまたま2度行った)には、アイヌ民族村(資料館)がある。
かつてのアイヌの家が再現されてある。暖は囲炉裏の火だけ。明り取りにもなるのだろう窓があいている。その窓は神様が入る場所だと説明を聞いた。壁には民族衣装が掛かっていた。その中に、魚(多分シャケ)の皮でできたものもあった。褞袍のようなアイヌ文様の衣服もあるけれど、素材は木の皮だろうか。綿花栽培の文化はなかったはずだから。
こんな寒冷地で生きていく知恵と困苦を見せてもらった記憶が、すっと頭に残っている。

その白老町よりも東側だとすると、さぞかし200年ほど前は、そもそも人は極端に少なく、わずかの人たちが、アイヌの家屋での生活だったのかしら、と想像もする。

司馬遼太郎の「菜の花の沖」には、江戸後期の蝦夷との交易が描かれている。菜種の肥料にするために、魚を干して粉にしたものを買い取り(金肥)、暖地である播州で綿花を育てて、織物にして、北海道にも持っていく。肥料を入れる袋(稲わらから蓆を作り、カマスに)も、蝦夷ではそもそも稲作りをしていないから、稲わらがなくて、北前船で秋田、山形あたりで購入して、蝦夷地で売った。

そういえば、池澤夏樹の「静かな大地」では、幕末期、淡路の藩が幕府から蝦夷地への移転を命じられ、遠路、海路を日高あたり(厚真町あたりかな?)に入植したとの難儀、アイヌとのかかわりが描かれていた。

近場で読んだのでは、幕末の松前藩、戊辰戦争の顛末にも蝦夷地が出てくる。

何度か北海道を訪ねているので、その開拓の資料にはその都度、接したりはしている。


なので、北海道の空からの写真を見ると、整った耕作地が広がっていることに目を見張る。
たくさんの労苦のもとで、本州と変わらないほど手入れの行き届いた耕作地になっているのだと(なにを今更、の話、と言われそうですが)。
そして、山裾に沿って民家が建てられています。冬の強風を避けて、でしょうか。耕作地の日照を優先してのことでしょうか。
そもそも山が崩れるなんて想像もしていなかったから、なのでしょう。

北海道の民家には、雨どいがありません。冬場、水分が凍ってしまうから。外気を遮断するため、窓は2重窓です。玄関も2重、ドアを入って、もう一度ドア、と。私たちの地域とは違う防寒対策がなされています。暖房は灯油が一般的と聞いていますが、昨今はどうなのでしょう。

その北海道に、いち早く冬が近づいています。
復旧に期待しています。


なんで、↑ なこと、ダラダラと書こうと思ったのか、

今朝の経済新聞1面の「春秋」の記事を読んで、記者さんが札幌に赴任していた時のエピソードが掛かれていたからです。
北海道弁として「なんも、なんも」「なんもさ」を紹介しています。
あらっ、これって、北海道弁?  私たち北陸でも使う言葉です。

北海道弁になっているのだろうけれど、遠く北陸から北海道に生活の場を求めていった人たちがすでに何世代も経過して、北海道弁になったんだ、そう思いました。
もともとは蝦夷地はアイヌの暮らしがあったわけで、その後、幕府から強制されての入植、交易、明治以降の屯田兵による開墾などを思ったので、ここに吐き出したということです。

中央集権が徹底しているからか、テレビの普及からか、生活文化はほとんど同じですよね。
テレビ画像からは、映像は伝わるけれど、気温は伝わりませんから。新千歳空港に降り立つと、その気温差にハッとする。

私は北陸育ちで、雪にはなれていますが、北海道の握っても雪玉ができず、パラパラとこぼれるという雪は知りません。


その北海道に、いち早く冬が近づいています。
復旧に期待しています。










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