日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

1年ぶりの母の顔。

2020-10-23 07:26:39 | 母のことなど
コロナ禍もあって、春先から禁足状態だった。
久しぶりの北陸行き。
長距離バスはガラガラ。行きも帰りも、きっと私が最高齢乗客。列車だと新幹線ができてから、乗換が2回になり不便になったから、直通バスがお値打ちで便利なのです。

母も同乗して迎えに来てくれた。私(娘)と認識はしているけれど、反応はおとなしめ。
最近はショートスティを目いっぱい利用して、在宅日数は5日間ほど。
特養にしたら、と話題にしたら、今の状態が一番母のためにもいい、と弟夫婦が言ってくれるので、聞いているだけ。
今の状態でいい、と口をそろえていってくれるのは、遠方にいる娘としては助かる。

ショーとスティ費用と、介護用品のレンタル料とのダブル出費で嵩むと大変かな、と思ったけれど、1割負担のおかげでレンタル品を極力減らして3000円程度で済んでいる。

去年の秋(102歳)からようやく、夜間オムツを提案したのだけれど、本人の納得を得るまで大変だったようだ。自宅でも大変。そしてショートステイ先でも大変。1時間おきぐらいに、呼び出しベルでトイレ介護を求められたら、周りがたまったものではない。でも、本人とすればオムツに排尿する惨めさに耐えられなかった、そこのところのギクシャクで苦労した。

今は、オムツを受け入れてくれてラクになった、と。
だからか、反応も鈍くなった面もあるのかもしれない。でも、特養とは違って、昼はトイレ介助の生活だからまだ気力が残っているのだと思う、と。

人手が足りない理由で昼夜オムツに排尿状態にされたら、きっと気力も萎えて終わりが早くなるのではないだろうか、とも。

耳が遠く大きい声でないと聞こえないこともあって、会話の内容はしごく単純になってきていたのだけれど、今回は本人の反応(口数)が極端に減った。ニコニコはして、食欲は衰えず満足気なのだけれど、衰えていくというのは、こんな風になっていくのか、とついつい思ってしまう。

椅子から車椅子への移動、ベットやトイレへの移動が難儀。半身不随でかつ膝も全く堪えがないから、50キロの米俵のようなものです。とても女手ではできません。トイレの始末も下着の上げ下げの介助も3Kの重労働です。
介護の大変さをつくづく思います。

それでも、食欲はあっておいしそうに自分で左手でスプーンとフォークでぎこちなく口に持っていくのは健在です。

いろいろ考えさせられます。

わたしが高齢になったとき(団塊の世代)は、こんな超高齢者が増えすぎて、状況が変わるのではないかしら、とちよっと脳裏をかすめたりします。

前回の時は、別れるのが寂しいと泣き崩れましたが、今回は「帰るから」といっても、首を振って理解したもののそりだけでした。
悲しむという感情にも老衰が来ているようです。

コメント
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