河野俊一「そのたびに」、愛敬浩一「観念的な悩み」(「潮流詩派」262、2021年07月10日)
「潮流詩派」262が「短詩」の特集を組んでいる。そのなかから一篇。河野俊一「そのたびに」。
同じことを
何度も繰り返して
話す日が来るように
同じ詩を
何度も書く日が
きっと私に訪れる
いくつかのテニヲハは違って
ものの名前も
似たようなものに
すり替わっているかもしれないが
なかみは概ね同じで
でも書くたびに
新しい気持ちに戻り
ふりだしに引き返しては
怒ったり
喜んだりする
私は、毎日同じような感想を書いているので、それでいいと思っている。特に「新しい気持ち」にならなくてもいいかなあ、とも思う。
この詩の感想を書く気持ちになったのは「概ね」ということばが印象に残ったから。
「概ね、か……」と、私は、ふと思ったのだ。声には出さなかったが。
そうか、河野はこういうことばをつかうのか。私は、河野のことを個人的に知らないからわからないが、こういう少し形式ばったことばで日々を繰り返しているのだろうか。「同じこと」と書き出されているが、その「同じ」を支えるのは「無意識の形式」かもしれない。
さて。
この「形式」というのは、暮らしの中で、どんなふうに生きているだろうか。
愛敬浩一「観念的な悩み」は、実家の居間と駐車場のあいだにある木のことを書いている。
「そこに緑があって、助かるねえ」と
ふいに、母が言う。
表からの“目隠し”になるというのだ。
この「目隠し」が「形式」である。自分の家を覗かせない。しかし、居間からは外の様子が伺える。内と外を切り離し、同時につなぐ暮らしの工夫。それが暮らしの工夫であることは、母のことばを聞きながら、父を思い出すからである。
たぶん、父がそう言っていたのだろうと思った。
父親が亡くなってからは、ほぼ毎日
仕事帰りに、実家に寄った。
日曜日は、昼前には顔を出していた。
なぜか、父親の座った場所に座らされ
今さら、母親と話すこともないのだが
「そこに緑があって、助かるねえ」という
ほとんど意味を持たない母親の言葉に
その時、上手く反応できなかったことを
母の三回忌も過ぎた今
「観念的な叫び声をあげ」(田村隆一)、悩んでいる。
「形式」は共有されて始めて「形(式)」になる。どんなふうに暮らしを整えるかという意識が「形式」を生み出す。それは暮らしの中で共有されて、無意識(無意味)になっていく。これが「繰り返し」の持ついちばん重要なものだろう。
無意識、無意味だから、それを「観念」にまで拡大し(?)、精錬し(?)、点検するのはとても骨が折れる。そういうとき「観念的な叫び」というのは生まれるのだろうか。それは「観念」になろうとする「叫び」かもしれないなあ。
ここで、私はふいに、河野の「概ね」に戻るのである。
「観念」と「概ね」。それは違うことばだが、二つをごちゃまぜにしてしまうと「概念」ということばがあらわれる。「観念」と「概念」はまた違うものである。
こういうどこからともなくあらわれてきた思いつき(?)が、再び、「観念的な叫び」とは「観念」になろうとするまえの「未生の観念」であるという感じを強くし、その「未生の観念」が愛敬の「肉体」を感じさせる。「悩み」ということばが、その印象をさらに強くする。きっと「観念」になってしまえば、「悩む」ということはない。「観念」は「目隠しの木」のように「家のなか(家の内部/家の肉体/家の裸)=愛敬の裸体(肉体)」を隠すからである。そうであるからこそ、悩むのだ。愛敬は、いま、外からはみえない「家のなかの肉体」と向き合っている。それは、父からなのか、母からなのか、まあ、「家」からなんだろうなあ、愛敬のなかで「繰り返されている」「同じこと」なのだ。そういうものが、あるのだ。
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