青柳俊哉「余韻」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年07月17日)
受講生の作品。
余韻 青柳俊哉
冬の木から 水鳥がはばたく
月に鷺が響く 水のような
夜明け 空の端から端へ伸びる
雲の暗い紫 言葉が瞬時にめざめる
枯野の草は柔らかく 葉音は
一面に潮を引いて空へむかう
水鳥の中へ 太陽は落ちていった
空と海は 葉の潮に溺れる
光は光を演じ 水は水を演じる
人は言葉を 鳥は水の音を
光と水の余韻が
刻印する鏡
冬の情景が端的に描かれている。「一面に潮を引いて空へむかう」には飛躍があって楽しい。光と面を感じる。宇宙の静けさを感じる。「光と水の余韻が」という行には、対象に余韻ということばが集中している。「光は光を演じ 水は水を演じる」という一行、自然からことばがやってくるという感じに満ちている。「光と水の余韻が」には、そのもののもつ力を感じる、というような声。
青柳は、書きたかったのは最後の二行と「光は光を演じ 水は水を演じる」という行。自然から感じたものと対応しあっている(照応)の感じ、鏡のイメージと語った。
私も「光は光を演じ 水は水を演じる」が好きである。自分自身を繰り返す。そのとき、透明になり、強くなるものがある。他人を演じることでは到達できない境地のようなものが、そこからあふれてくる。
*
あと3ふんで 木谷明
ブルーインパルスを見たいと言ったのはあなただったのに
きょうは私が見ましたよ
地味なもんでした
グレイ色したけむりをながして
ひとが亡くなりましたから
レインボーカラーの煙は見ましたよ以前に
あれはお祝いの前日の予行演習で娘の卒業式の日で
けれど
本番はありませんでしたひとが亡くなりましたから
こうなるとひとはいつでも死んでいるから
いつでも虹の橋をとかいうくせに
しかたない
ほんとの空は虹をみせてくれる
あの日のそらに弧を描く人のいるということも
見上げたということもいつでも偶然で
あと
3ふんで飛んでくるから一緒に見らんと言ってもらい
色のことは誰も言わずに
今日いっしょにみましたよ
音が柔らかい。口語体が流れるように書かれている。詩的散文になっている。死のイメージが「ほんとの空は虹をみせてくれる」と結びつく。短い一行が独立している。感覚がするどい。空の広さを感じる。運命、人の生命を感じる。短い行に強い意思を感じる。
好きな行は「ほんとの空は虹をみせてくれる/あの日のそらに弧を描く人のいるということも」の二行、さらに書き出しの一行に、短い行も不思議な感じ……。
私は三行目の「地味なもんでした」が非常に印象に残っている。こころに突然あらわれた「現実」という感じ。西脇の、ふいの口語の出現に似ている。全体が口語だが、とくにこの一行の口語性が強い。口語出歩かないかを意識しない無意識の口語。この無意識に発せられた「地味」の奥にあるもの、「地味」と言わずにはいられない何か、もっと派手であったら(もっと華々しくあってくれたら)違った思いができたかもしれないが隠れている。
「地味」が逆に、ほんとうに見ている何か(見たかった何か)を浮き彫りにしている。
*
草 池田清子
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
と 八木重吉はうたった
娘が れんげ畑で花冠をつくった
立花山の頂上は 爽快だった
許斐山では ゴロと一緒に走りまわった
公園では 青いシートの上でお弁当
今 寝っ転がって 外を見ている
空ばかりが広い
?
抜いたのに この雨でまた 生き生きしている
たくさんの 犯してきたまちがいを
とりかえしのつかないまちがいを
そんなに深く見ないで
「まちがい」の意味は何だろうと考えた。よくわからないが「許斐山では ゴロと一緒に走りまわった」はよくわかる。「とりかえしのつかない」からの、最後の二行は誰に対して言っているのだろうか。
「子ども(娘)に対してではないですか」「花かもしれない」「自分自身に対してかも」という声を聞いて、池田「雑草に対して、言っている」。
このあと、誰にも理解されなかったのには驚いた、と池田は感想を漏らしたが。
しかし、これは、いいことではないだろうか。読者が全員同じこたえを、そしてそれが池田の書いた通りだとしたら、その詩は実はつまらないのではないか。詩は論文や法律ではではない。死の感想を語るのは、学校のテストではない。答えがばらばらなのは、その詩のひろがりが広いからではないのか。詩のことばが豊かになってきているからではないのか。
読んだ人の感想がみんな違っている、というのは詩にとっては、とても大切なことだ。
*
白い空 杉惠美子
水平線の膨らみを過ぎて
白樺並木を歩いていたら
ふと小さな音がした
細い木だけれど
風を受けても大きくは揺れず
枝々を通過させて
互いを響き合わせるように
立っていた
空を見上げると
あらゆる自然の力の先に
透明なエネルギーで囲まれた
小さな渦
何枚もの紙をめくって
めくって
探し続けた
裏も表もなく
問いばかりが書かれた
紙だった
その問い達は
渦を巻きながら私を誘
い
大きな渦となった
そして時が経ち
少しずつ角度が変わり
問いと答えは繰り返し
ながら
同じになっていた
気がつくと
小さな渦は
見えないけれど
私を待っていてくれたようで
少しずつ静かな気持ちになった
私は救われて
包まれて
沈黙の白い空に吸い込まれていく
*
白い空
水平線の膨らみを過ぎて
白樺並木を歩いていたら
ふと小さな音がした
細い木だけれど
風を受けても大きくは揺れず
枝々を通過させて
互いを響き合わせるように
立っていた
空を見上げると
あらゆる自然の力の先に
透明なエネルギーで囲まれた
小さな渦
何にも見えないけれど
私を待っていてくれたようで
少しずつ静かな気持ちになった
私は救われて
包まれて
開いた空に
吸い込まれていく
同じタイトルの、長い詩と短い詩。
目に見えないものを比喩の力で浮かび上がらせている。「何枚もの紙をめくって」がいい。長い詩の三字下げをした三連がいい。前の部分は情景の描写。三字下げの部分は心象風景と思って読んだ。
字下げの部分は意識が「小さな渦」に集中している。その集中力の結果が「比喩」になる。比喩が生まれるとき、意識は集中している。これは逆に言えば、意識の集中を欠いた比喩は、上滑りな連想、つまり「常套句」ということになるだろう。
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