詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小杉元一「塵のみどり」

2008-10-05 01:41:34 | 詩(雑誌・同人誌)
小杉元一「塵のみどり」(「EOS」14、2008年09月30日発行)

 途中に、とても美しい行がある。

素足が ふむ
塵のみどり
さむいみどりはしんしんとつづいていく
うすいふたつならびの
弦楽
耳は
なんども改行したが
窓辺にやってくる魚のむれは見えない

 特に「素足」から「うすいふたつならびの」までが美しい。「さむいみどりはしんしんとつづいていく」には、何かぞくぞくするものがある。その4行のあとに「弦楽」ということばがあるが、「音楽」があるのだ。
 「ふむ」と「さむ」い。「む」の響き。「みどり」のくりかえし。「さむい」「うすい」。その母音の脚韻の踏み方。
 「耳は/なんども改行したが」。その4行の「意味」はわからない。わからないけれど、私の「肉体」は納得してしまう。私の「耳」は何度も4行のあいだを行き来し、その音楽に揺れた。
 音、特に母音のゆらぎだけではなく、そのリズムも気持ちがいい。
 「素足が ふむ」という3・2のリズム。1字空きを自覚するなら、3・1・2。それが「塵のみどり」に、3・3になる。それも前の行のリズムをひっくりかえした感じ、つまり前の行が、頭が重いのに対し、次の行は尻が重い。「塵の」は軽い。早い。「ti・ri・no」。「い」の音のたたみかけが、ことばを短く感じさせるのである。それに比べると「mi・do・ri」は「塵の」と同じく「い」と「お」の組み合わせなのに、「い」と「い」のあいだに「お」が入るので、同じ3音でも少し長く感じる。
 そういう短いリズムの楽しみのあとで「さむいみどりはしんしんとつづいていく」という「ひらがな」の、つまり音だけをゆっくりみせる行がくる。長く、ゆったり伸ばして響く音。「しんしんと」という音の繰り返しが、まるで演歌のサビのように華麗だ。
 そして、そのあと。「うすいふたつのならびの」という、一種、「意味」のあいまいな(これって、なに?)の変化があって「弦楽」という硬いことばに急変する。
 とても楽しい。

 この変化は、最終連で、次のようにきれいに結晶する。

ひとりは
みどりの塵となり
ひとりは
みぞれのひかりとなり

 「り」の音がいいなあ。「みどり」と「みぞれ」の揺らぎがいいなあ。濁音は、その「にごる」という文字のために汚いものと考えられているようだけれど、この「みどり」「みぞれ」の濁音をはさんでの音の変化の美しさを聞いていると、濁音というのはいいなあ、豊かだなあと感じる。豊かな濁音をくぐりぬけることで、「み」の音は何かをつかみとり「り」が「れ」に変わるのだ。

 楽しくて、楽しくて、しようがない。


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