荒川洋治「心理」(みすず書房)
冒頭の「宝石の写真」がすばらしい。谷川俊太郎の「父の死」を読んだときに感じた興奮を覚えた。現代詩の一ページを開く詩である。
落合寅市は、嘉永三年368―0103小鹿野町般若の生まれ、369―1503吉田町下吉田で炭焼き、蜂起では副隊長。銃撃戦のあと、高知県土佐山村に逃れる。
「土佐山村の土佐山なら781―3201、それ以外の村内なら781―3200~3223の間になる……」
「368―0103」は郵便番号である。この詩に登場する秩父事件の人物達が生きていた時代にはなかったものである。そのなかったものを手がかりに荒川は過去に存在し、今は存在しないものを追いかける。
その手つきのなかに「詩」がある。
世界にはかつて存在し、現在は存在しないものがある。現在は存在する(新しく作られたから)が、かつては存在しなかったものがある。
それは、どういう関係にあるのだろうか。
荒川は、そうした問題を静かにおいつづける。けっして結論を求めているわけではなく、ただ自分にできる範囲で追い求める。追い求めるとき、自分自身の「尺度」(定規)を捨てない。――ここに「詩」がある。
荒川は一度として荒川自身の「定規」を捨てない。荒川の「定規」ではかった世界の地図、現実の地図を差し出す。その地図は、私たちの思い描く地図とは違っているだろう。そして、その違いのなかにこそ「詩」がある。
荒川は、この作品のなかでは秩父事件の登場人物の動き、見えたり見えなくなったりするものと、笛の練習グループの動きを重ね合わせる。何年もつづけるうちに、笛のグループの技量のなかにも見えたり見えなくなったりするものがある。その繰り返しのなかで、現実の「土台」がつくられていく。
そうした「土台」を荒川は「宝石」と呼んでいる。