「内輪話」は読売新聞の独壇場
2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)はとてもおもしろかった。
「編集手帳」で菅を、夏目漱石の『三四郎』を引き合いに出して、揶揄している。
やっと批判する気になったらしい。
でも、この視点から言えば、23日の「桜を見る会」の特ダネを掲載した日のトップ記事、「goto札幌除外26日」は、やはりこんなに手間取ると指摘すべきだったのだと思う。
で、きょうは一面に「大坂・札幌市発 自粛要請」という見出し(記事)がある。これは、菅のどたばたを象徴するニュースだが、おもしろいのは二面の「裏話」。「GoTo見直し 不協和音」という見出しの記事の後半に、こういう記事がある。
非常に「克明に」菅周辺の「心理」を描写していることである。「首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音」と説明したあと、これでもか、これでもか、というぐらいに説明している。
①首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており
②政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした
③別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた
びっくりするは「主語」が①②③と別人であることだ。「首相官邸」「政府高官」「別の高官」と三人も「証言」している。いっしょうけんめい菅の心理を代弁している。「分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いた」というのは読売新聞の記者の判断だろう。だから「だろう」とつけくわえているのだが、これだけではまだ菅の周辺でおきていること(菅のいらだちにみんながピリピリしていること)がつたわらないと思ったのか、こうつけくわえている。
あらたに「政府関係者」が登場した。合計四人もの人間が「菅の思い通りにならない」(ということに菅が怒っている)と証言しているのだ。
異常じゃない? こんな書き方。
これを、どう読むべきなのか。読売新聞は、菅にこんなに同情している、と読むべきなのか、「自分の思い通りにならないからと会見も開かずすねてしまう菅はもうだめだ」と印象づけたいのか。23日の新聞に「二階派閥の伸張」を語る「作文」が載っていたが、菅から二階に乗り換えよう、ということを誰かに語りかけているのかな?
よくわからないが、こんな「内幕」を長々と書いてしまうところが読売新聞のおもしろいところ。ニュースとは関係ないように見えて、こういう「ごちゃごちゃ」が意外とニュースの本質なのかもしれない。
「学術会議」にしても、結局、「なぜ菅の思い通りにならないんだ」といういらだちが、むちゃくちゃに拡散してしまった。「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」が通らなかったために、いくつもいくつも「理屈」をでっちあげ、でっちあげるたびに破綻した。菅の政策は、たったひとつ「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」という「独裁」が就任以来つづいている。そういうことを読売新聞は間接的に(独裁)ということばをつかわずに書いている。
#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞
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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
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2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)はとてもおもしろかった。
「編集手帳」で菅を、夏目漱石の『三四郎』を引き合いに出して、揶揄している。
<用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない>◆「会見」という言葉を含むのを思い出して、菅首相の顔を浮かべながら文庫本に先の記述を探した。新型ウイルスの感染が急拡大して以降、立ち話の取材は受けるものの、一度も記者会見を開いて国民への呼びかけをしていない
やっと批判する気になったらしい。
でも、この視点から言えば、23日の「桜を見る会」の特ダネを掲載した日のトップ記事、「goto札幌除外26日」は、やはりこんなに手間取ると指摘すべきだったのだと思う。
で、きょうは一面に「大坂・札幌市発 自粛要請」という見出し(記事)がある。これは、菅のどたばたを象徴するニュースだが、おもしろいのは二面の「裏話」。「GoTo見直し 不協和音」という見出しの記事の後半に、こういう記事がある。
トラベル事業利用者の感染者は26日時点で202人にすぎないこともあり、政府は事業と感染拡大に因果関係は認められないとの立場だ。首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音とされる。首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており、政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした。
別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた。「目的地制限」とは異なり、出発地については自粛要請にとどめたのは、分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いたようだ。
非常に「克明に」菅周辺の「心理」を描写していることである。「首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音」と説明したあと、これでもか、これでもか、というぐらいに説明している。
①首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており
②政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした
③別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた
びっくりするは「主語」が①②③と別人であることだ。「首相官邸」「政府高官」「別の高官」と三人も「証言」している。いっしょうけんめい菅の心理を代弁している。「分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いた」というのは読売新聞の記者の判断だろう。だから「だろう」とつけくわえているのだが、これだけではまだ菅の周辺でおきていること(菅のいらだちにみんながピリピリしていること)がつたわらないと思ったのか、こうつけくわえている。
分科会との橋渡し役の西村経済再生相への風当たりも強い。政府関係者は「分科会にきつく言われるたびに、政府がずるずる付き合っている」と苦言を呈する。
あらたに「政府関係者」が登場した。合計四人もの人間が「菅の思い通りにならない」(ということに菅が怒っている)と証言しているのだ。
異常じゃない? こんな書き方。
これを、どう読むべきなのか。読売新聞は、菅にこんなに同情している、と読むべきなのか、「自分の思い通りにならないからと会見も開かずすねてしまう菅はもうだめだ」と印象づけたいのか。23日の新聞に「二階派閥の伸張」を語る「作文」が載っていたが、菅から二階に乗り換えよう、ということを誰かに語りかけているのかな?
よくわからないが、こんな「内幕」を長々と書いてしまうところが読売新聞のおもしろいところ。ニュースとは関係ないように見えて、こういう「ごちゃごちゃ」が意外とニュースの本質なのかもしれない。
「学術会議」にしても、結局、「なぜ菅の思い通りにならないんだ」といういらだちが、むちゃくちゃに拡散してしまった。「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」が通らなかったために、いくつもいくつも「理屈」をでっちあげ、でっちあげるたびに破綻した。菅の政策は、たったひとつ「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」という「独裁」が就任以来つづいている。そういうことを読売新聞は間接的に(独裁)ということばをつかわずに書いている。
#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞
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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
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