詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇396)Obra, Xose Gomez Rivada

2023-08-20 22:23:23 | estoy loco por espana

Obra, Xose Gomez Rivada
Série Señorita "LULÚ", Pintura sobre Passpartue 50x40

 La mujer tenía dos caras. Una estaba oculta por el maquillaje y la otra por un vestido hermoso.
  La cara maquillada tenía ojos y boca. Los ojos estaban abiertos y la boca intentaba decir algo. Se podría decir que, debido al maquillaje, su existencia se había vuelto abstracta. Abstracto puede reformularse como significado.
  Los ojos de la cara, ocultos por el vestido, estaban cerrados, no tanto para mirar dentro, sino para que no se viera el interior. No estaba claro si la boca estaba cerrada o abierta. No podía abstraerse este rostro, es decir, este rostro se negaba a generalizarse. Y era un rostro que se hinchaba salvajemente y se acercaba a mí, como el deseo.
  No sé si lo vi realmente o si lo soñé. En otras palabras, no sé si es mi sueño o si la mujer ha invadido mi realidad como un sueño.
                                                                                                                                                                                              ( Notas para el poema).

 女は、顔を二つ持っていた。ひとつは化粧で隠し、ひとつは華やかな衣裳で隠していた。
  化粧で隠した顔には、目と口があった。目は見開かれ、口は何かを言おうとしていた。化粧のために、その存在は抽象的になっていた、と言い直すこともできる。抽象的とは、意味と言い直すことができる。
  衣裳で隠した顔の、目は閉ざされていたが、それは内面を見るためというよりも、内面を見せないためのように思えた。口は、閉ざされているのか開かれているのか、わからなかった。その顔は、抽象化できない、つまり一般化を拒んだ具体的な存在だった。そして、それは欲望のように、乱暴に膨れあがって近づいてくる顔だ。
  ほんとうに見たのか、夢で見たのか、私にはわからない。つまり、これは私の夢なのか、それとも女が夢になって現実に侵入してきたのか、わからない。
                                                                                                                                                                                                        ( 詩のためのメモ)

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(24)

2023-08-20 15:08:36 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「朝の海」。エーゲ海の美しい朝。青と金色の輝き。光。

ここに立たせておいてくれ。こういうもの皆を見るふりをさせといてくれ。

 ほんとうに見ているのは「朝の海」ではない。「ふり」をしている。ほんとうは別のものを見ている。そういう詩なのだが、それを強調するのが「皆」である。ほんとうに見ているのは「ひとつ」なのだ。
 その「ひとつ」とは何かは最終行であきらかにされるのだが、「ふり」からわかるように、それは肉眼では見ることのできないものであり、同時に肉眼に刻み込まれたものなのだ。ことばが加速して、気持ちが強く響いてくる。いらだちを含んだ、とりかえしのつかない悲しみがあふれる。そばにいる友人に言っているのではない。自分のこころに、あるいは理性に、そう呼びかけているのだ。そうするしかないのだ。
 声のわずかな変化、意味を超える変化を聞きとる中井の聴力、声にシンクロする中井の人間の力を感じる。

 

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林達夫「切支丹運動の物質的基礎」

2023-08-20 12:16:39 | 考える日記

林達夫「切支丹運動の物質的基礎」(林達夫著作集2)(平凡社、1982年03月23日、初版第9刷発行)

 林達夫「切支丹運動の物質的基礎」は、キリスト教の布教は、どうやって日本でおこなわれたのか。彼らが日本で布教できたその背景の、経済的基盤はどうなっていたのか、ということについて書いている。私は学校教育の「歴史」は好きではないが、こういう文章を読むと「歴史」というのはとてもおもしろいと思う。「過去」のできごとではなく、「いま」の問題としても見えてくる。
 いや、実際、彼らが日本に来て、どうやって布教したのか。「情熱」や「使命感」だけではできない。そこには何らかの「戦術」というか「政略」がないと、できない。
 林達夫は、彼らが、日本とポルトガルとの貿易のなかに割り込んで、商人となることで金を稼いだということを明らかにしている。彼らは、世界に支店をかまえる「ヨーロッパ最大の商業会社」だったのだ。
 びっくりして、目が覚めてしまった。
 スペインを中心とした国がアメリカ大陸に進出し、「布教」したのも、その背景には「商業主義」があった。金儲けがあった。金儲けをしたい集団と手を組んで、布教はおこなわれた。これは日本でも同じだ。

 宗教(キリスト教)が「金儲け」をしていいのか。私は信徒ではないから、そういうことは気にしないのだが、どんな世界にだって、人間が生きていくとき、「理念」から逸脱していく何かがある。そこに、人間の生き抜く力がある。
 それを肯定するか、否定するかは、これは別問題なのだが。

 ここから、私は、ぜんぜん関係ないことを思い出すのだ。
 私はかつて仲間と一緒に詩の同人誌「象形文字」を発行していた。そのときの同人のひとりに阿部泰久がいる。彼の詩は、なんというか「理念」を書いていなかった。言い直すと、「荒地派」のような詩ではなかった。むしろ、キリスト教の「商業活動」のように、どこか「生活」に密着しているものがあった。別なことばで言うと、そんなこと詩にしなくたっていいじゃないか。隠しておいた方が、詩(理念)っぽくない?というようなこと。詩集がどこかにあるはずだが、ちょっと見つけ出せないので、具体的な引用はしない。そこには「理念」ではなく、生きている人間の「視点」の確かさがあった。
 阿部は、この「視点」を掘り下げる形で、詩から俳句へとことばの運動を変えて行った。
 この「視点」は、別の「視点」から見ると、なんというか「間違い」であった。つまり、その当時の流行の詩からは少し「ずれていた」。そのためにとんでもない批判、こころない批判をするひともいた。しかし、どんな「間違い」にも、それぞれの「存在理由」がある。
 それはキリスト教布教が貿易に関与し、商業会社として動いてもいたということに少し(かなり)似ている。

 ここからまた脱線するのだが。
 私は詩の講座で詩を教えている。日本語教師として、外国人に日本語を教えている。日本語教師として大きな声では言えないが、私が目指しているのは「間違える」ことを教えたい。
 私は「学校の先生」にはいい印象を持っていないが、それは「先生」が「正解を教える」ことに忙しくて、「間違える」ということを教えないからだ。
 いつ、どこでも「間違い」は存在する。「正しい回答」と同じように、存在する。存在してしまう。
 それはなぜなのか。
 なぜ人間は間違え、その間違いを後で修正するにしても、間違えるという瞬間はなぜ存在してしまうのか。言い換えると、ひとはなぜ間違えることができるか。
 これは、私が「永遠の課題」のようにして考え続けていること。
 人間は、間違えることができる。そこに人間のヒミツガあると思う。
 どんな間違いの中にも、何かしらの真実、一理がある。それなりの理由がある。そこに「生きる力」のヒミツがある、と私は考えている。
 これは、また逆のことも言える。
 どんな「正解」のなかにも、「間違い」のきっかけはある。物理の発見が、ただ人間の幸福のためにだけ役立つかといえばそうではなく、原爆が開発され、多くの人が犠牲になったように。もし物理学者が「間違い」つづけていたら、1900年にわかっていることだけが「真実」だったら、原爆は完成しなかっただろう。また別の武器が開発されたかもしれないが。

 林達夫の書いている文章の趣旨とは関係がないが、つまり、こういう感想は、学校作文(論文)では「間違い」なのだが、いまの私には、こういうことを書くだけの「理由」がある。書かずにはいられない「理由」があるということだろう。それは、他人に説明しても、たぶん、わからない。「間違い」だから。

 

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