西脇順三郎「じゅんさいとすずき」の「あとがき」(筑摩書房『定本西脇順三郎ⅩⅠ』)
この文章の「なさけなかった」に「詩」がある。「恥ずかしい」でも「気後れ」でもない。「なさけない」――この口語の不思議な響き、「NA・SA・KE・NA・I」ということばのなかにある「あ」の音の繰り返しの美しさ。「なさけなかったからである」と発音するとさらにその音が広がる。
西脇のことばには、意味以上に音楽の美しさ、音楽としての「詩」がある。
この文章にはつづきがある。
「義務」ということばのつかいかたもおもしろいが、最後の「虫の知らせ」のつかいかたがとてもおもしろい。ユーモアがある。
西脇のことばのつかいかたには、あれ、そのつかいかたはちょっと違うぞと感じさせるものがある。普通はそんなふうにはつかわない。わかっていて、わざとずらしてつかう。
このとき「虫の知らせ」という、感覚的であいまいなものが、実にリアルなものにかわる。そして不思議な快感――笑いにつながる快感を覚える。
これは「意味」を骨抜きにする笑いだ。
ここにも西脇特有の「詩」がある。
九月の中頃私は小田急の線路の柵の外を走る小路を憂鬱な思いで家路を急いだ。するとその柵に沿ってアカザとヨモギが密生している。それで私は漢文をよくするある若い英文学者に電話した。ただ遊びにこないかといった。実はそれを見せたかったのだが、それを見に来たまえというとあまりにセンチメンタルに思われるのがなさけなかったからである。
この文章の「なさけなかった」に「詩」がある。「恥ずかしい」でも「気後れ」でもない。「なさけない」――この口語の不思議な響き、「NA・SA・KE・NA・I」ということばのなかにある「あ」の音の繰り返しの美しさ。「なさけなかったからである」と発音するとさらにその音が広がる。
西脇のことばには、意味以上に音楽の美しさ、音楽としての「詩」がある。
この文章にはつづきがある。
しかし彼は用があってこられなかった。(略)一週間ほどたってから、またその道を行くと、もうその藪のしげみが綺麗にかりとられていた。線路係の工夫が義務としてそうしたのだが、私にとっては残念なことだ。なにかその藪にいた虫が知らしたのか電話をかけたのであった。
「義務」ということばのつかいかたもおもしろいが、最後の「虫の知らせ」のつかいかたがとてもおもしろい。ユーモアがある。
西脇のことばのつかいかたには、あれ、そのつかいかたはちょっと違うぞと感じさせるものがある。普通はそんなふうにはつかわない。わかっていて、わざとずらしてつかう。
このとき「虫の知らせ」という、感覚的であいまいなものが、実にリアルなものにかわる。そして不思議な快感――笑いにつながる快感を覚える。
これは「意味」を骨抜きにする笑いだ。
ここにも西脇特有の「詩」がある。