イチゴが通年で出回っているけれども、朝の食卓に上るのは5月。
家庭菜園の朝のイチゴがふたつぶ、みつぶと採れ始め、その内ザルいっぱいにとれるようになったかと思うと、アッと間にふたつぶ、みつぶになり、そしてその年は終わる。
朝の食卓で
「お父さんの作ったイチゴだからね」と言うと、
「違う、太陽がなかったらできないよー」と息子。
お父さんの作ったイチゴと言うその都度に
「違うー」と。
それから我が家では
「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」(タイヨウト ツチト ミズト オトウサンガ ツクッタイチゴ)というながーい言い方が続きました(落語の寿限無のよう? 笑い)。
そう、
「太陽と土と水とお父さんが作ったエンドウ」も、同じ頃食卓に上りました。
子供たちが巣立った食卓では、寿限無のような長い呼び名を唱えることもなくなりました。
「違うー」と、口をとんがらかして「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」言い直していた息子も社会人。
今は北の地方に暮らしていますが、イチゴを食べる時思い出すこともあるでしょうか。
家庭菜園の朝のイチゴがふたつぶ、みつぶと採れ始め、その内ザルいっぱいにとれるようになったかと思うと、アッと間にふたつぶ、みつぶになり、そしてその年は終わる。
朝の食卓で
「お父さんの作ったイチゴだからね」と言うと、
「違う、太陽がなかったらできないよー」と息子。
お父さんの作ったイチゴと言うその都度に
「違うー」と。
それから我が家では
「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」(タイヨウト ツチト ミズト オトウサンガ ツクッタイチゴ)というながーい言い方が続きました(落語の寿限無のよう? 笑い)。
そう、
「太陽と土と水とお父さんが作ったエンドウ」も、同じ頃食卓に上りました。
子供たちが巣立った食卓では、寿限無のような長い呼び名を唱えることもなくなりました。
「違うー」と、口をとんがらかして「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」言い直していた息子も社会人。
今は北の地方に暮らしていますが、イチゴを食べる時思い出すこともあるでしょうか。
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